2018年7月28日土曜日

ビックリ 安倍政権与党自民党杉田水脈(すぎた みお)国会議員


驚きました。 自由民主党の杉田水脈(すぎた みお)国会議員の「LGBTは子どもを産まないから生産性がない」発言。 言っていることのレベル、それを堂々と言い切るその言い方にもビックリしました。



子どもがいるいない、子どもを育てているLGBTのカップルもいれば 選択として子どものいないカップル子 子どもを望んでも恵まれないカップル 子どもが独立・別居しているカップル と実に様々なのに見えていない。そもそも子どもを産む産まないと生産性のあるなしを結び付ける発想、生産性とはいったいなんなのか。

このことを見ていると、戦後ふたたび道徳教育を取り入れた時、子どもに愛国心・日本の優位性をいかに教える!かを巡って教師を競わせた時のことを思い出します。その時のことで印象に残っているのは「日本には四季があるから素晴らしい国だと教える」と授業を行うとした先生の事。 確かに、いま日本の国土と言われる地域は、南北に長く山深かったり海が近かったり平野だったり島しょ部だったり一様ではないと言っても、それでも他の地域に比較すれば“水”に恵まれ、季節感もよりはっきりしているかもしれません。でも、雨期乾季 夏冬という移り変わりだけでなく四季も含めて季節はどの地域にもあるもの。 ですからもし“季節”にこだわって日本のすばらしさを言うなら、私だったら地理的な 環境としての四季ではなく文化として四季を感じ取り表現してきた日本()こそ伝えます。

自然環境を取り上げて日本のすばらしさを言おうとするならば、気候変動の結果地球規模で以前と違ってきている今、根拠が無くなってしまうのではないでしょうか。



ところで、杉田議員自身が自民党内で支持されていると公にし、安倍政権与党自民党の幹部そして安倍政権の菅官房長官も問題にするどころか、支持したり個人の考え何か言う立場ではないとしているのは別の意味で問題だと思います。要するに自民党も安倍政権もそう思っているという事の証明にほかなりません。

O2 14-11-8 「沖縄戦跡国定公園」




正式には「沖縄戦跡国定公園」と呼び、そこに 沖縄平和祈念資料館 平和の礎 その数優に100を超えるという日本の県別・団体別の慰霊碑 平和の広場・平和の灯などがある場所という事になります。一帯が摩文仁というところになるという事から摩文仁の丘・摩文仁の平和祈念公園と呼ばれてもいるんだそうです。 私が前回行きそびれ、何時か何とか行ってみたい・その場に立ってみたいと思っていた平和の礎はそれが全体をさすものではなくその中の一部という事になります。

 沖縄の人たちを守るためではなく、別の目的があって引き延ばされた無謀な戦いの終焉の地 糸満市・摩文仁の丘地区。因みに面積は81.3(うち海域は50)という広さだそうです。限られた時間で回った所その奥にも途切れることなく望まれる陸上の施設、そしてそれよりも広い海上部分。 戦場となったのはもちろんこの地区だけではないのですが、それでも、指定されているだけでもこれだけ広いところが と想いを馳せます。

 写真は沖縄戦跡国定公園内の平和祈念資料館です。ここを抜けた海側に平和の礎 平和広場・平和の灯があります。
建物を海側に通り抜けて建物を振り返る

2018年7月26日木曜日

聖マキシミリアノ・マリア・コルベ司祭 の祈り


親愛なる兄弟たちよ、どのような過ちであっても、それが最悪のものであれ、何回も繰り返されるものであれ、この過ちを私たちにとってのより高い聖徳への踏み石として役立てるように常に努力しましょう。

    聖マキシミリアノ・マリア・コルベ司祭

「聖母の騎士」20188月号 編集室から より



 おそらく、原爆・核兵器がつくられようとしていることは知らずにの祈りだと想像しますけれど、その後も繰り返される大小の紛争そして核・核兵器・核戦争に常に脅かされている今この言葉を耳目にすると、改めて人間の愚かさに気づかされます。

