2018年6月21日木曜日

O2 14-11-8 ホテル


もう時間が経ってしまったので情報としては変わってしまったものもあると思います。でもこの時はこうだったという感じで取ってもらえれば幸いです。



O1喜瀬ビーチパレス(名護市)

まさにビーチ・砂浜に立っているホテル。みんなを乗せたバスは道路わきに寄る感じでホテル到着でした。道を挟んで反対側は少し小高くなっていて木々が目に入ります。平地が少ない一角なのでしょうか。

当日の日程を終えて到着。荷物の整理・ほんの一息入れたくらいですぐ夕食交流会でしたので、翌朝ホテル前の浜に出てみました。プライベートビーチというには規模が小さいので消波用ということなのでしょうかブイで一角が囲ってあります。ビーチパラソルが幾本も立ち、水上バイクを載せた牽引車をつないだ4輪駆動車が止められています。例えば那覇市内観光というようなこととなると別の選択をした方がより時間が当てられる地理的な位置になりますが、本格的にダイビングをするという事でなければ逆にここで楽しめるのかな。

 バスでお任せでの移動、周りを観光することもなく道路から直接ホテルに入ったのでどのような地形的な環境なのかは正確には把握できませんでしたが、山側が海にまでせり出すような形で平地が少ないのかなという最初の印象、でも海の色が違います。 砂浜も海藻や貝殻が打ち上げられてというだけでなく、白い砂浜にサンゴのかけらが散見される辺りはさすがと思いました。

ホテル建物の高さ 海に面した横の幅に比較すると奥行は狭目かな、決して狭いわけではないのですが。 働いている人たちはみなかりゆしウエア 壁の紅型タペストリーは沖縄と思わせてくれるものの、作り事態はよく言えば破たんのないなじみやすいものという印象。奇抜ならいいというものでもありませんが。

円卓を囲んでの夕食に出されたお料理の品々は旅行番組で紹介される“沖縄”というイメージの料理というわけでもなく特別取り立てて沖縄料理という感じもなく無難なものでした。 書いておきたいのは泡盛のこと。 泡盛というと、藁の薦をかぶった瓶の度の強い飲むとカーツと来るお酒というイメージがあったのですが、ここのオリジナルラベルの泡盛はこれまで泡盛のイメージを変えてくれました。口当たり好く飲みやすく、決して度数が低いわけでもないんでしょうけれどもカーッと来ることもなく味が楽しめました。どの泡盛の会社なのか迄は聴く機会がありませんでした、残念。



O1 那覇ナハナ ホテル&スパ(那覇市)

 立地としては、ゆいレールの駅も近いので空港からくるのも首里城に行くにも弁のいいホテル。観光名所の国際通りまでも、私は道中もいろいろ見てみたかったので夕食に指定されていた沖縄民謡居酒屋まで歩いてみましたが十分可能な位置でした。

 部屋はグレードによって眺望が結構異なるようです。私が泊まった部屋は、那覇市・町中に立地するホテルというのが一番の理由ですが、カーテンを開けると道を挟んでの建物そしてその建物越しの街の明かりが見える部屋でした、部屋のスペースは広いという印象ではありませんが、ここに泊まって用を足す、ここで楽しむというのではなくここを起点にあちこち出かけるという事なら問題なし。

 食事は朝食しかとっていませんが、利用者も多く賑わって品数的にも問題なし。ホテル職員の服装は普通に目にするホテルマンの制服。

 

2 ゆがふいんオキナワ(名護市)

昼前に羽田をたって沖縄・那覇へ到着、前回来た時にはまだ開設されていなかった不屈館に寄ったりして遅い時間に到着。 遅い時間でしたけれどかりゆしウェアのスタッフが出迎えてくれました。利用したツインの部屋は結構ゆったり。カーテンを開けてみると遠目にプラント?街?道路沿いの街灯?連なるオレンジ色の明かりが見えました。 夜も時折車の通る音が聞こえました。

朝食の場所はゆったりした一面戸が開け放してある開放的な所。私はプレートを持ってベランダに出てみました、昨夜は遅くてショップなどもすでに閉まっていて印象どうこうではなかったのですがこの感じは好印象。さすが沖縄、この時期の新潟では考えられない温かさですが、11月なのでさすがに朝食の時間帯の日差しは波長が長い感じ。違うものだと実感。 

道を挟んで向かい側はグラウンド、その向こうに海が見えます。 この先に何か工事をしているところがあるのだろうか時々ダンプカーが通りますが埃っぽくはありません。昨夜も時々大きな車が通っていたけれどトラックだったのでしょうか。ダンプカーとなるとリゾート地を走る車のイメージとは少し番う気もしますが、意外と日常というか生活の感じがして悪い印象ではありません。

O2  ホテル リゾネックス那覇(那覇市)

