2020年7月2日木曜日

存在証明


世に有名な美術館・博物館はあまたあります。が、車を走らせているとたまにほんの簡易な作りの看板で ○○美術館とか収集・展示している物ズバリの名前を目にすることが有ります。地域性の高い紙誌で初めて知るものもあります。 “美術品”と言う範ちゅうに収まらない、中にはこんなものまで!と びっくりを通り越して感心してしまうような収集物を収蔵しているところもあります。例えば牛乳瓶の紙の蓋とかカップラーメンの蓋なんてものも。 収集物、一枚二枚一個二個ならごみとして捨てられてしまうようなものでも、100  200 300 もっとたくさん。もしかして世界中の、なんてことになれば立派なコレクション。物事なんでも 突き詰めれば物になる 継続は力 という事なんだと改めて思います。 ただし当の御本人は大真面目なんでしょうが家族には収集と思われてきたんだろうことは想像に難くありませんけれど。 

どこまでこだわり続けるかはもちろん個人差・程度の差があるでしょう。でもその思い入れは、何に その何処に 魅了され集めるようになったのかは出会いのタイミングも大きいでしょう。 それにつけても、人はこだわり 集める。取って置きたい 誰かに見てもらいたい と思う生き物だなぁと思います。 「捨てる神あれば拾う神あり」かもしれませんが、何年も何十年もこだわりをもって収集し、持ち続ける。“美しい”と言うのは大きな動機だと思いますが、それだけじゃないところが面白いと思うところ。数がまとまれば、広く文化人類学的価値も生じて来るというもの。 

人生をかけて集めたという物もたくさん有ることでしょう。となると誰かにみてもらいたくなる 認めてもらいたくなる、だって自分の人生 自分の存在証明なんですもの。 私なんかのは捨てるのが苦手でただ何でも取っておくというレベルですが流れは理解できます。



写真のくすり()のミュージアムは個人の物ではありませんが、医学ではなく教育冊子に乗っていたのです。それがきっかけで思った(思い出した)事を書き留めてみました。

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