2021年6月27日日曜日

聞き馴染みの無いカタカナ言葉にはご用心

 


対応する日本語がちゃんとあるのに必要以上にカタカナ、それも往々にして日本以外では通用しない“和製英語”が横行しています。そのいい例が、この度のCOVID-19に関しての小池都知事の言動。 古く徳川家による政権・江戸幕府から天皇家による政権・明治政府に変わり文明開化の掛け声のもと物心両面一気に多くの物が取り込まれました。それ以降、どうしても日本語の方に相当するものがなく、翻訳もしきれず外国語を直接カタカナに置き換えたケースはあります。文字を見た目、デザインとして取り上げるという事も有ります。 でも昨今の動静はそれだけではありません。日本語にも同義のものが有り概念としてもある物でも、わざと本質を隠すため 自分の至らなさを隠すため 自分をひけらかすため、わざとわからないような単語を出してくる。(それがまた、響きを優先するものだから本来の使い方とは異なっていることも往々にしてある情けなさ)

 小池都知事の話には具体的手立てが伴っていなくて「それで結局どうなの?」となってしまいますが確かにパフォーマンスとして話題になります。 片や菅首相は、たくさんしゃべればいい パフォーマンスとして成立すればいいというわけではありませんが、相も変わらず 場当たり 後手後手 先の見通しが立たない (決断しない)の繰り返し。 これに関しては先日「菅首相の話にはロードマップがない。だから場当たり的 先の見通しが立てられないのだ。」と言う言葉が聞こえてきました。それでこんなことを思ったのです。 先行きの見通し、予定 計画。「ロードマップ」と言う言葉には確かにそういう意味 使い方もありました。でも一般には「ロードマップ」と言うと素直に「道路地図」ととってしまうんじゃないでしょうか。日本語にも「行程表」と言う言葉がありますし。

本来の用法、本質を見えないようにしたという事では「TPP」のことを取り上げないわけにはいきません。TPPの「T」、この場合の本当の意味ではトランス-“太平洋を越えて” と言うどちらかと言うと対アメリカ合衆国と言う事だったのに、日本の国民の前には“環太平洋” 太平洋を囲む国々の という別の言葉で紹介されました。太平洋を越えてアメリカ合衆国とその他の国と言う利害関係で言うと相反する関係にある協定を、平等の立場で協力し合ってというものに、すり替えて“約し”() 本質を隠したわけです。 事程左様に、為政者―偽政者が、これまで聞いたことのない カタカナ言葉で発言するときは 眉につばを付けて聞くようにしなければいけません。

2021年6月14日月曜日

レッドリボン要らなくなったの!!  外免切り替え顛末記 2/2


   2019年。フイリピンのカード式の免許証の更新時期に合わせて帰国。 免許証の更新手続き、国際免許証そしてもちろん“レッドリボン”  長かった~。「1週間で持ってきますよ!」 そういう人もいたのかもしれませんが、私の場合はここまでで2年かかりました。

再来日後、今度は国際免許証があるからさっそく練習。と思ったら、冗談でなくカーブでのハンドルの戻しが足りなくてほんとに一台だめにしてしまいました。 「やっぱり自動車学校からでないとダメだ!」と心を決めて問い合わせたものの「テキストも講義も仮免の試験も日本語なのでダメ。」と断られ。じゃあせめて、ペーパードライバーが久しぶりに運転を再開する時ようの講習も目的が違うからダメ、と言われてしまいました。 それで考えあぐねた末自動車運転教習所に行くことに。  教習所は、免許センターに隣接し何カ所かありました。実際に試験の行われるコースで運転練習、手続きや試験・コースのこと等々アドバイスをもらうこともできました。教習は1回1時間5,500円、20回近く通いました。その後、直接センターのコースを借りて練習もしました。こちらは1時間1,200円。これも毎週、1時間2時間と通いました。 受験枠がいっぱいで予約が取れないという話も教習所で初めて知りました。結局受験予約は、年を越してからの日程でやっと予約ができました。 