 立地としてはビーチサイドでもなく繁華街の中心でもない場所に位置。でも、国際通りまででも歩いて行ける近さ。ただ、ホテルを中心にして離れる方向の県立美術館からタクシーで空港まで行ったとき時間も料金もこんなに近いの!とびっくりしたくらいですから市中心部自体がコンパクトなのかもしれませんが。

 ホテルはまだ新しくきれいで、働いている人たちの制服や当たりの柔らかい感じも相まって好印象。 朝食の品ぞろえは際立って印象もないけれど不足もなし。ただ時間帯もあったのかも知れないけれど台湾?中国?の家族連れの相も変わらずの音声ボリュームには少し閉口。そんなでしたので、すごく忙しそうなパートの女性が、こんなときに声をかけるのは勘弁してと思われたかもしれませんが、平和通りまでの行き方や、おすすめの場所食べ物なども親切に受け答えしてくれ、ここでもマニュアル通りだけではない対応でいい印象。

O2 東横イン(那覇市)

O1の時のナハナスパ&リゾートホテルのすぐ隣。着いたのは日も暮れたチェックインとセルフの寝間着・スリッパを手に入れる人たちで大賑わいの時間帯でした。

 用を足しているときに、日に焼けた筋肉も表情も引き締まった女性がスタッフに加わりました。別の場所から移り住んで昼間はダイビング夜はここで生活費を稼いでる人かな?沖縄ってそんな風にして生活している若者がいるっていうイメージがあります。

朝食。部屋は家族というよりは仲間どおしが多い印象。国の構成は中国?台湾?の人でいっぱい。席・込み具合は一人なら割り込めるけれど、34人だと別々に座らないとダメな状態。メニューは当たり障りのない品ぞろえで、特別珍しい食べ物は供されていませんでした。びっくりしたのは、バイキング形式の朝食のドリンクコーナーに牛乳がありませんでした、こんなのは初めて。でもまぁ値段のこともあるし、泊まるところを確保して用事を足すというふうに考えれば十分なホテル。 

2018年6月16日土曜日

“先が見えてしまった”青年のかかえる閉塞感



大きな可能性 希望を持ちながらも、先が見通せないことからくる不安を抱えた状態その次期というのが青年期。 ところが今の日本の現状 日本の若者の置かれている状況はそうではなくて“先が見えてしまった”状態、いくら頑張ってもこの先も変わらないだろう生活しか見えない閉塞感に押しつぶされています。 各種調査 国際比較で明らかなように、日本の青年・子どもの自己肯定感は低く、将来を暗くしかとらえられないという憂うべき結果となっています。



過去、 高度経済成長(期)というタイミングそして世界中に知れ渡るほど猛烈な働き方をしたけれど頑張れば将来はよくなる、子どもの世代は今の私よりもいい生活をするだろうと思えた時代がありました。 実際にはそれ以上に格差が広がっていたんだけれど、そういうスローガンを掲げた政治家もいました。

でも今の安倍政権・行政は、今日本は(対外的に)いかに危険な状態にあるか、このままだと〇〇年後には〇〇にしかならない等々脅すことしか言いません。 今こんな問題があるがこうしたいとかこういう未来・将来にしたい、ということは示しません。暗い未来、希望のない将来しか示していません。

こんな後ろ向きで縮小均衡しか考えつかない、将来も中身もない政権・政治家ばかりという日本。選挙制度の問題が大きいとはいえ、国民の民度の表出なのかと思うと、まだまだ混沌としていても5年後10年後はどう化けるかという可能性のある国々と比べると、実は中身の何にもない 本人は口にした時点でできた・済んだと思っているような今の安倍首相の基では暗たんたる思いになってしまいます。












2018年6月14日木曜日

子どもの日礼拝




610日の日曜礼拝は 花の日・子どもの日でした。 いつもの礼拝・流れにプラスして、子どもたちの作った小さなフラワーアレンジメントの披露と教会()長老から子ども達へのお菓子のプレゼントがありました。

ふと思うことがありました。

日曜美術館という長寿番組で、もう相当昔のことになりますので心配なところも正直ありますが、今でこそ多くの知るところとなったブリューゲルの展覧会・作品紹介、ブリューゲルの人物像や当時の社会的背景も紹介され中身の濃い回で強く印象に残っているのが、ブリューゲルの作品に“子ども”が描きこまれたという話。 その昔、子どもは小さな大人としか認識されていなかったんだそうですが、“子どもの発見”という事ではルソーの視点・概念によってという事になりますので、絵画というとイコール宗教画というものが、市井の情景・村や町の人々の日常の暮らしも取り上げられ画かれるようになったという事になるのでしょうけれど。と言っても代表作と言われるバベルの塔や他の作品でも宗教や日常の生活での教訓的な趣旨は後世の個人の内面を描くというようなところまで変わるものではありませんが。

ところが、当日の礼拝・聖書の個所では、まさに聖書の時代から子どもが大人とは別の存在として、時には対比するように書かれているという事に触れて誇らしくもうれしく思った次第です。

