2024年5月29日水曜日

つつじ と さつき の見分け方

  少し前からあちこちで目を楽しませてくれる つつじ と さつき。 両者の見分け、これが意外と難しいのです。 車で走っていると、きれいなんだけどどれがどれやら説明できません。  

 5月に咲くから さつき、その前に咲くのが つつじ …  だとかなんだとか諸説いろいろあって。

 でもこの説明がこれまでいろいろ見聞きしてきた中で一番しっくりきました。 車で走りながらでは、一斉かパラパラかくらいでタイミングが悪いと判別しきれないと思いますが、歩きながら少し時間が取れるようなら両者を見分けられそうです。


しんぶん赤旗 2024.5.14



大勢の人がかかわってここまで来たと同時にまだまだの現状

 働く広場 障害者雇用 2024.1 No 555  の掲載記事より。この記事著者作成の日本におけるパラスポーツ年表を転載させてもらいます。

 もう少し前のことになりますが。以前勤めていた職場先近くでたまたま見つけた、こちらにおけるパラスポーツの連絡先。いろいろに取り上げられメジャーになってきたかと思っていたパラスポーツの事務所がこんな市中心部からは離れた交通も不便な場所で、奥に長く周りの建物とのスペースもなく日当たりも悪い築年数も相当に古い建物、もちろん常駐している人はいない所でびっくりの思いをした経験があります。  


この年表に載せきれない取り組みやかかわった大勢の人がいることを知っていますが、ほんと一つの資料として。





No Charity ,Bat a Chance !

 No Charity ,Bat a Chance !  保護より機会を!

 ここでは日本パラスポーツの父として紹介されている中村裕博士。 1960年にリハビリテーション研修で訪れたイギリスでの出会いが発想の転換を促し、その後の日本を大きく変えた人になります。 障碍者の自立を支援し社会復帰を目的とした 太陽の家 を設立した人でした。

 社会が大きく変わる時期だったのかさまざまに取り上げられ、太陽の家 のことはそのころの私でも知っていました。

働く広場 
障害者雇用 2024.1 No 555  より

2024年5月25日土曜日

平和行進の起源


                         しんぶん赤旗 2024.5.15


 核兵器廃絶 平和運動は年中休むことはありませんが、2月末からのビキニデーの集会から始まり、今年も8月の原水爆禁止世界大会に向けての平和行進が各地で始まりました。 自身これまで何度も参加して来た平和行進。幼い子どもも含めて家族して参加したこともありました。まだ小さい子どもにどれだけのものが残っているか確かめようがありませんが、日々の生活の中で何かの折に触れて思い出してくれたらと思っています。

 さて、その平和行進が最初は一人から始まったとは知りませんでした。 平和を望む人 何かしたいと思っていた人がたくさんいたからこそ広がり今まで継続してきているのは確かなわけですが、コロンブスの卵のように最初に思いつき行動した西本さんがすごかったということなのですね。


2024年5月18日土曜日

今日は ことばの日

  今日は「言葉の日」なんだそうです。 様々な団体が毎日 今日は○○の日 と制定していて「こんな日もあるのか」と感心することしきりなのですが、”ことばの日゛と言われると一段と関心がわきます。 何せ私がこだわりを持っ事の一つが”言葉゛なものですから。

 ですから 最初に与えられた子どもには、神 真理を喜ぶ。次に与えられた子どもには、神の証人。次に与えられたこどには、神の言葉は 真理の言葉。 と名ずけたほどですから。


しんぶん赤旗 2024.5.18


2024年5月12日日曜日

日々身を削る思いだけれど 死亡リスクは 持ち家を1とすると 公的賃貸が1.17 民間賃貸が1.45


しんぶん 赤旗 2024.5.12

 思いは一層募っているのですが、仕事に追われるどころか押しつぶされながらの毎日で実に久しぶりになってしまいました。 この4月からは、この年になって今までで一番肉体的にきつい仕事についています。 それも、実際そのタイミングでなかったとしても早晩住宅の改修はしなければならなかったと思うので、最後のチャンスだったとは思っていますが在職最終版のタイミングでの住宅改修の返済で身を削っています。  あと、保育園に提出しなければならない 就労証明書 を何とか入手しなければということでの今の仕事。 これまで、従事している人たちを目にして、大変な仕事だなぁと思っていましたが、昨年までの職場で痛めた腰背部と左のお尻と下腿部の痛みがあるのでとても大変です。 
 家族のために 目標100歳 と宣言したものの、こんなに痛い痛い言いながらずっと行くのかなぁと思います。
 そんなこんなの中でいろいろなことを見聞きし感じているわけです。この肉体がなくなった後の この記憶 がどうなるのか、とにかく伝える書き出す が必要と思いながら思うようにいかない毎日です。
 でも100歳に向けて死亡リスクがこんなに違うとは。 自分でもういいと言ったらほんとに終わりだと思いますが、悪い話には耳をふさぎ いい話頑張ろうという気持ちになる話は逃さないようにします。 頑張ります それしかないですよね。