この度の「森友事件 森友改ざん裁判」で、被告である国側は「認諾」(にんだく)します1億円支払いますと申し出て強引に裁判を終わらせました。 裁判となると国は最後まで負けを受け入れません。何年も費やす中でたとえその間に争いのもととなった情況が変わってしまったとしても、裁判自体はたとえ地裁 高裁で負けたとしても最高裁では勝つというパターンで(司法の独立が嘆かわしい)来ているのでほんとにびっくりしました。
「認諾」とは裁判を進める上での手続きの一つで、訴えられた事をすべて受け入れるという実は昔々からあった制度だったそうです。そうゆう制度があるなんて全然知りませんでした、ましてやそうゆう手を取るとは。
国側敗訴と言う形にはなりましたが、もちろん悪いことをしました反省しますと思っているわけではありません。審理の中で事実が明らかになることをどうしても避けたい、それだけ。 どうしてそこまでして隠したいのか。何を隠したかったのか。安倍案件、一連の安倍元首相と昭恵夫人にかかわる事と言うのは公然の秘密。それこそが目的なんでしょう。 それにつけても一国の行政が私物化され人が死んでいる、安倍元総理の軽はずみな言動のなんと罪深い事か。
手なことを「認諾」によって裁判が強引に終結させられてしまった時に思い、そのことを書いておくべきと思ったのですが、年末年始
1年の締めくくり1年の始まりにこんな話題を乗せたくなかったので間が空いてしまい、その分いまさらで感情的には少し冷めてしまいました。それでも、クリスマスに年末年始、お正月
小正月も終わり、やっぱり触れておかなくてはと書きました。
私なんかが思いもつかなかったことを、知識も知略も備わった人が人としての道を踏み外す、こうまでして真実から離れ隠そうとする。神から与えられた能力を正しく用いないなんてなんとももったいない事かと思います。
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