ラベル 人生 この人のために、このことのためにという意味を持てたらどんなに幸せか の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 人生 この人のために、このことのためにという意味を持てたらどんなに幸せか の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2020年8月9日日曜日

オスプレイのレゴブロック発売中止

  


毎秋恒例の福祉まつり、今年はCOVID-19 によって開催自体見送りと思いますが、福祉の催しに陸上自衛隊(諸外国に紹介する時は陸軍と紹介)の車両が展示される不思議、企画に携わる人の鈍感さを感じてきた私。    沖縄嘉手納基地を望む屋上で「そんなの嫌に決まってるだろ!」と返される事を半ば期待しながら地元の人と話した時「生まれた時から回りに基地がある生活が普通の生活だった。」と返されて、事の複雑さ認識の甘さを感じ入った私。

AFP時事によると、デンマークの玩具メーカー・レゴ社は23日「米軍の垂直離着陸機=オスプレイを模した新商品の発売を取りやめた」とのことです。 同記事にて初めて知ったのですが、レゴ社には「実存する軍用の乗物からは玩具を作らない」と言う社是があるとの由。 この社是に照らし合わせておかしいという指摘が外部からあったという事も記載されていましたが、だとしても事業計画を自ら律した行為として記憶に留めて置きます。

お菓子や玩具は子どもにとって欠かせないもの。身体にも心・精神にも善いものが回りにあるのが普通という環境を整えておきたいものです。

2017年3月22日水曜日

肥田舜太郎さんがなくなりました


肥田舜太郎さんがなくなりました。(2017320日)

戦時中軍医として働いていた広島で自らも被爆し、戦後はその経験と反省から被ばく医療・平和活動に務めた人。100歳でした。

 私が属していた県単位の医療法人が全国的にまとまった全国組織の代表を務めていたこともある人でした。それは戦後間もなくのことでもあり入れ替わるように現役を引退、私などには核兵器をめぐる世界情勢 福島第1原発事故に関しての発言が紹介される中で変わらずお元気だという事がわかるというありさまでした。 その発言は医師としての専門性、自らも被爆した経験からくる人間味あふれたものでした。

信念を曲げず生き抜くことは決して楽なことではない中、最後まで揺らぐことなく生を全うした方でした。ご冥福をお祈りします。

2017年1月3日火曜日


新年あけましておめでとうございます。

 2017年ももう3日になって年末年始の連続勤務が一区切り、やっと一休みです。正直結構堪えました。

 そして、突然の異動命令で今日一日休んだら明日からは別の部署、大変です。



今は良くも悪くも食べたいものが年中手に入る時代になったので、お正月だから普段口に入らないごちそうを食べるという事もなくなってしまいました。

お正月、ハレ・晴れの日として襟を正して一年を振り返り、新しい年の始まりに決意も新たにという事もなくなってきているように思います。“年頭にあたって”というのはこの時期にしかできないことだから足を止めて考える一時を持ちたいものです。



 新年へのカウントダウンが始まるころメッセージが届きました。

新しい年を迎える挨拶とともに「私の願いは、今あなたが幸せでいることです」とありました。

行数にすればほんの短いそのメッセージには離れたところにいる私を気遣う思いがあふれていました。

たとえ今ともに居なくとも、私を気遣っていくれている人が確かにいると確信できることは大きな幸せです。  感謝

2016年11月15日火曜日

“嘉陽のおじい” が亡くなりました


“嘉陽のおじい” が亡くなりました。(2016113日)

初めて沖縄・辺野古を訪れた2012年にお会いし 「私の今の願いは、来年またみんなとここで勝利を喜びあいたいということです。」との声を聴くことができました。(その時の模様は ラベル・沖縄平和ツアー/辺野古 オジーの願い  201299

94才だったそうです。

今の オール沖縄の基となった辺野古の区民達で立ち上げた(1997)「命を守る会」の創立時のメンバーで、最後は顧問を務めていたそうです。

最後まで貫いた運動への思いは「戦後の食糧難の時辺野古の海の海産物で無数の人が救われた。この海は命を育み、沖を通る船の旅人の無事を祈る聖地。この海を埋めて人を殺す基地にしてはダメだ。」という強い思い・体験だったようです。

