2019年3月6日水曜日

思えばそれ以来次から次へと事が続いて


思えば去年(2018)6月に従妹の奥さんから「もう何日もオシッコが出てないのに医者に行くと言わない。・・・」という電話が朝来て駆け付けたことから始まったような気がします。 それ以来次から次へと事が続いて・・・

 ちょうどその日自分の用事を足すために休みをもらっていてまるで予期してみたいだと不思議な思いで話した覚えがあります。 結局尿閉側で泌尿器科を受診、導尿で一時軽快となったものの、一人で通いやすいところに転医の段取りをしたりで丸々一日かかり自分の用事を足すどころじゃありませんでした。 その後精密検査で紹介された病院で手術を勧められるも拒否、導尿のチューブを入れたままウロバッグをぶら下げたままでいました。チューブが入っていれば見た目は悪いものの、オシッコが出ないというつらさはありません。そうこうしていると、11月に脳出血で救急搬送され入院。これから(奥さんの)世話になるんだからいろいろ教えておかないとだめだよ…と何度も話していたのに「ダメなんだがね…」と言って車の免許も各種支払いをはじめやりくりを教えておかないもんだから携帯は止まる電気ガス水道は止まる、おまけに子どもが卒業・入学のタイミングに重なってどうにもこうにも にっちもさっちもいかなくなってアウトの状態。

 もちろん本人や奥さんも動きましたが病院対応。本人と連絡着かないし、奥さんと話してもなかなか理解してもらえなくて困ってましたと両方から言われた卒業予定と入学予定の学校対応。結果として同じ日となった、この春約3年ぶりに初めて帰国する予定での準備、父の闘病そしてお葬式対応をしたりで正直大変でした。

 帰天の式、様々な手続き、疲れ寒さ。食欲も失せ寝込んでしまいました。彼女の帰国予定日を前に寝込んでしまいました。誰かいればその人のためにと頑張りもするのでしょうが、一人では疲れ・面倒くささが先に来て食べないもんだからなおさら悪いんでしょうね。気力もなえるし、一人じゃほんとにダメなもんだと痛感しています。

父が亡くなりました


父が亡くなりました。

ちょうど2年前、インフルエンザからくる発熱をきっかけに誤嚥性肺炎を起こして緊急搬送されて入院。その後、口で食べることを試みるものもかなわず鼻腔栄養となっていました。 その鼻腔栄養も、誤嚥性肺炎を毎月のように繰り替えす原因という事で点滴に。最後は鼠径部に針を留置しての持続点滴となっていました。 それでも、匂いだけでもと甘い香りのお菓子を鼻に近づけると口が開くという反応を示してくれていました。  思えば、この2年間 徐々に弱っていく姿を示してくれることによって私に今日のこの日の準備をさせてくれていたのだと感じています。

 今は 先頭に立つ大変さ (父 母のいない)心細さを強く感じています。 入所そして入院。最後の何か月かは手を借りないと思うように身動きすることもできなくなり寝たきり状態ではありましたけれど、いてくれるだけで違ったんだと感じています。 始めであり終わりである すべての造り主であり救いの主 である神様のもとに帰るのだから喜ぶべきこととは思っていても不安な気持ちでいるというのは事実です。 でも神の元への帰天と思い感謝しようと思っています。