言葉の備忘録
「相づち(槌)」
鍛冶作業において師匠に相対して位置する弟子・助手が絶妙なタイミングで
“槌”(ハンマー)を打つ様。
北海道・恵庭市にある日本キリスト教団
島松伝道所の「島松だより」Vol.46 2021年5月2日号に掲載されていた辻中明子牧師の「待っていると、そうなる」を読んでいて、これは言葉の備忘録に入れておかなくちゃと言う言葉を見つけました。それは「相づち」と言う言葉。 考えてみれば、日常に相づちを打つ“行為”はとても大切なもの。円滑な人間関係を築き保つために不可欠と言われている行為。 でも意外とその語源と言うか、どういうことか説明してと言われると出て来ない言われのように思いました。聞けば「そうか!」と思うんですが、今の時代
鍛冶屋さんを目にする事も有りませんし、相槌も普段は相づちとしていたような。
さてこの島松だよりの巻頭言にあたる辻中牧師の文章を読み進めると他にも書き留めておきたいことが書かれていました。 精神科医として45年間相談を受ける・聴く仕事をされて来た高塚直裕さんの講演を聴いて触発された想い。「相談を聴く」この相談を聴くという事の大前提「相談者は、その方なりの解決策を必ず持ってる。まだそれに気づいていないだけです。(決断していないだけ)」「時間がかかっても、相談者が決めた解決策が、なんといっても一番いい。」「聴く側は相談者に何をしてあげられるかではなく、どう理解するかが重要。相談者は話していくうちに必ず解決法を見つけます。(決定する)」 「聴くコツは、相手に関心を持つ事、こちらの価値判断は後回しにすること、聞き手は自分の感情をセンサーとし、自分の心の動きを確認したとき、相槌が打てます。」さて、私の日常はどうだろう~と続き「答えや助言を先に言いたくなる。受け止める前に否定したり質問したり、話を遮ったりする。」などと続きます。 *言葉尻を一部言い替えました。( )内は追加しました。
このあたりのこと、私もそう思います。 思い悩み 繰り言を続けていても、人に会うという行動を起こした人 自分の口を開き相談という所まで行った人は、すでに自分で結論を見つけている 決めている段階だと自分の経験から言っても思います。人に相談するところまで行った時は、すでに自分の中で何かを見つけた時。 相談、口にすることで決断するための最後の一押しをしてもらう・行動に移るという段階に到達しているんです。すでに自分の中では結論が出ているんだけれど聞いてもらいたい。 できれば 同意してもらいたい。 この段階まで来ると実は意外と、あれやこれや言ってもらいたくない んじゃないかと思います。 それに、そこで良かれと思ってアドバイスしたとしても、もし本人にとって思わしくない結果となったら大変なことになってしまいます。他人はそこまで責任はとれません、○○してくれたから許す なんてことはないんですよ。 そんなことを思いました。