ご冥福をお祈りします。

2016年6月5日日曜日

知識としての日常の定義を生活の中で考えてみると


 
ユニセフから冊子が送られてきました。その表紙には大きく 紛争が奪う「子供時代」とありました。 
 

日常とは
毎日繰り返される連続した安定状態のこと
非日常とは
連続して繰り返される日常を切断する一回性の出来事 

これは 哲学者 木田元(きだげん)さんによる日常と非日常の定義ですが、改めて“日常”ってどういうことなのか、日常が切断(中断)されるとはどういうことなのか、昨日と同じように繰り返される毎日・日常なら何でも良いのかといろいろ考えてしまいました。 

ユニセフが冊子のこの言葉で訴えたかったことはまた別の意味もあるのでしょうけれど、私は この子たちにとっては破壊と殺戮 自分もいつ殺されるかもしれないという恐怖の毎日が日常なんだとわかったからです。こんな、昨日と同じことが繰り返されるということで安定している日常が望ましい日常なのかと考えています。

これは、どういう状態かということを定義したことから進んで、その繰り返されるものがどういうものか 運動ということにまで話を進めてのことなので、木田さんがどこまでと考えて定義して見せてくれた意図と外れていると思っていますが。
 

昨日まで綿々と続いてきた日常が3.11で途切れ、非日常であったはずの3.113.12からは日常になってしまった。という例もあり、どんな生活“日常”が望ましいのかを考えて行動しなければいけないなぁと考えました。

2016年5月9日月曜日

とほほなわたし


今写真の整理をしています。
写真の彼女はその表情たたずまいすべてが好ましく、諸手続きのため来日するのはまだまだまだ先のことになるけれど一段と待ちきれない思いになります。

写真を見ていてその日の幸せな気持ちを思いもう一つ気づきました。式の前と後での彼女の感じ雰囲気が何やらちがっているような・・・  かの国の実情、生い立ち・・・  私の望みでもあったわけだけれど、神と会衆の前で契約を交わしお付き合いしている女性から正式に妻となったからでしょうか。どっしりしたというか 落ち着いたというか、女の人というものはこういうものなのでしょうか・・・

とはいえ、彼女の一挙手一投足、彼女も含めてみんなの喜ぶ表情を見ていると、掛け値なし素直に喜んでくれているのがほんとによく感じられ。こんなに素直に正直にかっこつけずに喜んでくれる人たち彼女と縁ができたと思うとありがたいことだと思います。 彼女を幸せにしなけりゃと思います。

 
それに引き換え 式の時の私は 何とも“とほほな私”。 こういう時は女の人のほうが腹が座るという感じなのかなぁ。

2016年3月30日水曜日

弁護士・布施辰治


何度も何度も同じ思いになり口にしていることだけれど「本当にまだまだ知らない(知られていない)立派な人(立派な行いをなした人)がいるんだなぁ。」と改めて感じています。

今回改めてそんな思いにさせてくれた人物は、1880年に宮城県現在の石巻市に生まれ、戦前にはその活動から自身も治安維持法で逮捕収監され、戦後も1953年に亡くなる前年まで三鷹・松川事件の弁護に携わった布施辰治という弁護士です。直接的には再現ドラマを含めての弁護士・布施辰治の活動・生涯を扱った映画を観たからです。

「世の中に一人だって見殺しにされていい人はいない」の信念で、戦前戦後に困窮を極めた人々の立場に立ち自分の専門を生かし・ヒューマンな感覚で社会の不条理に立ち向かう一生を生き抜いた人。
  戦前、どんどん人々が孤立化させられていく中で今だってまだまだ不十分な“権利”そしてその発想、その言葉を口にすることすら忌み嫌われ時代に、民衆の立場に立ち自分の専門知識を生かして自身も弾圧を受けながらも奮闘した人。守られるべき人の立場で自分の専門知識を生かした人。時代の困難さは私の想像をはるかに上回るものだろうに勇気を失わず生き抜いた人。

