2017年12月30日土曜日

すべてをさらけ出しているか

   2017年秋 “打たれたような” というのはまさにこういう瞬間を言うのだろうなぁと感じる日曜の朝がありました。
礼拝で歌われた「アイ・サレンダー・オール」が私の体に伝わり身体に魂に強く響きました。 詩の正確な意味は、言葉の関係で私が勝手に思い込んでいた状態なのかもしれませんが、でも今ここにいるみんなの想いは伝わりました。みんな泣いていました。この世のすべて自分の生活すべて、好い事楽しい事だけでなく苦しいこと戒めも含めて、すべてを受け入れ感謝しています。神に守られているという事を確信し ただ喜んでいます。
何の苦もない毎日ではなくて多くの困難・悩みを抱えているようなのに、ゆえにか歌にダンスに身体全体で喜びを表しているように感じました。 夜勤のある仕事をしている人も多くいるようですが、(いろんな意味で)“疲れた時こそ教会”を実践していると感じました。今日ここに集えていることを素直に感謝し(大きな)喜びに満ち溢れ、その思いを表しています。
(日本人だと できれば隠しておきたい苦しみや悩み行いまでも口にだし祈っています。口に出さずともすでに神はすべてをご存じなんだからという思いも無いわけではありませんが、こうして祈るという事が大切なことなんでしょうね。 そう思うと私は神様にすべてをゆだねているかさらけ出しているだろうかと強く感じました。

日本人はなんでも“道”修行にしてしまいます。 祈り方も約束事があり、私も教わりました。ちゃんと祈ろう。自分のためではなく、他人のため教会のため世界のために…、恥ずかしいことは口に出さない… 形にとらわれて祈ろうとしているんじゃないかと思ってしまいました。
良くなろう 正しい人になろうとすることは悪いことではありません。でも、それゆえか、周りから教会にいる人を見る目には間違いを侵さない好い人という印象があるのではないでしょうか。 
 JCOBの礼拝に集っている人たちを見ていて、教会(礼拝)は楽しいものだという印象を初めて持ちました。日本人は、自分の方から教会の敷居を高くし難しくして遠ざけているのではないかと考えてしまいました。もっと単純に楽しみ喜んでいいんだと気づかせてもらいました。

2017年12月21日木曜日

核兵器は絶対悪


「核兵器は必要悪ではなく絶対悪」

2017年のノーベル平和賞を受賞したICAN。核兵器禁止条約の採択に貢献したNGO・ 核兵器廃絶国際キャンペーン。その授賞式でのサーロ―節子さん(広島での被爆者)の訴え



 核兵器は当然のこととして、原子力発電 “核”は人知を超えたものと確信している私としてはもろ手を挙げてICANのノーベル平和賞受賞を評価 喜んでいます。

 正直なところ、このたびのことで初めて知った方ではありますが、サーロ―節子さんの訴えには同じ思いです。 大体 必要な悪 なんてのはおかし事ですよ。

2017年12月7日木曜日

異時同図法


異時同図法

(一つ・一枚・一幅の)画面に同じ人物・場面を幾度も画き事柄の流れを表す描き方。



この技法を用いれば、端 区切り・終わり・限ある一つ・一枚の“画面”でも物語・その推移を表すことができるわけです。

そして、この形自体が時間の経過・流れを意識させる巻物。これとて決して端 終わりがないわけではないのだけれど、繰り広げ巻き取りながら一幅の画面に時間とともに移り変わり・推移を鑑賞していくときにはその効果が増すというわけです。

2017年11月23日木曜日

“たばこの害”

何紙か新聞に目を通しています。その中の一つで先日読者欄に「私が初めての禁煙タクシーです」と投稿されたものを目にしました。 80を超しもうタクシードライバーの仕事は引退されているとのことでしたが、当初お客様の反応だけでなく管轄官庁からの指導と
いう名の反発も相当だった旨が書かれていました。 