年が変わり予約日当日。今度はレッドリボンも添えて申請。(レッドリボンはこれまで苦労しただけあって立派でありがたみのある物) ところが妙なことを聞かれたんです。「これは5月以降の物ですかどうですか?」と言うのです。聞けば「今はレッドリボンがいらなくなった。」と言うじゃありませんか! びっくり ショック。やっとレッドリボンを持ってきたのにとほんと思いました。でもまぁ20195月より前に発行の物は変わらず添えて出してもらうとのことでしたので無駄にはなりませんでしたが。  

最初は筆記試験、10問のうち8問正解で合格。もちろんJAFの冊子などで事前に勉強はしましたが、運転教習所の人に「常識問題だし大丈夫ですよ」と言われて臨んだものの正解が6問で不合格。当月にはもう予約が取れなくて合格は翌月にずれ込みました。 筆記試験後の実技試験一回目は車線間違いでスタート直後にアウト。(このコースは私でも間違えそうな造り) その後も“落ちては翌月再受験”が続きました。あまり続くものだから「15回も受けた人が居るから」と変な慰められ方をする始末。 結果として6回目でやっと合格でした。一度合格すると半年有効の筆記試験ですが、また申請し直して試験かなぁと思っていたのでギリギリでした。「合格です!」と言われた時はうれしかったー。 

2021年6月13日日曜日

レッドリボン要らなくなったの!!  外免切り替え顛末記 1/2


  おかげさまでフィリピンで取得した自動車運転免許の日本の運転免許への“外免切り替え”がやっと終わり1年たちました。 切り替えまでいろいろありました。苦労している人が多いのはウェブを見て知っていました。その数々のエピソード“苦労”を見ていて同じだなぁと感じたのは、運転技術もさることながら例えば自動車学校を利用しようとしたときの言葉の問題が大きな問題。(扱い言語は一律ではありませんが、免許センターでは日本語以外での受験加) 後、同様のケースは珍しい事ではないようでしたが“レッドリボン”でしょうか。

 振り返れば、2015年「介護の仕事がしたい」と初来日。パソコンの方は問題なかったものの車の免許がない(運転は必須ではないけれど)。医療 福祉において特に大切な人柄 人間性は問題なし。とは言え言葉は大きなネック・・・ と書いてくると様々なことが思い出されるんですがここは思い切って外免切り替えに絞って。

婚約そして結婚が具体的になって、日本語の取得の事 運転免許の事などいろいろ相談しました。 結果として運転免許は、フィリピンで免許を取ってそれを切り替えることにしました。 これは順調に免許を取得(あっけないほど)。日本での外免切り替え申請に滞りの無いように連絡を取り合いながら書類の準備をしました。フィリピンでは合格手続き時の領収書が証明として大切で、日本の様なプラスチックのカード型の運転免許“証”は必須ではないとのことでしたが念のためそれも取得してもらいました。でもレッドリボンがどうしてもそろわなかったんです。人を介してではありますが、担当部局に確かめても「これで大丈夫だ。問題ない。」でどうにもなりません。(確かにそうだと思います。間違いないと保証 証明している書類そのものを重ねて間違いないと保証 証明する書類というのはいったい何なんでしょう。) 結局、フィリピンで2016年に取得した免許を日本で切り替え出来たのが2020年にまでずれ込んだのはこのレッドリボンの存在でした。 20173月、外免切り替えに必要な書類をそろえて運転免許センター窓口へ行き申請。1時間も待ったでしょうか「書類審査は完璧です。」よかった! ところが続いて「ただ一つだけたりない。レッドリボンが」と、今完璧だって言ったのは?と思いました。 それは「確認したけれどこれでいいと言われたんだ」と言うものの らちが明きません。話では、こういうケースは珍しくないとのこと。そしてこうも言っていました「みんな一週間くらいで持ってきますよ。」と。そうは言われてもとても信じらません。 それでも念のため、フィリピンに居る知り合いに聞き、ネットでフィリピンLTOも調べてみたものの手詰まりで時ばかりが過ぎていきました。まさかこんな事態になると思わなかったので、国際免許証を取得しておかなかったのが悔やまれますがそれも後の祭り。