2021年10月3日日曜日

自然災害の犠牲者と虐殺された犠牲者は同じではない

   


  もう一月たってしまいました。早いものです。

“防災の日”は1923(大正12)91日の関東大震災を契機に定められ、毎年その前後には様々に啓発啓蒙の取り組み 避難・防災訓練が行われます。自然災害として神戸 東北そして次なる大震災の危機が叫ばれ、地球温暖化で以前とは全く別物になった強風 豪雨 土砂災害も頻発していますので、一層の取り組み強化が急務。 自然災害は人間の力としてはどうにも防ぐことできません。直後の避難()の問題、その後の政府・行政の対応はまだまだ不十分。復旧復興が遅々として進まないのは人災。人災は変えることができます。

ところで、防災の日が定められる契機となった“関東大震災”の時には、その混乱に乗じて憲兵隊甘粕大尉らによる「甘粕事件」 「亀戸事件」などによって社会運動家が虐殺され、多くの朝鮮人(加えて中国人 吃音により発声の悪かった日本人含む)が殺害された事件が起きています。ですから91日には関東大震災被害者の慰霊祭とは別に朝鮮人犠牲者の慰霊・追悼集会も毎年行われてきました。 この朝鮮人犠牲者追悼集会には歴代東京都知事が東京都の責任者 代表として慰霊と共に再びこのようなことが起きないよう自戒の意味も含めて追悼文を送って来たのですが、小池東京都知事は今年も朝鮮人犠牲者追悼集会に 追悼文を送りませんでした。 この都知事としての小池さんの行為はもっと取り扱われていいと思います。 科学に政治を持ち込んではいけないと同様に、歴史も政治的に都合のいいように言い換えてしまうのはしてはいけないこと。小池都知事は「都慰霊協会による大法要で十分」という認識を示していますがそれでは足りない。決して同じものではないという事を端的に言い表した発言が有りましたので紹介します。

毎月掲載の囲み記事 「風の案内人・91たちに考えたこと」韓国語翻訳者 斎藤真理子  新潟日報 202195日号より 抜粋  まずは  ~今年も小池東京都知事は朝鮮人犠牲者追悼集会に追悼文を送らなかった。その理由は 都慰霊協会による大法要で十分だというもの。しかし、自然災害の犠牲者と虐殺された犠牲者は同様に扱ってはいけない物。~  この前段に  ~「わがアリランの歌」金達寿(キムダルス)1945年、終戦間際のころの心情描写がある。当時金達寿は25歳。本土決戦となればどういう事になるか。そのどさくさにまた、あの関東大震災の時のようなことが起こりはしないか。おかみさんたちまでがまた竹槍訓練などさせられているのを見るにつけ、それも私たち朝鮮人には怖かった。 23年の関東大震災のとき、流言飛語に乗って朝鮮人を殺した人々が竹槍を使っていたことはよく知られている。また戦時下の竹槍訓練も有名な話だ。だが、この二つの竹槍が重なって見えた人々がいたとは、想像したことがなかった。 金達寿は関東大震災を経験していない。しかし虐殺のことはよく聞き知っていただろう。それに終戦の年は、関東大震災からまだ22年しか経過していない。20代前半で竹槍や鳶口を手に「朝鮮人狩り」をやった人たちは、この時まだ40代の壮年期なのだ。そう思うと、金の覚えた恐怖感が生々しい。~

 もちろん関東大震災のときの朝鮮人虐殺のことは知っていました。東京都知事になった小池さんが朝鮮人犠牲者追悼集会に追悼文を送らなかった問題のことも知っていました。でもこんな明快な言い方ができていませんでした。

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