2018年6月9日土曜日

怒られるとだんだん言わなくなる 2/2

    ○○ハラスメント という言葉 ずいぶん定着してきました。耳ざわりもよく便利な言葉。危惧するのは日本・日本人の悪いところで、この便利な言葉を使う事によって本質を分かりにくくさせ問題が解決したかのように思い込ませてしまう悪い癖 怖さ。

企業におけるこの間の 悪いことはいつかばれるの鉄則通り、長年にわたる偽装隠ぺい強圧的対応・(実はばれてしまって)申し訳ありませんの会見を開くというパターンの繰り返し。情けない思いでそんな事態を何度も目にしていて気づいたのが、影響の大きさは別として私の経験・パターンでも同じだったなぁという事。

 “ヒヤリハット” というものがあります。 一つの(重大)事故の後ろには 30 300のヒヤリとしたりハッとしたりすることがあると言うものです。 その運用にあたっては、自分のした事でなくとも見たこと聞いたこと気づいたことはなんでも報告が大切とされています。最初に報告を受ける立場にある人の姿勢・態度、まず受け止める・決して報告者を責めない。危険なこと緊急を伴う場合は別として、その場で一人の判断で結論をくださない、ましてや怒らないが大切なことだと思います。 集団全体の物にするのではなく即決で結論を出す、ましてや責任を追及・叱責までしてしまう事が繰り返されると言わなくなる できることなら隠す 見ても見なかったことにしてしまうだろうことは想像に難くありません。

私の実体験。
報告を受ける立場にいた人はアイデアがいろいろ浮かんでくるという事なのかもしれませんが私からすれば朝令暮改(気分で運営) その時その時で変る対応。まず一度聞くではなく(毎回)どうしてそうなるんですか それしかできなかったんですか という対応。それが自分がしたことでもないことで叱責されるの繰り返しだと、目に入っても気づかないふり 隠しておけるものなら・・・とだんだん考えてしまうのは自然の流れ。
“狙われている”と思わせるほど、他の人と同様のことをしていても毎日毎日・繰り返し言われ続けるととおかしくなってしまうというもの。 そんな繰り返しで、私は視えなくなり聴こえなくなり言わなくなりました。 これ共通パターンですよね。

ものを言うというのは、親が子どもに対してでも上司が部下に対してでも言えば言ったで何でも言えるし 言わなきゃ言わないで済むことが多いもの。 でも、ある人・ある行動が目につく・気になるとよりその人に関心が集中してしまい限りなく言い続けるようになるもの。そして本来の上司の行うべきことから離れていってしまうもの。対象・目をつけられた方は毎日毎日たまったものじゃありません。
こんな対応・上司によるせっかくのシステム活用・ヒヤリハットでは、気づき 新しいアイデア・ヒントをなんてフィードバック、ひいては発展なんて導き出されるわけがないと思います。

2018年6月2日土曜日

砂糖要らないコーヒーブラック


    テレビのコメンテーターを務めていた岸井成忠さんが先日亡くなられました。
 

私がテレビ番組での岸井さんの発言に注目するようになったのはもう何年にもなりますが、もともとは新聞記者。

話は突拍子もなく飛躍する印象を与えてしまいますが40年も50年も前のこと。

もちろん写真も歴史をとどめた印象に深いものがすごくたくさんありますが岸井さんのことから今日は映像の話を。

これは私のお爺さんとのかかわりの中で取り上げたことがあると思うんだけど、初めての衛星放送の時のケネディ大統領の顔が映るのかと思ったらジョンソン大統領が出てきてケネディ大統領が暗殺されたと話したあの日の映像。そしてここ何年もの日本の政局において(2次安倍政権のいろんな意味での異常さは措くとして)は考えられないような長期政権となった佐藤政権・佐藤栄作さんの退任会見での異様な光景の映像、を思い出しました。

退任会見の場で「私は新聞は嫌いだ」と言い放ち、テレビ(NHK)が誰もいない会見場の椅子と佐藤さんの顔を映した映像を思い出したのです。

その思い出したきっかけが先日亡くなられた岸井さん、いや言い方が逆かな。誰が言ったか・言った人の顔が映し出されたわけではないのですがその時抗議し謝罪を求め、売り言葉に買い言葉というところもあったのでしょうが抗議の退席を呼び掛けた新聞記者が岸井記者だったのです。 この経緯・逸話、亡くなられた時の報道でこのことを初めて知りました。

だからこうして書いているんでしょうけれど、惜しい人をなくしてしまいました。大事な人をなくしてしまいました。今のご時世 今の日本のマスコミの現状だからこそ貴重な人でした。



 「砂糖要らないコーヒーブラック」
佐藤栄作・佐藤政権に対する抗議行動の時の掛け声の一つです。ブラックコーヒーを下げに出してきて佐藤を音でいうと同じ砂糖にして 要らない で本当に言いたいことをわからせる。ニヤリとさせる耳ざわり 主題的にもよくできていると忘れない言葉です。