戦前戦後に活躍した社会派弁護士 という言葉一言で言い表すことはとてもできない人だとは思うけれど、こんな人もいたのかと感慨深い思いでいます。

 

*家族 家族の存在 妻の存在 夫婦瑞祥

 何かなす人には必ずその存在があるなぁと感じさせられました
 
 

2015年9月1日火曜日

ことしの防災の日は少し趣が違いました


  9月1日は大正12年の関東大震災を教訓にということでの防災の日。だから毎年防災訓練などが取り組まれています。けれど今年の91日は、ここしばらくみんなの耳目を集めている、新学期が始まるということでの9月1日(正確には各地域学校によって始業日はばらつきがある)は子どもの自殺が多いという注意喚起でした。その主たる原因は“いじめ”であるという悲劇的な現実。
  実際データを突きつけられると、9月1日を中心とする数日間というのは注意しなければいけないということがよくわかります。いろんなメディアでいろんな切り口でこのことが扱われていましたが、その中で私の印象に残った提言のそのまた核心と思えるところを抜粋します。

  以下 臨床心理士の横湯園子のお話から。(抜粋。 趣旨は替えませんが文のつながり等わかりやすいよう一部削除修文させてもらいました。)

・いじめの段階  孤立化 無力化 透明化  精神科医・中井久夫

孤立化 SOSを発するのは初めのころだけ。

無力化 いじめの被害者は繰り返されるいじめに、次第に自分が悪いとあきらめSOS・助けてと声を出すことも卑怯だと思うように追い詰められていく。

透明化 次にいじめは特別なことではなく、日常風景になってしまう。

・「けんか」は対等だけれど「いじめ」は一方的な暴力。

・加害者から制裁を受けることの無いように、いじめを見つけたら「どうしたの?」の声をかける。秘密厳守が基本。話す場所に配慮する。

・本人が願っているようにする。「何をしたらいい?」「教えて?」など。

・生きていれば再出発ができる。「いやだったら、学校を休んでもいい。」と声をかける。

・「大丈夫」と返事をしても本当は大丈夫ではないかもしれない。表情や書いている字の変化を見落とさない。

2015年5月28日木曜日

自分が望んだわけでもないのに運命に押しやられる時が人生には幾度か


教会 青年たちの「沖縄・辺野古 高江ヘリパット反対行動支援」の報告集が送られてきました。これまでも自分たちのできることでかかわりを持ってきた青年たちが、昨年沖縄の教会員の方の訪問を受けたのを契機に実際に沖縄に出かけたのです。報告集を見るとこれまで私が知っていた人たちとはまた違う名前がたくさん出てきて運動の広がりを感じています。

ただその報告の中に直接だったり行間を読むとという感じだったりですが、“政治的”という言葉が妙に響いている感じがしました。幅広い人たちがかかわっていますから、一見して明らかに自分とは違うと感じさせられる人もいます。だから「人殺しに直結する新しい基地建設には反対です」と言いながら、「でも私はあの人とは違いますよ」と言っているように聞こえてしまうのです。周りから見れば、もうすでに十分一緒なのに。でも私も含めてそのように言ってしまうのはあるし、気持ちはよくわかります。
けれど、この度のようにわざわざ沖縄まで自分の方から改めて出かけて行かなくてもすでに私たちの生活は政治の中にあるんです。「政治的な事にはかかわりたくない」「あの人たちとは別だ」と思っていても言ってみてもすでに政治なんです。

もちろんその人事に得手不得手もあるし、みんなが同じようにできるわけでも すればいいわけでもありません。先頭に立つ人も必要なら、その後ろからついていく(支える)人もいなければ困るんですから。 

今回の青年たちの行動は、これまでのお話を聴くという形、そして実際に現地まで出かけていくというふうにかかわり方が多様になって来ています。そして ちょっと隣までというようなところではなくわざわざ沖縄まで出かけ、帰って来てからの報告の集まり報告集の発行ということで十分と思います。いろんな形があるし、無理なくできることを続けていけばいいんですよ。

