2022年4月29日金曜日

そんな人 生活が動いて見えてきました

 「神頼み」

お金に困らないようにと

賽銭箱に小銭を入れたら

帰りの電車賃が足りなくなりました。


立原一洋  詩誌 「指名手配」第4号 文化企画 アオサギ  より

                                (本誌未見)


”こんな人゛ というよりは ”こんな時゛ が人生には という思いですが。

2022年4月24日日曜日

目に見えず 触って確かめることもできない だけど信じるという事 1/2

  プーチン ロシアによるウクライナへの(国対国)侵略戦争は、それにつけても由々しきことになっています。プーチンの言う(思い描く)“偉大なるロシア゛はこんなものだったんですね。誠におぞましい。 偉大なる という言葉がこんなふうに用いられて本当にかわいそうです。日本にも、一時同じ未来を見ている などとこびへつらい、今手の平返し 嘘つき放題逃げまくりの安倍なんて恥ずかしい人がいますけれど。 昔の○○を取り返す とか何とか口先勇ましく言うけれどどういう発想なのか何を考えているのか、やっていることは日本を貶めて辱めている事ばかりですけれど。

 2月にプーチン ロシアによるウクライナへの侵略戦争が始まって様々なメディア・形式で日々刻々の状況がつぶさに伝えられています。 ベトナム戦争で命を賭しての報道が世界 アメリカ合衆国を動かし、アメリカ政府はその“教訓”からメディア規制を計ってきました。 そして今では、規制だけでなく積極的に利用するようになってきました。プーチンロシアは情報戦でウクライナに負けた という言葉が示すように、世界を味方につけられるかどうかの立派な”戦い方”の一つにまでなったのです。

 機器の発達インターネット環境の進化により、情報発信は命の危険を冒して紛争地に行く記者でなくとも当事者が生の情報を発信できるように変わりました。”情報”の位置づけ意味合いが変わりました。 以前だって、コントロールされフィルターに掛かっていたんですが、情報戦という言葉がある現在では以前よりはるかに取捨選択され意図的に発信されるようになったことを忘れてはならなくなりました。 いまネットを通して目にしていることを信じるかどうか、現実に起こっていることと信じるかどうか。 情報戦という言葉がある時代に、フェイクニュースを仕立て上げ また「あれはフェイクだ」と言い張ることさえある時代になりました。 情報を目の前にして一層気を付けなければならない時代・社会になったということを忘れてはなりません。 ネットを介しての情報は、いくら「見る時には十分注意してください」と但し書きがあったとしても、それで見る人自身は何ら痛くもかゆくもないあくまでも端末の向こう、有線無線でどれだけ離れているかどれだけ切実かも感じられない”仮想の空間”だという事を忘れてはならないと思います。 命の危険も空腹も実感の先、見えないどこか遠くの出来事、画面を自分の都合でいつでも閉じれば全く別の生活ができていることに気づいていなければなりません。

 それで思いついたことがありました。