2015年2月26日木曜日

「地球は青かった」


映画 -ユーリー・ガガーリン生誕80周年記念 「ガガーリン」 世界を変えた108分- を観てきました。久しぶりのロシア(語)映画。ソ連時代のモスフィルムの薄茶色がかった画面ではなく、デジタルなんでしょうか画面・映像がすごく明るくクリアです。

「地球は青かった」いつこの歴史的名言が出てくるかと息をのみ、特に宇宙に飛び出してからのシーンでは注目していました。ところが、映画ではついに最後まで出てこなかったんです。これほど有名な言葉が出てこないとは! いつものように買い求めたパンフレットにわざわざ記載がありました。 実はこの言葉をガガーリンが言ったかどうかについてははっきりしないんだそうです。えーッ

 作品としては、未知なるもの・状態への恐怖とそれでも一番乗りを目指す若者の若さ美しさ。そして、人々の熱狂、国策に巻き込まれる個人を描いていました。ただしどんな都合で無理に編集をかけたのかと思うような唐突さを感じさせる、それが結局どうなった・話のどこにつながるの・何の伏線なのか?と観ていて消化不良になるシーンが何度かありました。そんなことも含めて少しあっさりという印象。でも生誕80周年を記念して造られた作品ということで言えば有りなのかな。

 

ところで、わたしにはガガーリン=世界初の宇宙飛行士ということで個人的に思い出があります。

まだ記憶もはっきりと残らないほどの頃、父兄(!)参観で「世界で初めて宇宙飛行をした人は?」というのにクラスでただ一人私が手を挙げてガガーリンと答えたのだそうです。 祖父・おじいちゃまが「どうだった」と問うのに答えて授業参観に来ていた母親がその模様を話して聞かせたら「そうかそうか」ととても喜んでいたという話を後になって聞いた思い出が。

祖父についてはまたいつか

2015年2月24日火曜日

接し方  “指導”と“援助” の接し方


 
 
指導

 何かをさせようとする接し方

 

援助

 何かをしたくなるようにする接し方

2015年2月22日日曜日

“葬儀式”今生の別れを受け入れるためのもの 平和な状態の象徴


母の実家のおばあさんがなくなりました。

昨年クリスマス前にお邪魔した時はちょうどお昼寝中で会わずに失礼しましたので、最後にあったのは昨年秋口が最後になりました。享年99歳。デイサービスやショートステイを利用しながら息子夫婦とともに家で過ごしていました。戦後の農地解放などで大変な中家を盛り立ててきた人生でした。私にとって祖母となる先代のおばあさん同様笑顔で回りに接し大変さを感じさせない品の良さを持った人でした。

今では息子たち孫たちも立派になり、本人の地域・お寺との関係の中で果たした働きなどが大きかったのか、特に長命のお年寄りのお葬式というと同世代はもちろんつながりのある人自体が少なくなっているので参列する人も少なくなりがちなものなんですが、お通夜は優に200人は超していたと思います。伴僧の方々を含めて五人ものお寺様が葬儀式を執り行ってくれました。だからどうなのと言われてしまうと返答に困りますが、弔電では市長や全国的にも有数の地方銀行頭取からのものが披露され正直驚きました。

このたび私は母の実家という縁戚関係ということもあり、通夜・葬儀式、御斎、お寺様へのお礼参り、家に戻ってからの親せきなど近しい人たちとの交わりすべてに参加させてもらいました。夜中140分に亡くなったという連絡を受けてからの一週間にもなる日々は、肉体的精神的に楽ではありませんでした。けれど、世界で繰り返される争いで命をなくし、その人の名前でその人の家族地域の人から偲ばれ弔われることなく死んでいく事態を知る中で、故人をしのび葬儀を行うことは平和な状態ということだということに気付いてから、故人・家族はもちろん社会にとっても意味のあることだと思い参加させてもらいました。
そして、実際いろいろな儀式を経る中で、かかわりのある人たちが亡くなったことを受け入れ今生での別れを受け入れる準備ができると感じています。

2015年2月17日火曜日

怖いもの見たさ をべつの言葉で言い換えてみると


人はつくづく好奇心の強い動物なんだなぁと思います。

怖いんだけど観てみたい。怖くて怖くて仕方ない、逃げ出したいくらいなんだけどその一方で少しだけでも見てみたい。

そんな心理を普段話し言葉で「怖いもの見たさ」」なんて言っているけれど、先日 五七五 七七 みたいにとても調子の好い言い方を知りましたので紹介します。

「恐怖に勝る好奇心」

おさまりがいいですよね。

2015年2月13日金曜日

映画「怪しい彼女」


昨年劇場で観て、鎖骨もまだ見えてこない少女体形のシム・ウンギョンがなんとも可愛く、ゴム鞠のように飛び跳ね魅力的に演じその発想も反応も話し方も観ていてとても面白く楽しかった映画「怪しい彼女」面白いのは確かなんだけどいったいどこにこんなにはまってしまったんでしょうか。

 予約していた、2014年劇場公開映画「怪しい彼女」のブルーレイが届き早速スクリーンを出して鑑賞しました。数日の間に何度も。主人公(シム・ウンギョン)がとてもいいのはもちろん脇を固めるメンバーも皆好演、韓国の若い人気歌手も名演技とは違うんだけどいい感じです。ただドタバタと騒ぐとか、面白いシーンがありますとかいうのではなくて、ちゃんと一本の映画としてまとまり出来上がっているんです。
 
 

