2020年5月20日水曜日

言葉から受ける感覚ほどには減らないけれど


 
何の折だったか母方の従兄に「歳が行くとへぇあんまりお金を使わなくなるもんだ」と言われたことが有ります。 そのころ一人暮らしをしていた私、それゆえにという所もあったのだと思いますが沢山買い物をしていました。そんな私を見て、先のことを考えて買いなさいと諭してくれたのかと感謝しています。 それから何年もたち長年勤めた職場も退職、正確にはまだその時の従兄の歳にはなっていませんがだいぶ歳が近くなってきました。 

さて話を冒頭に戻します。 退職してから行動範囲・行動様式・経路が変わりました。いまの私の購買行動は、あの頃なんであんなに買っていたのか思い起こすことができないほどです。 けれどあの頃従兄の言っていた言葉の感覚ほどには月々の出ていくお金(この場合正確には総額ではなく収入に占める割合)が減った感じがしません。 それと言うのは、あの後縁あって年の離れた女性と二人暮らしているからかと思っています。 出かけた時、一人なら持参のサンドイッチで済ますところも一緒だとそうもいきません。毎日の食事、食材・皿数もお米だって多くなります。そもそも(彼女用に)御化粧品・服を買うなんてのも違います。「あなたは温かいところから来たんだから遠慮しないでエアコン点けて(ストーブ点けて)暖かく。」なんて言ってるから電気代もガス代も、何枚も着込んで我慢していた一人暮らしの頃とは桁が一つ違います。 そんなもんだから我が家の財政規模は一向に減り目が見えないんだと思います。

でも思いました。一人でいたら食べる時間もまちまちで好きなものばかり口にして栄養が偏っていただろう、冬温かく快適に暮らしているのは身体に対する寒さストレスが軽減されているはず。家に閉じこもってばかりいず、外へ出かけ人とも会話する。何より一緒に過ごす人が居るという素晴らしさ。楽しいし 感謝しています。

2020年5月12日火曜日

“3密 ”おまけの3 「社会的距離を広げない」



今度はソーシャル・ディスタンスだそうです。調べてみたらこれがなかなか意味が深かったのです。 ソーシャル・ディスタンス(Social distance) は社会的距離、つまり人間の心理的な距離という事なんだそうです。そして感染拡大を防ぐために物理的な距離を保つというのはソーシャル・ディスタンシング(Social distancing) と言うんだそうです。今回のCOVID-19 対応で求められているのはもちろんingのついている方。 気を付けて聴いていると、日本で言われているのはほとんどがing付いていないディスタンスと言っていました。海外の方はingを付けたディスタンシングと言っていました。 

営業を自粛しないパチンコ店に手のひらを返して「営業自粛をしないなら店名を公表するぞ」と高圧的な態度で臨む様はさながら居直り強盗がまさに居直った時の姿のように見えます。 そんな姿勢・対応の結果として、自粛警察というんだそうですが実際に住人どおしのいざこざが起きています。 行政が自ら 社会的制裁・私刑=リンチを誘発させることをしてしまう国、人間の心理的な距離を生み出し広げるようなことをする国・行政ですからディスタンスの方なんでしょうね。 

COVID-19 終息後、世界はもう前と同じようには戻らないと言います。一層のまとまりが求められる時に分断と対立を生むようなことをわざとしている、後々修復できない対立・分断を作っているなぁと思います。

“3密 ”おまけの2 「正しく恐れる」


   今の 33密!」 の言い方(取り上げ方)は気を付けた方がいいと感じています。 確かに、間違いではありません。響きも良いし。でも今の様な取り上げ方は、多分に本質から目をそらさせようとする思惑を感じてしまうのです。 COVID-19に関して医療・科学的に正しく、今どういう状態なのか課題は何なのか必要とされているのは何か。医療情勢の報道ももちろんあるんですが、33蜜が声高に繰り返される現状では正しく認識することが妨げられているように響いています。 (とにかく3蜜を避ける。3つそろわなければ大丈夫なんだからなんて雰囲気さえ感じられるようになってきました。1つだってかかる 避けるべきだと認識すべきです。手洗いや咳エチケットだって忘れてはいけないのに。) 国・行政はその3密状態の注意喚起とともに、検査体制・医療体制・教育、企業お店の営業も文化の継続・各種保障問題に注視するべきだと思います。生活保障、事業保障は遅いし少ないままです。 なぜ全国一斉休校が必要なのか、どのような状態だから緊急事態宣言が必要だったのか。状況がどう変化した(変わらない)から延長するのか。すべてにおいて根拠の説明が最初から足りません。解除も、どのような状態になったら解除なのか言い出しっぺの安倍さんの思い一つなので先が見えません。そんな状態で耐えているみんなはすごいストレスを抱えた状態。 先行きの生活がどうなるかも見えない状態で耐えているみんなはすごくストレスを抱えた状態。そんな状態でひたすら耐えている国民をしり目に安倍首相は 憲法を変えると発言。すべきこと急ぐべきことがたくさんある時、肝心のことをほっておいて、完全にずれています おかしいと思います。

2020年5月6日水曜日

“3密 ” おまけ


 こちらは 市 広報 に乗っていたものになります。


“3密 ”


 33密”という言葉が頻繁に耳に入るようになりました。SARSの時の経験から出てきたことでしょう、3(密集 密閉 密接)を避けましょう=密集・大勢集まらない 密閉・閉ざされた空間にしない 喚起しろ風を通せ 密接・人と人との間を取りなさいという事でしょう。 でも安倍首相の具体性に欠け心に響かない原稿棒読みの会見、言われ始めた当初のような緊迫感が徐々に抜けてただ呪文のように繰り返される“3密”はだんだん 音 のように感じられてきました。そんな情勢ではないんですけど。 
新聞折込
ある時から“

ところで、33密と声高に繰り返されています。3密がいかに悪いか避けるべきか繰り返す人たちの口ぶりに「ほんとに悪いんだろうなぁ避けるべきなんだろうなぁ」と思って来ます。けれど私思うんです。3密のことだけ言ってるだけでいいんだろうかと。 日本だけ異様に少ないPCR検査の件数、これで実態把握ができるのでしょうか。 事業・生活保障 子どもたちの問題 医療問題等々が取り上げられていないわけではないけれど、個人に3密を避けろと求める以上に取り上げるべきはこっちの方じゃないの!とも思うのです。 3密を避けるのは確かに大事なこと。けれど、避けるべきは3密だけ?と思うのです。1密・2密は大丈夫で3密になった時に初めて危険になるのだろうか、と。 一つだけでも避けるべき行為だと思うのです。ほんとは3つじゃなくて一つでも危ない・避けるべきなんでしょ と。こういう時になると出てくる 専門家だの有識者と言われる人の発言。3密を言い出した人、最初はニュアンスとしてもそのつもりで言っていたんだとは思いますが、このところ受ける感じは、肝心の事 首相の動静を棚上げにして、個人の方に責任と結果を求め転嫁しているようにさえ感じられて来るのです。