2007年8月27日月曜日

軽い言葉だと感じる。
 実際言葉に重さがあるわけではないけれど、聞いていて、この話・発言は・この言葉は重い、という言い方がある。
 それでいくと、話し方がぶつぶつととぎれて聞き苦しいのはもうあきらめるとしても、阿部総理大臣の言っていることはほんとに軽いと思う。
 ”美しい日本”・・・というのも聞く人によって様々なイメージが浮かぶ言葉だと思うし。何よりも8月15日に、再び戦争をしない国だとか、世界平和、貢献、なんてことを発言しながら、実際にやろうとしていることは正反対の、戦争をせんがための憲法改悪(必然的に9条だけでなく、男女平等に関すること、生活・生存に関わる事も)なんだから。

 政権交代の手段として、改善すべき課題はあるにしても”選挙制度”があり、近代政党がある中で、自己の・政党の主張をすることは良いことだし、もっとすべきだと思う。    私がこのように考えていても、当然ながら別の考えがあるわけで、そこを話し合うことが大切なことだと考える。けれど、今の阿部さんの口からでている言葉では、本当の意味での話し合いが成立しないと思う。真摯に耳を傾け話し合おうというところまでとはとうてい達しない
中身のない軽い発言としかいえない。
 
 言葉はいったん口からでてしまうと、一人で歩き始めるし、取り返しがつかない。私はこのことを忘れず、意味のある、話し合うに足りることを言うように心がけます。

2007年8月22日水曜日

諸橋近代美術館 サルバドーレ・ダリ


 諸橋近代美術館 に行ってきました。
ほかの美術館でチラシなどを手にし、以前から知っている美術館ではあったのですが、なにかきっかけというか、縁がありませんでした。そればかりではなく、他の人の作品ももちろんあるけど、サルバトーレ・ダリを中心として、ダリのために生まれた美術館。多方面で高い評価を得ている人。でも個人的には、(それ自体にももちろん大きな制作意味や動機があるのはわかるけれど)あまりにも内証的ではないのか、特にダリが生きていた時代のことを考えると。と思っていたせいもあったかもしれません。
 でもこのたび、ある人の口からこの美術館、ダリの作品の素晴らしさのことが出たので行ってみたのです。すべて“物事には時がある”の今回がその“時”だったのでしょうね。
 で、すごい発見というか、すっかり私の中で評価が変わりました。やっぱり芸術家なりなんなり、社会に何らかの影響を与えうる人は、意識して、“平和”のためにその影響力を使わなければだめだということ。社会・社会問題から身をひいてはならないということに改めて確信を持ちました。
 ダリの作品の中での評価はわからないけれど(もちろん今回で他の作品の理解がずいぶん深まりました)原爆をテーマにこの「ビキニの3つのスフィンクス」で、ダリも内証的な作品ばかりではなくこのような作品、発言もしているということが私としては初めてわかり、大いに見方が変わりました。だってマスコミの取り上げ方がよくないと思いますよ。確かにマスコミが取り上げたことも事実なのでしょうが、そればかりが強調されてしまって、他の同時代の人とは違うイメージが作られてしまいましたよ。