2017年秋 “打たれたような” というのはまさにこういう瞬間を言うのだろうなぁと感じる日曜の朝がありました。
礼拝で歌われた「アイ・サレンダー・オール」が私の体に伝わり身体に魂に強く響きました。 詩の正確な意味は、言葉の関係で私が勝手に思い込んでいた状態なのかもしれませんが、でも今ここにいるみんなの想いは伝わりました。みんな泣いていました。この世のすべて自分の生活すべて、好い事楽しい事だけでなく苦しいこと戒めも含めて、すべてを受け入れ感謝しています。神に守られているという事を確信し
ただ喜んでいます。
何の苦もない毎日ではなくて多くの困難・悩みを抱えているようなのに、ゆえにか歌にダンスに身体全体で喜びを表しているように感じました。 夜勤のある仕事をしている人も多くいるようですが、(いろんな意味で)“疲れた時こそ教会”を実践していると感じました。今日ここに集えていることを素直に感謝し(大きな)喜びに満ち溢れ、その思いを表しています。
(日本)人だと できれば隠しておきたい苦しみや悩み行いまでも口にだし祈っています。口に出さずともすでに神はすべてをご存じなんだからという思いも無いわけではありませんが、こうして祈るという事が大切なことなんでしょうね。 そう思うと私は神様にすべてをゆだねているかさらけ出しているだろうかと強く感じました。
日本人はなんでも“道”修行にしてしまいます。 祈り方も約束事があり、私も教わりました。ちゃんと祈ろう。自分のためではなく、他人のため教会のため世界のために…、恥ずかしいことは口に出さない… 形にとらわれて祈ろうとしているんじゃないかと思ってしまいました。
良くなろう 正しい人になろうとすることは悪いことではありません。でも、それゆえか、周りから教会にいる人を見る目には間違いを侵さない好い人という印象があるのではないでしょうか。
JCOBの礼拝に集っている人たちを見ていて、教会(礼拝)は楽しいものだという印象を初めて持ちました。日本人は、自分の方から教会の敷居を高くし難しくして遠ざけているのではないかと考えてしまいました。もっと単純に楽しみ喜んでいいんだと気づかせてもらいました。
0 件のコメント:
コメントを投稿