2021年10月31日日曜日
2021年10月30日土曜日
岸田傀儡政権誕生
特に今回はアップすればいいだけの所まで来ていながら、家族の入院と退院後の生活に追われ遅れに遅れてしまいました。 いまさらというところですが、この時はこう思ったという記録として。
何のことはない。この度の自由民主党(自民党)総裁選挙は、「御破算で、願いましては…」とか『すごろくで「振出しに戻る」』まさに「大山鳴動鼠一匹」状態でした。
議院内閣制をとる日本において過半数を超える議席・議員数を要する自民党の総裁を選ぶという事は事実上次の首相が決まるという事になるので他の政党の党首を選ぶ事とは意味合いが違うにしても、この間の報道各社の取り上げ方は尋常ではありませんでした。 菅内閣
安倍内閣がしてきた負の事柄 公約・政策がどうだったかかも併せて報道するならまだしも、それらには触れないだけでなく新総裁4候補についても粉飾して伝える。 その後誕生した岸田内閣は所信表明こそしたものの、具体的に何かをする暇もなく解散総選挙に打って出る戦術を取りました。 そうみてくると、衆議院解散を目前にしてその後の政権対応を見越してマスコミ界挙げて自民党の宣伝を競ってしてあげている、と言う様相でした。
岸田内閣は3A(安倍 麻生 甘利)三氏、特に安倍さんの傀儡政権などと言われています。売りだった「話をよく聞く」も「安倍さんの話をよく聞く」だったことがだんだん明らかになってきました。 組閣後具体的な政策の提案も執行もないままに国会・衆議院を解散してしまったのは、何もしない‐失敗しないうちに衆議院解散 総選挙という事は、国民からすれば判断材料を持たないままに選挙・投票をせざるを得ない状況という事になります。とは言え、そうするとなおの事安倍内閣 菅内閣の悪行の数々、COVID-19では後手後手中途半端、結局行き詰まり政権を放り出すことになってしまった前 元の政権のやったことを国民は忘れたわけではありませんので、安倍傀儡政権とまで言われている岸田政権は結局のところ前 元の政権のやったことで判断されざるを得ないことになってしまったわけです。 この度の戦術が果たして吉と出るか凶と出るか… 安倍・菅政権9年間と3Aの傀儡岸田政権という事で行けば凶となって当然ではありますが。
2021年10月16日土曜日
「ディフェンダー」と言う名前の持つ歴史と魅力
“新型”ディフェンダーを見かける事が出てきました。こちらでも購入する人が出てきたようですね。これもデザインなのでしょう、フロントボンネットのネームでディフェンダーという事はすぐわかりました。 車を止めて戻ってきたら隣に黒いボディのディフェンダーが止まっていて改めて見てみました。ボリュームのあるデザイン、大型で盛り上がり色のせいか小山のようです。 何十年ぶりかの新型が構想されているとき、新型は伝統のラダーフレームを採用しないということで賛否が分かれました。その時「十分な強度は確保している。現在では、そのデメリットよりもメリットの方が大きい。」という説明がなされていたのを覚えています。いずれにしても、日本においてその限界が見えるほどに走らせるなどという事は無いでしょう。
運転中にすれ違うのではなく、止まっているところでよく見ることができました。 道路で目にするディフェンダーは結構軽快そうに直進しているように感じます。決して安い車ではありませんが、きっと機能的にはいい車なんでしょう。で思ったことが有ります。
先代ディフェンダーとGを比較して、快適さとかGは月でも走れるとか一度Gに乗るともう戻ってこれないとかという記事を見たことが有ります。それでも先代ディフェンダーの持つ魅力、愛車としていることでの満足感は新型だとか快適性だけでは説明しきれない物でした。 この度の新型も、間違いなく機能 性能的にはくらべものにならない進化を遂げているのは間違ありません。でも私には、この車新型ディフェンダーが「ディフェンダー」と言う名前である必要性を感じないのです。 これだけの車なら新しい別の名前でよかった、「ディフェンダー」と言う名前はそのような魅力を引き継ぐ車にこそ残してもらいたかったと思ったのです。
2021年10月3日日曜日
自然災害の犠牲者と虐殺された犠牲者は同じではない
もう一月たってしまいました。早いものです。
“防災の日”は1923年(大正12年)9月1日の関東大震災を契機に定められ、毎年その前後には様々に啓発啓蒙の取り組み
避難・防災訓練が行われます。自然災害として神戸 東北そして次なる大震災の危機が叫ばれ、地球温暖化で以前とは全く別物になった強風 豪雨 土砂災害も頻発していますので、一層の取り組み強化が急務。 自然災害は人間の力としてはどうにも防ぐことできません。直後の避難(所)の問題、その後の政府・行政の対応はまだまだ不十分。復旧復興が遅々として進まないのは人災。人災は変えることができます。
ところで、防災の日が定められる契機となった“関東大震災”の時には、その混乱に乗じて憲兵隊甘粕大尉らによる「甘粕事件」
「亀戸事件」などによって社会運動家が虐殺され、多くの朝鮮人(加えて中国人 吃音により発声の悪かった日本人含む)が殺害された事件が起きています。ですから9月1日には関東大震災被害者の慰霊祭とは別に朝鮮人犠牲者の慰霊・追悼集会も毎年行われてきました。 この朝鮮人犠牲者追悼集会には歴代東京都知事が東京都の責任者
代表として慰霊と共に再びこのようなことが起きないよう自戒の意味も含めて追悼文を送って来たのですが、小池東京都知事は今年も朝鮮人犠牲者追悼集会に 追悼文を送りませんでした。 この都知事としての小池さんの行為はもっと取り扱われていいと思います。 科学に政治を持ち込んではいけないと同様に、歴史も政治的に都合のいいように言い換えてしまうのはしてはいけないこと。小池都知事は「都慰霊協会による大法要で十分」という認識を示していますがそれでは足りない。決して同じものではないという事を端的に言い表した発言が有りましたので紹介します。
毎月掲載の囲み記事
「風の案内人・9月1たちに考えたこと」韓国語翻訳者 斎藤真理子 新潟日報 2021年9月5日号より 抜粋 まずは ~今年も小池東京都知事は朝鮮人犠牲者追悼集会に追悼文を送らなかった。その理由は 都慰霊協会による大法要で十分だというもの。しかし、自然災害の犠牲者と虐殺された犠牲者は同様に扱ってはいけない物。~ この前段に ~「わがアリランの歌」金達寿(キムダルス)1945年、終戦間際のころの心情描写がある。当時金達寿は25歳。本土決戦となればどういう事になるか。そのどさくさにまた、あの関東大震災の時のようなことが起こりはしないか。おかみさんたちまでがまた竹槍訓練などさせられているのを見るにつけ、それも私たち朝鮮人には怖かった。 23年の関東大震災のとき、流言飛語に乗って朝鮮人を殺した人々が竹槍を使っていたことはよく知られている。また戦時下の竹槍訓練も有名な話だ。だが、この二つの竹槍が重なって見えた人々がいたとは、想像したことがなかった。 金達寿は関東大震災を経験していない。しかし虐殺のことはよく聞き知っていただろう。それに終戦の年は、関東大震災からまだ22年しか経過していない。20代前半で竹槍や鳶口を手に「朝鮮人狩り」をやった人たちは、この時まだ40代の壮年期なのだ。そう思うと、金の覚えた恐怖感が生々しい。~
もちろん関東大震災のときの朝鮮人虐殺のことは知っていました。東京都知事になった小池さんが朝鮮人犠牲者追悼集会に追悼文を送らなかった問題のことも知っていました。でもこんな明快な言い方ができていませんでした。