「もし人生をやり直すことができたら」

“突然50歳も若返って何のしがらみもなく再度人生を歩めたら”なんて荒唐無稽な設定なんだけど、主人公の 選択の余地もなく歩んできた人生‐生きてきた韓国の社会・時代のこと、韓国・韓国の人が通ってきた過酷な背景が挿入 描かれることによってキャラクターがしっかりと確立し、ただ面白いとか可愛いだけでなく深みのある映画になったんだなぁと気づきました。 

名優ナ・ムニ扮する(高齢の方の)主人公自慢の息子は国立大学の教授で老人問題の専門家。家では、ついついひとこと言ってしまう嫁姑の関係が深刻。大学を出たものの高い失業率の韓国社会で就職できず家にいる孫娘、大学には通っているけれど何をやりたいのかわからずにもやもやしたままの孫息子。そんな家庭内の問題・いざこざが、お嫁さんの緊急入院という事態で急展開、一気に趣が変わります。

(お嫁さんが)退院したら迎えに行きますと言われた施設入所を控え、たまたま目にした写真館で自分の遺影を撮っておこうと思い立ち“青春写真館”という名前の写真館に入ります。「私が50年若返らせてあげますよ」という写真館の主人の言葉を背中に聞きながら「初めて白粉をはたいたよ」と口にしながら紅を引く。フラッシュがたたれた後シム・ウンギョン扮する若い主人公に代わり一気にテンポアップし楽しく面白い展開に。

我が身に起こったことを解決も誰に相談することも家に帰ることもできないままに、若くして結婚した相手は出稼ぎ先で事故死 生まれた忘れ形見を育てる時の数々の辛酸の日々とは別の生活(人生)が始まります。誰にはばかることも誰のためにと考える必要もなく一つ一つ“初めて”体験しながら。もう長いことなかった胸の高鳴りを感じるような生活も訪れます。

映画終わりの方で、それまでいくつかのシーンで描かれていた彼女の苦労の日々を、息子の口から語る切なくも感動的なシーン「くず野菜を拾って食べ、魚臭い仕事をしない人生 子どものために鬼になることもない短命な夫と結婚し 親不孝の息子を生まないで  」。それを聞いた若い姿の彼女は定まった思い「私は生まれ変わってもまたあんたを生むよ。~全く同じ人生を選ぶよ  」を口にします
 
 
 

 色々書いても伝えきれないでしょうし、観る楽しみをなくしてしまうかもしれませんので紹介はこれくらいにします。受け取り方も違うでしょうから機会がありましたら是非ご自分の感性で観ていただけたらと思います。
 

最後にもう一言。
全て納得の上で元の人生・自分に戻るとき、ナ・ムニ扮する彼女が口にする「良い夢を見たよ。こんな良い夢は生まれて初めてだ。」を聞いた時、若い彼女も年取った彼女のことも思いながらなぜかホッとする気持ちを感じました。

2015年2月7日土曜日

このところ心騒がしていること


先日から新しい仕事・職場に行っています。今度の仕事の仕方は申し送り・引継ぎをしていく勤務形態。引き継いだからと言って頭から100%亡くなってしまうわけではありませんけれど、以前のような担当制でいつも頭から離れないというのとは違います。まだまだ初めてのことがたくさんありますけど、意外といい選択だったような気がしています。頑張ります。 このことが一番の理由と言えば理由なんだけれど、交友関係で久しぶりに一喜一憂 胸ときめくことがあるのもアップがしばらく滞っていた原因です。 
 

でも、この間もよくもまぁというほどいろんなことを思っていました。その中の一つが、今年の“第2次世界大戦後70年”のこと。特に近隣諸国との関係 戦争を繰り返さないということでの反省とそのための取り組みにおいて、同じ敗戦国同士のドイツと日本なのにこの70年のどこで大きく違ってしまったのかと考えていました。

ドイツは連合国による東西分断そして東西冷戦。特にベルリンは東側=社会主義諸国に向けてのショーウィンドーとしても最前線の時代を経験しました。
でも同時に、ナチズムの検証を進め、責任を認めたうえで謝罪。具体的な保証もし諸国との和解を進め同じ過ちを繰り返さないように教育にも配慮。現在は言葉や民族の違いを尊重したうえで、ユーロ圏の中心的役割を果たしています。

方や日本。朝鮮動乱もあったし東西冷戦の東の要としてアメリカ合衆国の政治 経済 文化の影響下にありました。ベトナム戦争当時の(共産化)ドミノ理論も確かにありました。そのような環境の中で政治・経済を主導したグループは戦争責任を認め受け入れようとせず触れないできました。教育の面でも同様、取り上げない伝えない。その上で、内外からの指摘を受けながらも事実をねじ曲げ歪曲までする始末。 その結果近隣諸国との友好関係もいまだ築けず、ついこの前まで敵対していたのにという印象さえある東南アジア諸国の友好関係がいよいよ具体化していくのに対して、東アジア圏という考え方はその緒に就くことさえできないでいます。

私、性奴隷・慰安婦の問題が公になった時に、対外的に事実を認め謝罪・反省する機会だったのになぁと思っています。でも、実際はその事実を認めて謝罪するどころか躍起になって否定、不十分なところはあるにしても出された河野談話 村山談話さえ良しとしない動きが顕著です。それがなくてもしなければならなかったとはいえ、近隣諸国との友好関係を築く好機を逃してしまったと思っています。

 そのような戦後の日々を経て今年第2次世界大戦後70年を、国の内と外で言っていることやっていることが違っている2枚舌・ダブルスタンダード、 そうあったらいいなぁという思いが現実のように発想 発言する安倍首相政権下で迎えるにあたって私は危惧しています。
それにしても本人の中ではほんとになんの矛盾も感じないんでしょうか、他人事ながら気になります。