2015年2月7日土曜日

このところ心騒がしていること


先日から新しい仕事・職場に行っています。今度の仕事の仕方は申し送り・引継ぎをしていく勤務形態。引き継いだからと言って頭から100%亡くなってしまうわけではありませんけれど、以前のような担当制でいつも頭から離れないというのとは違います。まだまだ初めてのことがたくさんありますけど、意外といい選択だったような気がしています。頑張ります。 このことが一番の理由と言えば理由なんだけれど、交友関係で久しぶりに一喜一憂 胸ときめくことがあるのもアップがしばらく滞っていた原因です。 
 

でも、この間もよくもまぁというほどいろんなことを思っていました。その中の一つが、今年の“第2次世界大戦後70年”のこと。特に近隣諸国との関係 戦争を繰り返さないということでの反省とそのための取り組みにおいて、同じ敗戦国同士のドイツと日本なのにこの70年のどこで大きく違ってしまったのかと考えていました。

ドイツは連合国による東西分断そして東西冷戦。特にベルリンは東側=社会主義諸国に向けてのショーウィンドーとしても最前線の時代を経験しました。
でも同時に、ナチズムの検証を進め、責任を認めたうえで謝罪。具体的な保証もし諸国との和解を進め同じ過ちを繰り返さないように教育にも配慮。現在は言葉や民族の違いを尊重したうえで、ユーロ圏の中心的役割を果たしています。

方や日本。朝鮮動乱もあったし東西冷戦の東の要としてアメリカ合衆国の政治 経済 文化の影響下にありました。ベトナム戦争当時の(共産化)ドミノ理論も確かにありました。そのような環境の中で政治・経済を主導したグループは戦争責任を認め受け入れようとせず触れないできました。教育の面でも同様、取り上げない伝えない。その上で、内外からの指摘を受けながらも事実をねじ曲げ歪曲までする始末。 その結果近隣諸国との友好関係もいまだ築けず、ついこの前まで敵対していたのにという印象さえある東南アジア諸国の友好関係がいよいよ具体化していくのに対して、東アジア圏という考え方はその緒に就くことさえできないでいます。

私、性奴隷・慰安婦の問題が公になった時に、対外的に事実を認め謝罪・反省する機会だったのになぁと思っています。でも、実際はその事実を認めて謝罪するどころか躍起になって否定、不十分なところはあるにしても出された河野談話 村山談話さえ良しとしない動きが顕著です。それがなくてもしなければならなかったとはいえ、近隣諸国との友好関係を築く好機を逃してしまったと思っています。

 そのような戦後の日々を経て今年第2次世界大戦後70年を、国の内と外で言っていることやっていることが違っている2枚舌・ダブルスタンダード、 そうあったらいいなぁという思いが現実のように発想 発言する安倍首相政権下で迎えるにあたって私は危惧しています。
それにしても本人の中ではほんとになんの矛盾も感じないんでしょうか、他人事ながら気になります。 

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