2017年10月9日月曜日

共謀罪と秘密保護法を結び付けてみると


日本という国は、昭和の時代・第2次世界大戦の時の隣組制度そして遡る事戦国・江戸時代の五人組制度。それをもっと遡ることもできるようなので、今に始まったことではなくもともと監視し合うというか牽制し合う国だなぁと思います。 制度・政策でなくとも周りと合わせる、違わないように出すぎないようにという事をいつも意識しているなぁと感じています。

もう一つ。日本という国は、自分の方に原因がある時でも“水に流す”と言ってご破算にしてしまう。そうでない人・動きもありますが、すべき反省や取るべき責任を取らず自分で自分のことを許してしまうところがあると思います。

記録を破棄する残さない というのも昔からおんなじだなぁと思います。 資料があるという事は場合によっては無実を証明するための証拠にもなることがあるというのに。人に言えない・知られてはまずい・いけないと感じていることをしているという自覚・自認があるからこそ破棄するのかもしれませんが。



話変わって。 少し前、集団的自衛権・安保法制に関する一連の流れの中で共謀罪と秘密保護法を結び付けての恐ろしい話を聴きました。 刑法 の基本的な考え方・ルールは、どういう犯罪どういう罪を犯すとどんな刑罰を科せられるのかが事前に明記されていること だというのです。 ところが秘密保護法が成立してこのルールが崩れてしまったというのです。 秘密保護法では、何が秘密なのかも秘密 だというのです。 少なくとも今は戦前の治安維持法の死刑までは問はれていませんが、 何が刑法・犯罪 逮捕の対象になる行為なのか事前にわからない 聞かれても言わない、そこへ共謀罪。国会答弁では対象者はあくまで犯罪者や犯罪集団だと言っていましたが、対象になるかどうかは調べなければわからないので日常の個人的な趣味嗜好そして同好の士・ご近所とのおつきあいすべてが監視の対象ととらえるのが自然でしょう。 

 こんな怖い 組み合わせるともっと怖い法律、着々と戦争する国の準備をしている世情が恐ろしい。 

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