2015年2月22日日曜日

“葬儀式”今生の別れを受け入れるためのもの 平和な状態の象徴


母の実家のおばあさんがなくなりました。

昨年クリスマス前にお邪魔した時はちょうどお昼寝中で会わずに失礼しましたので、最後にあったのは昨年秋口が最後になりました。享年99歳。デイサービスやショートステイを利用しながら息子夫婦とともに家で過ごしていました。戦後の農地解放などで大変な中家を盛り立ててきた人生でした。私にとって祖母となる先代のおばあさん同様笑顔で回りに接し大変さを感じさせない品の良さを持った人でした。

今では息子たち孫たちも立派になり、本人の地域・お寺との関係の中で果たした働きなどが大きかったのか、特に長命のお年寄りのお葬式というと同世代はもちろんつながりのある人自体が少なくなっているので参列する人も少なくなりがちなものなんですが、お通夜は優に200人は超していたと思います。伴僧の方々を含めて五人ものお寺様が葬儀式を執り行ってくれました。だからどうなのと言われてしまうと返答に困りますが、弔電では市長や全国的にも有数の地方銀行頭取からのものが披露され正直驚きました。

このたび私は母の実家という縁戚関係ということもあり、通夜・葬儀式、御斎、お寺様へのお礼参り、家に戻ってからの親せきなど近しい人たちとの交わりすべてに参加させてもらいました。夜中140分に亡くなったという連絡を受けてからの一週間にもなる日々は、肉体的精神的に楽ではありませんでした。けれど、世界で繰り返される争いで命をなくし、その人の名前でその人の家族地域の人から偲ばれ弔われることなく死んでいく事態を知る中で、故人をしのび葬儀を行うことは平和な状態ということだということに気付いてから、故人・家族はもちろん社会にとっても意味のあることだと思い参加させてもらいました。
そして、実際いろいろな儀式を経る中で、かかわりのある人たちが亡くなったことを受け入れ今生での別れを受け入れる準備ができると感じています。

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