こちらもすっかりご無沙汰ですが身体が痛い痛いと言いながら元気にやってました。先日のEメールの編集したものを載せました。 神様の恵みはすでに充ちている というエピソードです。
ご無沙汰しています。 Mの誕生日には想いのこもったカードを頂きありがとうございます。週報を送っていただく時のコメントにはいつも感謝しています。
以下近況を少々。
Mはこの春から年中組(どんぐり組)に進級しました。顔つき身体つきはすっかりお兄ちゃんに変わりましたが、まだ今の所は隣に来たり座っている足の上に乗ってきたりしています。
Jは、勤めていたデイサービスが昨年12月に突然の事業停止で無職になった後の時間を「介護福祉士試験の勉強ができる」と良い方にとって一生懸命でした。 仕事の方は、幸い2月から別のデイサービスに勤めています。前はやっていなかった送迎なども担当するようになり気を遣うようですが、仕事でも人間関係でも感謝する毎日です。
私のN校勤務は2年目になりました。1年働いてわかってきたとはいえ、~、身体は楽とは言えない毎日ですが新しい事に触れる楽しさに感謝の日々です。「大変なのは仕事ではなく人間関係」という点でも今の職場は恵まれています。 難点は、毎月の勤務日数に上限があり、お休みの月がある つまりその月は無収入という事。勤務の無い3か月は国民健康保険に入らなければいけませんがこれがまた高い。 子どもの服も靴もすぐに小さくなり買い替えなくてはいけません。去年の物(いやもっと前)の物でも着ることができる大人とは全く違います。
神様のお考えで、最愛のマイハーフを与えられ子どもに恵まれ、仕事もある。家事炊事の段取り、やりくりで頭を使うから認知症にならない(?)でいられるのかもしれません。2人と同じものを食べていますから栄養不足も防げています。
一人だったらしない苦労かな?と思ったことがなかったとは言いません。でも同時に思うのです、いろいろあって大変だけれども、もし一人だったらつまらない毎日だっただろう。 食べるものも食べないで、つまらない毎日を繰り返して早くに亡くなってしまっていたのではないかなぁと。 だから感謝しています。
私の母教会の礼拝をずっとお休みしてしまっています。きっかけは、故国を離れ心細い思いをしているJのためにというはずだったのですが、今思い起こすとこれも神様のお導きでした。JesusChristOurBanner(JCOB)という、フィリピンから日本に来ている人たちが多く集う礼拝に出席しています。
JCOBの礼拝は感謝々々の礼拝です。 私は言葉が十分にわからない分良く聞こうとし、みんなの感謝する姿に大切なものを改めて気づかせてもらう礼拝です。
どちらのスタイルがという事ではないのですが、色々に難しく考えすぎていた私に「もっとシンプルに、嬉しいとか楽しいとか感謝だけも有りだよ。」と気づかせてもらっている礼拝です。
始まりの讃美歌の時間。終わりの讃美歌の時間も、楽しく元気が出ます。
『サラという一人の婦人が牧師からの急な頼まれごと「家を失った人への届け物」に、自分の予定を変更してでもと思って引き受けるものの、行先が随分遠い所で思わず「神よ、ガソリン代がかかりすぎます。」と言ってしまうのです。すると「君の必要をずっと賄ってきたでしょ?」と精霊がささやかれたかに感じ「そうでした。赦してください。」と祈り出かけたというのです。』 そうして出かけた先の若い夫婦には赤ちゃんがいて、その赤ちゃんを抱っこさせてもらうのです。『帰り道「こんなにシンプルで、こんなに幸せな気分になる奉仕をくださった。」』と神に感謝する、というお話でした。 沁みました。
自分の都合を先に思ってしまうときでも、そのもっともっと前から神様がすでにすべてを賄ってくれている、すでに神様の愛で充たされていたことに気づかせてもらえた、感謝というお話。