2018年3月24日土曜日

ドナルド・キーンさんのこだわり


新潟日報に連載されているキーン誠己さんの“素顔の父 ドナルド・キーン ともに暮らして”(2018312)にこんなものを見つけました。

ドナルド・キーンさんについてはこれまでにも何度か書かせてもらっていますのでここで改めて一から詳しく紹介はしませんが、経験から近くにいるとそれはそれで大変な時もあるだろうなぁと思いながらも、90も半ばになっても変わらずお元気なようです。

 このたび目に留まったのは 好きな色 に触れたところです。

好きな色は 緑 青 グレー 茶色 

嫌いな色は  赤と黒  

黒はナチズムなど全体主義という感覚があるので嫌いなんだとのことです。

こんなところにも一本筋の通ったぶれないこだわり が感じられて、なんで?と言われても良く説明できませんが何か惹かれてしまいました。

こういうこだわりって大切だと思うんです。

2018年3月21日水曜日

AI が人・社会を変えてしまうというけれど  2/2


大学卒業後久しく会っていなかった友人に会いに出かけたことがあります。友人の家は結構山奥で、電気は来ていたけれど飲み水は山から引いてくるような地区でした。その時のご両親が歓待してくれた事、お母さんの手料理もその夜初めて口にした地酒のおいしさも格別なものでした。 帰りに同じ銘柄を一升瓶で一本買い求め、後日飲んだもののどうにも味が違う。 やはり“あの夜 あの場所”で飲んだからゆえのおいしさだったのだろうなぁと思った覚えがあります。

人が亡くなった時その人の持っていた記憶というのはどうなるんだろう どこへ行くのだろうという疑問がずっとあります。その人の家族なり知人なりが、もちろん故人の想いと言ってもいい記憶を、すべてというのは無理ながらも聴き受け継いでいくという事が継承し残していくという行為なのかなぁと思うようになりました。 自分の生活、人生をすべてハードディスクに画像として残しているという人のことを聞いたことがありますが、すごいなぁと思いながらも機械的に写したり録ったりがすべての人のすべての時でできるわけではないしという印象を持ちました。それが今回の茂木さんの言葉で、ハードもソフトも格段に変わってきたけれどまだまだ“記録”できないものがいっぱいあるんだなぁと気づかせてもらったわけです。

AI が人・社会を変えてしまうというけれど 1/2


10年後には無くなっている仕事 なんて見出しが登場するほどに“AI”導入の流れは進むばかり。最初は“計算機を応用したもの“程度から始まったものが、ハード面でもソフト面でも大きく進化して日常の生活に(車も家電も)コンピューター・マイコンが大きくかかわるようになり、気づけば(気づかないうちに ?)コンピュ―ターなしではすべてが成り立たない世界・生活になってしまいました。そこへ速さ 反応だけでなく自分で考えて進化していくAI・人工知能の流れですからついていけるだろうかと考えてしまうのも無理はないのかもしれません。

そんな時、脳科学者の茂木健一郎さんがAIに関して書いていたものを目にする機会があったのです。送られてきた週報の中で触れられていたもので、初出典は201657日付の茂木健一郎さんの公式ブログという触れ込みで紹介されていたものでした。(私も検索して読んでみましたが、ブログとまとまったものではなく、ご本人の弁では 連続ツイートという触れ込みのでした。) 以下少し紹介させてもらいますと「  たとえば、とてもおいしいものを食べたとして、その“おいしさ”自体を記録することはできない。将来的に技術が進んだら、というような話はできるけれども、とりあえず今はできないし、将来もできるとは限らない。“感動”も記録できない。なぜならばそれは個人的なものであり、複雑なパラメーターに依存し、しかも時間的には一回性の物だからである。その感動を与えた風景なり、公演なりは記録できるかもしれないが、感動は記録できない。感覚にせよ、思いにせよ、本当に大切なことは記録できないということは、この記録メディア全盛の時代において、よく考えておくべきことだと思う。たとえば、大切な日の想いでも、本当に重要なことは、どんな方法を使っても、記録できない。以上の考察から導かれる帰結は二つである。一つは、“今、ここ”の感覚や感情を、よく把握しておくこと。マインドフルネスは、この領域に属する。もう一つは、上手に思い出すこと。自分の今までの人生での、エポックメイキングな出来事を、ときどき、上手に、思い出してみること。それ以外に、ほの暗い過去から、自分の今を照らし出す高原を取り出す方法はないのである。」茂木健一郎