ひとはどこに住んでいようと、何を生業にしていようと、自分には関わり合いのないことと思って日々暮らしていてもすでに政治の中にいる。日々の生活、生業は全く影響されていないと思い そう主張したとしても、日々の暮らし将来の生活設計は至極国の政治動向に左右されています。それが予期しないきっかけではっきりしてしまうことがあります。それがこのたびの青年たちには基地建設のことだったり、東日本大震災・福島第1原発事故をきっかけにしての社会問題だと思います。沖縄まではまだしも、原発はいやおうなしにこちらに来たのですから。自分が望んだわけではなくともという時が人生には幾度かあると思っています。

2015年2月13日金曜日

映画「怪しい彼女」


昨年劇場で観て、鎖骨もまだ見えてこない少女体形のシム・ウンギョンがなんとも可愛く、ゴム鞠のように飛び跳ね魅力的に演じその発想も反応も話し方も観ていてとても面白く楽しかった映画「怪しい彼女」面白いのは確かなんだけどいったいどこにこんなにはまってしまったんでしょうか。

 予約していた、2014年劇場公開映画「怪しい彼女」のブルーレイが届き早速スクリーンを出して鑑賞しました。数日の間に何度も。主人公(シム・ウンギョン)がとてもいいのはもちろん脇を固めるメンバーも皆好演、韓国の若い人気歌手も名演技とは違うんだけどいい感じです。ただドタバタと騒ぐとか、面白いシーンがありますとかいうのではなくて、ちゃんと一本の映画としてまとまり出来上がっているんです。
 
 

「もし人生をやり直すことができたら」

“突然50歳も若返って何のしがらみもなく再度人生を歩めたら”なんて荒唐無稽な設定なんだけど、主人公の 選択の余地もなく歩んできた人生‐生きてきた韓国の社会・時代のこと、韓国・韓国の人が通ってきた過酷な背景が挿入 描かれることによってキャラクターがしっかりと確立し、ただ面白いとか可愛いだけでなく深みのある映画になったんだなぁと気づきました。 

名優ナ・ムニ扮する(高齢の方の)主人公自慢の息子は国立大学の教授で老人問題の専門家。家では、ついついひとこと言ってしまう嫁姑の関係が深刻。大学を出たものの高い失業率の韓国社会で就職できず家にいる孫娘、大学には通っているけれど何をやりたいのかわからずにもやもやしたままの孫息子。そんな家庭内の問題・いざこざが、お嫁さんの緊急入院という事態で急展開、一気に趣が変わります。

(お嫁さんが)退院したら迎えに行きますと言われた施設入所を控え、たまたま目にした写真館で自分の遺影を撮っておこうと思い立ち“青春写真館”という名前の写真館に入ります。「私が50年若返らせてあげますよ」という写真館の主人の言葉を背中に聞きながら「初めて白粉をはたいたよ」と口にしながら紅を引く。フラッシュがたたれた後シム・ウンギョン扮する若い主人公に代わり一気にテンポアップし楽しく面白い展開に。

我が身に起こったことを解決も誰に相談することも家に帰ることもできないままに、若くして結婚した相手は出稼ぎ先で事故死 生まれた忘れ形見を育てる時の数々の辛酸の日々とは別の生活(人生)が始まります。誰にはばかることも誰のためにと考える必要もなく一つ一つ“初めて”体験しながら。もう長いことなかった胸の高鳴りを感じるような生活も訪れます。

映画終わりの方で、それまでいくつかのシーンで描かれていた彼女の苦労の日々を、息子の口から語る切なくも感動的なシーン「くず野菜を拾って食べ、魚臭い仕事をしない人生 子どものために鬼になることもない短命な夫と結婚し 親不孝の息子を生まないで  」。それを聞いた若い姿の彼女は定まった思い「私は生まれ変わってもまたあんたを生むよ。~全く同じ人生を選ぶよ  」を口にします
 
