2018年1月12日金曜日

迷ったときはたいていの場合しない方がいい


しようか しないでおこうか と思うことは

たいていの場合 しない方がいいのである

 吉田兼好 が同感と記した言葉



 以前の私は 迷ったときはまずやってみる 派でした。 悪い事じゃないと思うんだけど痛い目にあったな~

ところで、するかしないか と似たような言葉に 右か左か を上げられるかとおもうんだけど、今まで生きてきてこの二つの違いにも気づいてきました。

右の道なら右の道の、左の道なら左の道の選択では世界・人生が途切れることなく続きます。でも するかしないか の選択では、特にしてしまったというニュアンスで振り返る事を してしまったときはそれまでの人生・道が一度途切れる、それまでの道に連なるものではなくて全く違ったもの道になるのではないかと思います。右か左か の時のそれまでの延長・続いていく人生とは違った、自身の人生もまわりとのつながりも一度途切れてしまうこともある するかしないか の人生。取り返しのできないことをしてしまったとしても“人生”は続いていくけれども。

2018年1月8日月曜日

「好き」という事が一番


~仕事は面白いばかりではなくても、「好き」だからこそ続けられるんです。だから「好き」という事が一番いいと思いますよ。~



訓練して、資格取って、就職する。建設業の情報マガジン「建設業ウエルカム」 121 2017-2018 No010        けんせつ女性座談会 より

2018年1月6日土曜日

偽ニュースかどうかの見破り方


ネット・ウェブサイトでの情報検索は手軽だしとても便利にさせてもらっているけれど玉石混合。検索サイトのフィルターをくぐっている、つまりそのサイトによって選択・選別されている。使えば使うほど利用する人の傾向を察知して(びっくりするほど)記事・情報が紹介されて無駄が無くなる=偶然の出会いが無くなる。注意喚起もされているけれど、偶然なのか必然なのか時を同じくしてアメリカ(合衆国)でも海を挟んでヨーロッパでも、ポピュリズムなんかも前からあったけれどフェイクニュースという言葉もフェイクと決めつけるのもすっかり定着。 

そんな中、201814日付けの新聞・新潟日報に「偽ニュースを見破れ!」と題して紹介されていたものを紹介します。(例えば私ならこちらの方が理解しやすいというふうに言葉を言い変えさせてもらい説明を乗せました)

発信元はどこか 

 これは立場がはっきりしていればそのつもりで見るので、変に“中立”を装ったりしていなければかえっていいような気もします。

記事の目的は何か

 事実に即しているかという事は大切なことだけれど、精神的 物理的立ち位置によって“そう見える・そう見えた”という事は人間にはあることなので思いの程度、そして狙いにも一考が必要という事でいょうか。

あまりにももっともらしいと、たぶん本当ではない 

 思わず笑ってしまったけれどそんなものなのでしょうか。事実は小説より奇なり という言葉があります。実際に起こる事の方が予測を大きく外れ、それまでの常識では思いもよらないことが起こっています。案外常識で考えてほんとにある・ありそうなことだと事実ではなくて、信じられないと思うようなことがありえたという事もありますからね。

情報源をちゃんと明確にしているか 署名や日付はあるか チェック可能か 綴りや句読点は間違っていないか URLとサイトの名前はあっているか

 これは最初の発信元はどこかというのとかぶっているかもしれませんが、何度も何度もよく見ていると何かおかしいというように気づいてくるという事は確かにあります。

ほかのサイトにも記事が出ているか

 もちろん目撃した人がたった一人という事もあり得ます。でも前出のポイントと考え合わせると、それ以外のサイトにも扱われているか、どのように扱われているかもチェックしておかなければだめでしょうね。



