2016年4月14日木曜日

14・11・6  大浦湾側からキャンプシュワブを望む


実際は今度で2度目なんですけど報道で頻繁に目にしているからか辺野古・岬・漁港の座り込みテントには何度も来ているような感覚です。一回目の時ついに来たという感じでテントそしてフェンス前に立った印象が鮮やかだったし、あちこち見て回わって写真をいっぱい撮り、その写真を何度も見返してそれプラス報道でも目にしていたものだからそんな感覚にもなろうというものです。

今回辺野古へは前回とは反対の方、やんばるの森・東村から向かいましたので大浦湾沿いの道を通る形になりました。 前の時は那覇市宜野湾市といった繁華街を通り抜けて辺野古の港にやってきたので、都会のにぎやかさ建物が途切れて辺野古漁港・テントに着いたという印象でした。今回はよく言えば自然豊かで静かな環境ともいえるんだけれど、開発されたにぎやかな街を抜けてという感じはありませんでした。 

 懐深い穏やかな入り江という感じの大浦湾沿いの道の駅で小休止。少し小高くなったところに立って見渡すと右奥(この場合ほんとは湾の出口ですが)に辺野古・岬基地の建物が望めます。 ここからでは湾全体を写し取ることはできませんが、右奥の建物はキャンプシュワブです。こんな穏やかでいい環境のところに巨大な軍事基地を作ろうなんて、(普天間)“返還”という体のいい言葉がついているけれど実質 規模も機能も拡充しての新築移転なのによくもまぁ いけシャーシャーと と思います。

 そこまで思っていてハタと気づきました。過疎地あるいは開発が進んでいないわざと進めないでおいて(対立が生まれるように持って行って)原発建設を飲ませようとするのと同じパターン、基地 原発ができれば仕事・雇用が生まれ地域が発展する!という甘言で“新たな基地”を作ろうとしているんだなぁと。

対立していては本当の意味での豊かな暮らしなんて遠のくばかりなのに。

2016年4月8日金曜日

“責任を取らない日本”


先日、2年前に行方不明になった当時中学1年生の女性が奇跡的に監禁状態から脱出・保護さるという出来事がありました。それでマスコミ・ワイドショー番組は大騒ぎ。

このようなこと前例がなかったわけではありませんが、犯人が逮捕され取り調べが進む中で明らかになったことの一つが、「大変なことをしてしまった」と裏に書かれたレシートが逮捕時持っていた袋に入っていたということでは思うことがあります。これを聞いた時私は、やってはいけないことをしてしまったという認識はあったんだななぜそれが誘拐する前に思えなかったのか、と思いました。ところがこのメモは彼女が保護され今犯人の行方を追っているということをニュースで知った後だというのです。 えー 誘拐という大変なことをした2年前のことではないの! 悪いことをしたからではなくて、見つかってしまったからからなの!とびっくりしました。 何が悪いことなのか なぜ今大騒ぎになっているのかがわかっていないのです。何が悪いことなのか、なぜ今自分が逮捕されるのかが理解できていないのです。

今回犯人は23歳という若い年齢ですが商品偽装などがばれてしまったとき謝罪する会社幹部、収賄・汚職がばれてしまった時の政治家と同じで、悪いことをしたから謝るのではなくて見つかってしまいましたごめんなさい、と誤っているだけなのです。

悪いことをした 責任を取るべきことをしたから 謝罪するということにはなっていない “責任を取らない日本” がまた繰り返されていると思っています。

想う人より 想ってくれる人


どんな人と一緒になれたら幸せか? これ大きな設問、けれどこれは私の中ではすでに結論の出ていること。 それで前々から言っていることなので「もう聴いた(読んだ)よ」と言われることかもしれませんが今再び。

 

遠く離れた彼女とは今でもテレビ電話の画面に顔を見つけるとお互い“ウフフ”と表情が崩れてしまいます。

そして写真。シャッターの切られるその瞬間は私自身カメラのほうを注視しているので気づかないでいたのだけれど、先日の写真を整理・印刷していて気づきました。彼女がひょんなはずみで一瞬見せる頓狂な表情、私はいい意味でそんな地の表情も好ましく好きだけど、写真の中では目元や頬を大黒顔にして身を寄せてきてくれていました。彼女の私への想いがしっかり出ているこの仕草に私の想いも募ります。