 
 

 色々書いても伝えきれないでしょうし、観る楽しみをなくしてしまうかもしれませんので紹介はこれくらいにします。受け取り方も違うでしょうから機会がありましたら是非ご自分の感性で観ていただけたらと思います。
 

最後にもう一言。
全て納得の上で元の人生・自分に戻るとき、ナ・ムニ扮する彼女が口にする「良い夢を見たよ。こんな良い夢は生まれて初めてだ。」を聞いた時、若い彼女も年取った彼女のことも思いながらなぜかホッとする気持ちを感じました。

2014年8月11日月曜日

外は大荒れ 心の中も大風が舞っています


台風11号の影響で大荒れです。動きの遅い台風と太平洋高気圧の縁に沿って流れ込んだ雨雲の関係で沖縄・九州、四国・近畿地方、そして東北・北海道も過去の最高記録を大きく上回る大雨で大変です。窓の外は遠く彼方からゴォーウと風が駆けてきて木々を大きくしならせています。

公演のため見られずここ数日撮りためていた番組の合間に、仲良く歩く夫婦・家族の情景が目に留まり切なくなりました。 ある人を思い出しました。 会議通訳者の世界で海外の要人にも名指しされるほどの長井鞠子さん。通訳業を生業としてからの苦労・失敗の話し以上に夫とも子どもとも別れて暮らす日「中年夫婦が並んで歩いているのを見るだけで涙が出た」「悔しい、悲しい、さびしくなりました」に共感しました。

2014年7月16日水曜日

「100人の子供たちが列車を待っている」 食に事欠く軍政下 食糧援助ではなく映画教室


 

チリ軍政下、毎日の食にも事欠く生活環境の中で(直接)圧制に対するのでもなく食料を援助するわけでもなく“映画”の教室・ワークショップを、映画というものをこれまでただの一度も見たことのない子(わざわざ劇場で手間も暇もお金もかけて)がほとんどという地域で開催。

このような取り組みがあるということは知っていました。それが、まさかチリで(も?)されていたとは

以前“アルピジェリ”を巡っての、制作する人たち 手助けする人たち 警戒する人たちのことを知りました。  その時と同様、この取り組みにも教会が大きくかかわっていたことを知り、私が直接何かしているわけではないんだけれどちょっと誇らしい。

 

この映画教室・ワークショップに通ってくる子どもたちにとって、生活苦 デモ 警察 死体は日常であり生まれたときからの光景。そういう光景、環境に生まれ育ち、それが当たり前の風景、離れたところの人間には簡単に思い測れない感情(生活していくときの制限でもあり糧でもあるという)。基地がいいとか悪いとか、それだけで決められない生活、生まれた時はもう基地があった沖縄の人たちのことを思い出してしまいました。

 

今回入手したDVD・映画そのものは画面も暗くピントも甘めでフレームもグラグラ、音なんか映写機の具合が悪くてフィルムのサウンド部分がスムーズに受光部にあたっていない・走っていなくてワウワウしてしまったときみたいです。そして、そもそもドキュメントされていた子どもたちのワークショップでの“映画作り”の取り組みの到達も決してどこかのコンクールに出展するというものではないと思います。

時の政権によって21歳以下には上映禁止という措置が取られたのは、その結果としての作品そのものに対しての恐れ以前に、半年間にもわたり映画・映像の工作、集まること一緒に作業・遊ぶことを子どもたち、そして子供たちを通じて親・周りの大人も経験してしまった!ということだと思いました。作品の出来以前にこうして、みんなが集まる、一緒に行動する、口を開きだすということを恐れたんじゃないかと思いました。

 

 アルピジェリの時もそうでした。限られた生活の糧として作業にかかわりだした人たちの意図しない結果。映画作りのために現実を改めて視始める、それによって気づく事、作品を作り上げようとする過程で高まる想像力・計画性、協力・連携。圧制者の側から見ると脅威に感じると思います。