2018年7月25日水曜日

責任を取らない国(財力・権力・地位を持つ人たち)の責任追及(弱い人への) 2/2




安倍首相が先頭にたって好んで口にしている“自己責任”  加えて紹介しておきたいのが“受益者負担”という言葉。  この言葉、私が意識するようになったのは70年代に入ってから。 医療 年金や教育、食料や通信… これが嗜好性の高い物・事 分野に限ってという事であれば話が少し変わってきますけれどこれらは効率や採算だけでは測りきれない重要な分野です。ですから、これらは民間がかかわる場合でも公益性が問われいます。 益を受けるんだからその分負担もしなさい という言葉、言われてしまうと仕方ないのかなぁと思ってしまいそう。でも受けた分だけ払う、払った分だけ受けるという事では特別益を受けているという事にはならないのでは。物の売り買い・行為とおなじこと。公的機関が政策として行う、社会不安の解消→社会の安定・社会保障として行う事ではありません。ここでもやはり政策として 考え方 選択の問題、これらの動きの一つ一つが新自由主義とそれに沿っての流れだったのかと気づきます。

 お金がないから病院にかかれず命を落とす、教育の機会に恵まれず負の悪循環から抜け出せない。効率が悪いから 採算に合わないからではすませられない面を持っています。

民間の営利企業ではなかったはずなのに、公的機関が受益者負担という発想で生活に直結する政策をどんどん変えてしまう。民間活力の導入 とか規制緩和で生活のしにくさ生きずらさの拡大が進む一方になってしまいました。

 アメリカ合衆国との安保条約下での基地問題。条約発効の日まで更なる運動の継続が必要とはいえ完全に世界・歴史の流れになった核兵器禁止条約に対してマイナスとなるような言動を繰り返す日本政府。そんな政府に対して被爆した人から発せられた「いったいどこの国の政府ですか!」という言葉が発せられ足りもしました。 これらは、日本の人たちのために有るはずの政府が実は1%の人の利益のためにこんな態度をとっているんだと考えればなぜこんなおかしな選択をするのかが見えてきます。

2018年7月19日木曜日

責任を取らない国(財力・権力・地位を持つ人たち)の責任追及(弱い人への) 1/2


このたびのタイ洞窟閉じ込め事件。救出活動にあたっていた潜水士の方が亡くなってしまうという不幸なことがありましたけれど、少年たちが無事救助されたことは本当に感謝。

ところで。報道されましたから同じように感じる人が結構いたんだと改めて思いましたが。タイでは、比較の意味でいうとタイの公的立場の人の発言も一般の人・世論(よろん)も世論(せろん)も閉じ込められた人たちの無事を祈りこそすれ、「そんなところに行った少年たちが悪い」「連れて行ったコーチの責任は」「親は何をさせているんだ」「いったいどう責任を取るつもりだ」等々の批判 責任追及の声が上がらなかったのがすごく驚きでした。日本だったら政府を先頭にマスコミ上げて批判の嵐 自己責任追及一色ですからね。

日本だったら大変だっただろうなぁ、いつの間にかそれにならされていた自分にもビックリでしたけど。 

2018年7月16日月曜日

結果がすでに分かっているよそで失敗していることをあえてする理由がわかりました


「フリードマンの呪い」 なんだか60年代ふうな言いきり方の見出しに目が留まった新聞の小さな囲み記事。書き出しは、新自由主義の教祖と言われるミルトン・フリードマンの事でした。そして、自国民による投票・選挙によって選出・成立したチリのアジェンデ大統領・政権が、アメリカ合衆国・特に大企業の謀略によって暴力的に覆されてしまった衝撃的な出来事。その免罪符としてのフリードマンの考え方・主張。その結果もたらされた混乱のこと。それが系譜的としてサッチャリズム・イギリスのサッチャー首相につながり、今の安倍政権にまでつながっている流れを書き示してくれていました。

 “社会主義国”の内部崩壊で対抗軸を失ってしまった資本主義。資本主義自体の抱える仕組みとしての矛盾。拡大する格差の問題。

   現行の日本の方が進んでいること、私に言わせれば愚の骨頂すでによその取り組みでうまくいかないことがわかったことを今更取り入れようとしている現日本の安倍首相。なんでこんなことがと理解に苦しんでいました。 1%と99% 一々例えばという例は挙げませんが、日本のため国民のため 99%のためではなく、「世界で一番企業が活躍しやすい国」を作ると公言した安倍首相、世界の・日本の1%の利益のためにと考えるとなんでそんなおかしな選択をしているのかについてが腑に落ちました。