先に東京スカイツリーで行われた実験は“時間”にこだわりのある私としては改めて思いをはせるきっかけになりました。 実験そのものは、アインシュタインの一般相対性理論の重力の強いところでは時間がゆっくり流れる をより日常の尺度で捉える、地上と人工衛星と言う尺度ではなく地上とスカイツリー展望台の高度差ででもとらえることができるかで行われました。 この技術をもって将来、プレート活動や火山活動による地殻の変化の把握につなげたいという事です。
備忘録として
「秒」を計るとは
周期現象(振り子運動)を図ることで行われる。 前提として、正確な周期現象を見つけることが必要。 その見つけ出した正確な周期現象を測定する技術が必要不可欠。
秒の「再定義」
かつて時は地球の自転・公転を基準としていました。 けれど地球の自転・公転は変動していることから、1967年にセシウム時計を基に「秒の再定義」が行われました。
このセシウム時計は1955年にイギリスで発明されました。 発明後さらなる精度の向上が図られてきましたがその限界も明らかになり、1980年ころからセシウム時計に変わるものの研究が進められ。2001年、ストロンチウム原子を利用しての光格子時計が考案されました。 このストロンチュウム原子を利用した時計・技術は2014年になると、宇宙の年齢とされる138億年を超える160億年でも1秒しかずれないという精度を実現しました。 その後このストロンチウム原子を利用しての光格子時計は、構造が複雑で大型 測定方法も複雑で時間もかかると言う所の改善が図られ、現在では正確な測定方法の簡略化 小型化が図られ持ち運び可能なところまで到達しました。
と、ここまでが備忘録的な内容になるのですが、私にとっては人の時間に対する感覚 正確さの必要度が歴史の変化(進歩?)と共に変わって来たんだなぁと感じるエピソードでもありました。 今から60年も前の話、日本の海外医療支援の先駆者 岩村昇医師にまつわる話・エピソードが頭によみがえってきます。次の満月まで 次の朝まで この花が枯れるまで ・・・。 人・人類の地球の外にまで広がる関心は実際に宇宙にまでその歩みを進めました。そこではより一層の正確で共有のできる時間・時計が不可欠でした。ですから今までの変化“進歩”は当然の帰結だったのでしょう。 でも私思うのです。今の技術の世界、必要とされ到達している技術の話からすれば、私の言っていることは ポエム の世界・時代の話なのかもしれないけれど、人と人との関係 人間・人生のことを考えると最先端の技術が到達した時間、その考え方とは別の時間が同時に有って、それはいまだに大事なんじゃないかなって。 こんなことを思ってしまうのです。