本人はそのこと(行為)がどういう意味を持っているかわからないでいても、日常にあること・見ていること・聞いていることをカメラにむかって話し出しています。これは時の軍事政権にとっては隠しておきたいこと。事実を知られたくない、隠しておきたい、口を開いてもらいたくないと思う人の方からは怖いことだと思います。結果そうなっていますし。

その後の歩みも決して一本調子に平坦なものではありませんが、大きな犠牲を強いられ圧制に苦しんでも必ず民衆の側が残る、題名の思い出せないあのイタリア映画の中の一言「民衆は弱いけれど国は倒れても民衆は残る」ですよ。

 

ところで100人の子供たちが待っている“列車”とはリュミエール兄弟の「列車の到着」のこと。これはまあわかるとして、ラモリス監督の「赤い風船」が出てきたのにはちょっとびっくり。私が小さいとき 初めて見た洋画作品でもあるこの映画、やっぱり何か持ってる。

2014年5月4日日曜日

松元ヒロさん公演 アーサー・ビナードさん講演 偶然以上の必然


土・日(4月2627)と公演・講演会参加が続きました。
行くまではたまたま続くのかなぁと思っていましたけど、2日を振り返ってみるとその内容 調子に通じるものがあって、偶然以上の必然。今の世相を反映してそうさせたのかなぁと思いつきました。 

土曜はこちらには6年ぶり6度目の松元ヒロさん、時の政府要人の言動を単に茶化すだけでなく、そぎ落とし強調して本質を見やすくしてくれます。どう見せてくれるか以上に何を取り上げるかに関心を持ちながら思いっきり笑おうと思って向かいました。

やっぱりというか当然出てきた安倍さんやオバマさん麻生さん。まぁよく見ているもんです。「そうそう」ホホウそんなこともあったなぁ そのことを取り上げたか そっくりだなぁよく特徴をつかんでいるなぁ…その面白さ・危険度はこの逸話でご想像ください。
ヒロさんは年に2回紀伊国屋で公演をし続けているそうです。今回の公演では放送局も4局取材に来たそうです。公演終了後NHKの人が楽屋にやってきて言いました。
ヒロ(・・)さん(・・)!よかったよーッ。  出せない!!」と、言うほど(放送できないほど)の面白さ・危険度。当日の様子もこれでわかるでしょ想像つくでしょ。

もちろんいいんだけど、当夜見ていて神妙な気持ちになったのは“むのたけじ”さんの人となりと主張の紹介、その背中を追ってきたというマルセ太郎さんの映画紹介にならった出し物でした。

この日紹介された映画は、狭山事件の石川さん夫婦の日常をドキュメントした作品「みえない手錠をはずすまで」と、何代にもわたって自分たちで牛を育て上げ“わり”(屠畜)までおこなっていた「ある精肉店の話」の2本。テーマがテーマだけに、その情景がよく伝われば伝わるほどつらくなりました。
社会が急速に変わっていく、世相 差別 冤罪といった問題。大事なことなんだけど、改めて考えさせられました。(自分に向かっても) 

 
 日曜は午後からアーサー・ビナードさんの講演会に出掛けました。
肉声で話を訊くのは2度目。前回はすごく面白かった。目から鱗と言ってもいいほど。
たとへば、マフィアの殺人・死体の隠し方の話し。本当のお葬式に便乗して、2重底にした棺の、上に本当のお葬式の人の遺体下に殺人死体を隠すやり方の話は、時の大問題から目をそらすために人気グループ スマップのメンバーを摘発した(2009年4月)ことと関連付ける下げで、世()論世()論の持って生き方にそんなテクニックがあるのかと思った覚えがあります。

アーサー・ビナートさんはもともと“言葉”へのこだわりのとても強い人
このたびはその言葉へのこだわりから、一段と深刻さを増している原発 経済 戦争 憲法 という社会問題を、言葉のごまかし 装飾 耳触りのいい言葉への置き換えで本質を隠してしまっていることを紹介してくれました。 