この投稿はそれに先立って、前に停まった車が灰皿にたまった吸殻を道路にぶちまけたのを目にした等々のたばこを吸う人のマナーの悪さを嘆いた一文を目にして書かれたもののようでした。私もたまたまこの投稿を目にしていて「だからたばこ飲みは嫌がられるのよ」と思っていたところ。だって、たばこの臭いは結構強烈なのに前を走る車が窓を少し開けて煙を車外に吐いていると臭います。(臭いが来るという事は有害物質も来ているという事!)自分の車の灰皿を汚さないためにという事なのか窓から手を出して煙草の灰をポンポンとしていることまであるんですもの。 後ろに居る車・人の事なんかまったく眼中になくお構いなしなんですもの。 そんな、人の事・周りにお構いなし自分に都合のいい解釈・対応しかできないからたばこ飲みは嫌われるのよと思います。 
 2回目の東京オリンピック、2020年まで1,000日を切りましたけれど、前回に比べてどうにも盛り上がりに欠ける気がしてなりません。ごたごた続きで、これまで何かとよそを「あんなんで大丈夫か」と言ってたのにもうそんな風に言えないなぁという感じです。
このオリンピックに関してもたばこ飲みの人の自分勝手さを感じる出来事があります。
無理辺にオリンピックと書いて「オリンピックのために」「オリンピックまでには」という一言ですべて通してしまおうという魂胆が丸見えのことがどうどうとまかり通っています。それなのにその同じ口でオリンピック開催都市に求められている禁煙の取り組みに、お店のお客が減る・経営者の人たちの経営・生活はどうするんだと言って抜け道をつけてしまいました。 結局は自分の都合のいいようにオリンピックを利用しふるまっているだけという事としか思えません。
 たばこが健康に悪いというのはもう疑いの余地がないことですが、禅の発想から言うとこんな身勝手なふるまいをしてしまうという事自体がすでに“たばこの害”だと思います。

2017年11月6日月曜日

美術の根本 図工教育の究極の目標


先日「海外女子教育」という冊子のNo534 2017.8号に掲載されていた小学校の美術教師を務めている河本満美子さんの一文が目に留まりました。その一部、特に印象に残った言葉を紹介します。


・自由な発想で楽しむことが美術の根本

・図工や美術の学習では「間違いや失敗」はない

・図工の成績の付け方は、表面上の上手下手ではなくどれだけその子が表したいものを表現することができたかを大切にしています。

・お手本そっくりに描くことが目標ではない「筆で絵の具を塗ることを楽しむ」という目当てさえ押さえていれば見本とまったく違う作品が出来上がってもいいのです。

・想像力を働かせ身体を動かして発想力・創像力という「生きる力」を養うのが図工教育の究極の目標。



こういう話(文)を聴くとすっきりします。

2017年11月3日金曜日

買ってもらうより嬉しいのは


今は現役を引退した医師がずいぶん前に「年齢が高くても手術ができるかどうかの判断は  自分で歩けること  自分の口で食べられること」と言っていました。
私自身大変だった時、人が精神的に健康な状態(自立・安定)というのは 自分で選び決定する ことができる(これは、自分の中でも周りの環境からも)ということで保てるしある時には取り返すことにもなると物の本で目にしたことがあります。



彼女がボランティア期間(見極め期間)を経て初めてもらった給料でしたこと。

彼女は私にケーキをご馳走してくれました。少し高めだけれどお店の作りも素敵な美味しいケーキのお店です。「今日は私がご馳走する」と言って端から端までのケーキに目をやってからようやく一人に二つずつ買いました。  介護の仕事は必要だし大変な仕事なのに低賃金の業種。初めてのサラリーも推して知るべし。つい私は「そんなに高くてもいいの?」なんて余計なことを言ってしまいました



初めてのサラリーで100円ショップにも行きました。

ついて回ると、彼女が次々手にするものは靴下とかノート マーカーペン 髪留めといったこまごまとしたこれまで一緒に買い物に行って買ったり自由に使っていいよと家に買い置きしてあるものばかり。 一時間と少し見て回ってお店備え付けの籠半分くらいになった品物の数々。100円ショップなので一つ一つが高い物というわけではないのでしょうが金額的には2,700円にもなりました。ずいぶんと買ったものです 

支払いをする彼女は至極満足な表情でした。


 私は気付きました。“自分で働いて得たお金で 自分の欲しい物を見 選び 買う” それをしたかったんだと。

買ってもらえばありがとうと言っていたし喜んでいてくれたと思います。でも自分で働いて手にしたお金で自分が好きなものを選んで買う。それこそが自立した人にとっての本当の喜びなのだと気づかされました。