 *この大元は真偽を判別するクイズ形式のゲーム「FACTITIOUS(ファクティシャス)」紹介しているものだそうです

働く者に対する報酬は恵みではない


一人では行けない彼女を車で礼拝会場まで送って、母教会に行かずにそのまま列席することがあります。 

そうすると、日本の・私の教会の礼拝とはまた違ったスタイルでの賛美に触れ、そこで紹介される聖書の個所は勉強のし直しという感じがして感謝しています。

“勉強”なんていう言い方自体が日本人的。そんなこと考えずに、ただ感謝していれば好い事なんでしょうけど。 とは言え、これまでも読んでいたはず、それこそ勉強していたはずの個所が以前よりも格段に響いてくるのです。今まで何を読んでいたんでしょう、それこそ目には映っていたけれど頭に入っていなかった理解していなかったいう事なんだろうと思っています。



「ところで、働く者に対する報酬は恵みではなく、当然支払われるべきものとみなされています。」  ローマの信徒への手紙 44節   新共同訳 聖書 新約278ページ 日本聖書協会 

この一節が紹介、引用された時も衝撃でした。 社会保障を学び、トルストイの考え方『特に 「光あるうち光の中を歩め」 』やクリスチャンとして実践しなければいけない。陽明学や解放の神学を知っている者としては根拠を見つけたようで。

口は感謝の言葉を言うために使おう


口は  人を励ます言葉 感謝の言葉を言うために使おう

耳は  人の言葉を最後まで聴くために使おう

目は  人の良いところを見るために使おう

手足は 人を助けるために使おう

心は  人の痛みがわかるために使おう

スキー事故にて身体不自由になった人の言葉



「ホームヘルパー職業倫理 専門職として守るべき倫理とは」より

学級閉鎖が増えるパターンについて


「早退者が増えると感染が広がる」



潟県特別支援学校知的障害教育研究会 会報 第74


会長 五味川園子「感染症の流行に備えて」より

                               (インフルエンザの流行により、学級閉鎖が増えるパターンについて)

2018年1月3日水曜日

アメリカ・ファーストの皮肉

   今アメリカ合衆国トランプ大統領のアメリカが(さへ)良ければのアメリカファースト・アメリカ第1主義が世界平和 地球環境に大きな弊害を及ぼしています。 そして皮肉なことにアメリカ第1を口にするほど動けば動くほどアメリカがこれまで築いて来た信用も繁栄も台無しにしてしまい孤立への道を一直線。 アメリカ第1・ファーストどころかその地位をどんどん低めているとしか思えません。



話変わって。

結構評価が高かったんじゃないでしょうか映画「ドリーム」 第2次世界大戦(いつまでも後でありますように)世界の覇権を争っていたアメリカ(合衆国)とソビエト(連邦)。それは宇宙一番乗りでもそうでしたから、1957104日のソ連による人工衛星スプートニクの成功は“スプートニクショック”といわれたほどアメリカ合衆国には衝撃的だったそうです。 時代的にはその前後を題材・時代背景としているこの映画、そのスプートニクショック真っ只中の時、アメリカ側の責任者が「情熱でも努力でも我々は負けているとは思わない 」と言い切るシーンがとても印象に残っています。

映画では直接、なんで負けた ここが違ったここが悪かったの答えをはっきりみせたり台詞で言わせたりはしていません。 でも、劇中出てくるいくつかの(いくつもの)“黒人で女性で高学歴”からくる、それが実は大きな差別につながっている、小さな不自由 不自然さを描いた後に挟まれていたそれを取り払うシーンを目にすれば察しがつくのではないでしょうか。ばかげたことに時間も労力(感情)も割かれていたからこそほんとに大切な大きなことの方を逃してしまったのだとすぐに気づくのではないでしょうか。

 1960年代以降 公民権運動の広まりと共に、あからさまな人種差別は 表向き・公には変ってきました。もともと先住の人たちがいたアメリカ大陸に後から渡ってきた人たちが起こした国、その後も移民・難民と様々な人・才能を受け入れ、間違いも起こしながらも発展繁栄してきたアメリカ合衆国。  今、よその国・人々と関係なく自分だけよくなろうという考え方はこの地球上で成り立ちません。特に国の成り立ちを振り返ってみてアメリカ合衆国においてこのことは明白ではないでしょうか。