2024年6月15日土曜日

新潟市 西蒲区 岩室の私塾 聚石堂 他の紹介 明治の学生制定後の動きまで

 


              いわむろ  コミュニティだより 92 2023年7月1日


 まだまだ知らない歴史がたくさんたくさんあります。

最近では 「西の松下村塾 東の長善館」 と称された、燕市の長善館資料館も初見でした。 

出発の所から写真を撮り始める

  写真は ピントがアウトかどうかよりも 何時何処でシャッターを切ったかが大切だと思っています。

 私の写真は、隅々までピントの合った観光写真かなと思っていますけれど。 何を撮りたいか 主題がちゃんと写っているか。 でもそれが中心でなくとも(端)ピントが合っていなくとも、写真の意味がついてくる、キャプションが書ける。評価される写真になるのだと思います。


 ロバート・キャパの作品。彼の生涯。「ちょっとピンボケ」を記しておきます。



 






 私の写真の撮り方は、物でも話でも集まりでも、その場の手前から全体も収めるように心がけ柄います。その部分を知るにも、話のように、いつどこから始まっているのか周りは全体はどうだということも分るように心がけています。 それを意識させるようになったのは宮本常一さんの「佐渡」を扱った本を見聞してからです。 佐渡の本なのに、佐渡の地に向かうところから話 写真が始まっている。 それからですね。

吉田ルイ子さんがなくなられました

 


 写真家の 吉田ルイ子 さんがなくなられました。 (2024年5月31日)  89才だったそうです。 

 神様じゃぁありませんから、どうしようもないこととはいえ、時代と言うことでしょうか。

 写真一枚一枚がどうということももちろん触れるべきな事なのでしょうけれど、写真を撮り始めたころ師匠から50ミリのマクロレンズのみでの撮影という課題を与えられたというエピソードが印象に強く残っています。

 望遠ではなく標準レンズそれもマクロのみで撮影と言うのは、その場に それだけ近くに立たなければだめと言う事。 これは写真(機器)の扱いに長けるということではなく、人としての立場 考え方を厳しく問われ、何時何処でシャッターを切るかが左右されるということだと思います。 その後の吉田さんの生き方はそれで決まっていったのではないかと思っています。

 ご冥福をお祈りします。

鳥またぎ米 糧飯 笹団子

 


新潟市歴史博物館 博物館ニュース Vol.56
帆檣成林
2022.9.14
      より


 今ではみんな信じられないことだと思います。
でも私の記憶にあるくらいの昔、以前には量はとれたかもしれないけれど食味的には難ありだったし、農家の人たちはすごく大変な思いをしていたんです。

それにしてもよく調べるし、こうして記録(記憶)が残っていくんですね。


2024年6月1日土曜日

道の駅 かでな  これじゃぁ嫌がるわけです

  もうずいぶん前のことになります。 沖縄に行ったとき、道の駅かでなにも行きました。

 

 2012年のことですからもう12年も経つんですね。 それが最近どういういきさつなのか、大切なことだからなのか空きスペースを埋めるためだったのか「道の駅かでな」を紹介する記事を目にして。2003年当時の町長がアメリカ軍などの反対を押し切って建設されたものだということを知りました。  当時も、よくこんなところにこんなに見えるのを作ったなと思ったものですが、確かにこんなに見られたらいやでしょうね。






「子どもの学習費調査」2021 文部科学省

 ぅ~ん

学習費較差 格差の拡大再生産



しんぶん赤旗  2023.1.19


なんでも調査があるんですね。
もっともっと身につけなければ。


わざわざ世界に誇れる 保険制度 をなし崩しにしてアメリカ合衆国をまねる愚挙

 日本でもいる。意外と身近にいる。

こんなアメリカ合衆国をわざわざ追従。


しんぶん赤旗
2023.1.19