たとえば 環太平洋戦略的経済連携協定と“訳されている”TPP
Tとはtrans- Ppacific 2つ目のPpartnershipの頭文字をとったものなんですが、最初のT trans-は超えるということ、この場合は太平洋を越えてUSAと日本という対立軸を隠すために言い換えている。本来、環太平洋ならpanという言葉でなければならない。

広告宣伝がどうして必要なのか。
本当に必要なものは宣伝しなくても売れる 買う。絶対必要、なくてはならないものでない(・・)ものを買わせるために宣伝が必要なのだ
 広告宣伝 大手宣伝会社 コピーライター の作り出す文言。 ごまかし→本質を見えなくする、に対してこだわりを示していました。

“マイボイコット” について。
大企業は、日本の社会・経済のあらゆるところに関連企業という形でかかわっているので、直接ボイコット運動というと種々の事情で運動を大きくしにくいけれど、個人一人一人がマイボイコットという形で日々可能な範囲で継続するなら可能だし、十分な結果につながると提唱していました。
同時に、マイブームの商品・お店を身近なところにも見つけて応援・支援・守っていかなければいけない、とも自分の実践をいくつか紹介してくれました。

それは、新しい試みのグループだったり運動だったりのケースもあるかもしれないけど、地域に昔から続いてきてだけど今や風前の灯みたいなお店だったり地域・集団だと考えれば文化を守り継続することにつながるなぁと感じました。
 
当日の運営は、たっぷり話を訊きたいという主催者たちの趣旨でだったのか少し長めの講演時間でした。前回が脳天気だったなんては思わないけど(先ほど一つだけだけど紹介したような話が紹介されていたので)ニュアンス的には同様には楽しめませんでした。前回の時より社会情勢がそれだけ深刻度を増しているということだろうかと考えました。

 
 さて、土日と連続した公演と講演。動機はどちらも楽しみな気持ちで行ったといっても間違いではありません。けれど蓋を開けてみたら、その中身はどちらも世相を反映した題材が取り上げられていたのです。 この偶然というか必然というか。今社会がそのような状態・時期に来ているということを再認識させられました。

2013年5月28日火曜日

「おらホンにやんだなあ、つらい思いして。わかい人らよ、二度とだまされてなんねーぞー。わが子守らねばなンねーぞー」


先日新聞の読者投稿欄にこんな記事を見つけました。

それは福島市のFFさん(84歳)の「戦地に行ったステさんの息子」と題してのものです。

 
 

一人ぐらしの今は亡きステさんは、いつも戦死した息子さんのことをこう話していました。

「息子は20歳になると赤紙が来て、八幡神社に集まった人らに、母のことをよろしくお願いしますと言って戦地に行ってしまった。広い大陸の空吹く風も母の声のように聞こえると手紙が来たよ。なんぼか寂しかったべなあ。おれはあの頃軍国の母なんだと気いはっていた」

「戦争が終わって、夜中にカツカツと靴音がして、さてはあの子かと起きてみたが靴音は通り過ぎてしまった。あの子は帰ってこなかった」

「おらホンにやんだなあ、つらい思いして。わかい人らよ、二度とだまされてなんねーぞー。わが子守らねばなンねーぞー」

戦前女性には選挙権がありませんでした。しかし今は違う。一人一人が大切な選挙権を持っています。そして命をかけて侵略戦争に反対した共産党が公然と活動しています。7月の参議院選挙、子どもたちのために、平和な日本を創るために、私も力をつくしたいと思っています。

 

 

 

ここで紹介されているステさんそして一人息子さんのエピソード、心に響きました。

 この投稿をしたFFさんがどのような人なのか、生い立ちの人なのかはわかりません。

けれど、人間としてとても真摯な姿勢を感じました。

漢字が多ければ多いほどいいわけではありません、でもどちらかと言えば少なめ。

 

 そういうことで言うと対極にあるとも言える、大変難しい試験にうかって弁護士資格を持っていながら、他の人もやっているからとか言って真理として善悪の判断の出来ない人権意識の非常に低い、人の事なんかなんとも思っていない人とは大きな違いを感じてとても印象に残りました。