誕生日 子供の誕生日を祝うというような一日では無くなってしまったけれど、それでも年に一度の節目としてその日が近づいてくると、以前に比べれば先を見るより振り返る方が多くなった気がしていますがいろいろに思ってしまいます。 そんな時、何の弾みか映像として昔の振る舞いが思い出され身体が熱くなる事を繰り返しています。 私(人間)の一生なんてつかの間もつかの間、人類の歴史 地球と言う衛星の時間から見ればほんとにわずか過ぎる時間。けれどそれほどの時間でしかなくとも、当の私にとっては山あり谷あり様々な出来事にまさに翻弄されてきた日々でした。 あの時別の選択をしていたら あの時別の言葉をかけていたら… 。別の選択をしていてもそれが正解だったかどうかは何とも言えませんがそんなことを思います。 私の人生においてこうしてこれまでのことを振り返る事ができるようになったということは、それだけの人生・時を生きてきた。その間確実に“時”が流れていたという事だなと思いました。 経験を重ね時間が流れ過ぎたので、今“その時”を振り返られるようになったという事だと思っています。 加えて、その後さまざまに学んだことの一つ“気質”と言う言葉が自分自身の理解を深めてくれています。
こんなことを考えるようになれたという事は、人生を重ねほんの僅かばかりでも変わって(成長して)来たという事かと思っています。 これまでを思い出すと身体が熱くなることがたくさんありすぎますけれど。
重機を使って掘られた長方形の“穴”にCOVID-19 の感染爆発によって亡くなられた方々が、脳隊袋に収められたまま防護服を着た人達によって埋められていきます。 そこには亡くなった人のために泣く人はいません、弔いの式はありません。 その様は、(戦)争いによってあまりにも多くの人がわずかの間に命を奪われ亡くなってしまったものだから、一人一人の死を悲しむことを忘れてしまった時と似ています。人が死ぬという非日常が日常になった時と同じように映ります。 感染を防ぐためとはいえ、最後のお別れをすることも許されずお葬式を行う事もできません。今は
常ではなく異常 日常ではなく非日常 なのです。
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