2018年11月28日水曜日

衝突の生まれる時






          無意識の内にも「こうあるべき」という相手への要望があると衝突がある

   
埼玉県 正木 さんの体験

                                   聖母の騎士 201812月号 もう一人のマリア フォコラーレ より





エアコン 快適な環境はまだ別料金のサービス


 
まだまだ寒い3月の新潟から飛行機で4時間半 時差1時間のフィリピンに行ったものですからさすがにまいりました。 お世話になったお宅の2階、ベッドのある一部屋に一体型の小型エアコンがあるものの、寝ていた部屋は1階。壁に1台 床に2台の扇風機は一晩中ブンブーンと回っていますが暑い空気をかき回すだけ。そこに男全員で雑魚寝だから眠れません。 さすがにまいってしまって、一回だけエアコンのある部屋で昼寝をさせてもらってやっと一息つきました。 

そんなことで隣近所に室外機を探してみると、7~8軒に一台という感じでした。室外機が一体のタイプの物の他に分かれているものもありましたがいずれもファンが回っていなくて動いていないようでした。 夜はもちろん朝夕は気温も下がりますし風も思いのほか通ります、日中でも日陰に入ると 家の中でも意外なほど過ごしやすかったのを覚えています。 それがどうしてと言うと、ゴミも落ちていないし治安も悪くなさそうな家並でしたが、寝る時の戸締りは結構厳重で窓も戸も全部閉めるもんだから風が全然入らなくて(室内が)暑くなるんだとわかりました。

 せっかくエアコンの機械があるのになぜ使わないのか聞いてみましたら、「電気代が高いから」とのことでした。 近くのサリサリストアは別として、わざわざ行くわけだから行けば多少なりともお金を使うモールは大小を問わずとても快適。作りから言って当然ながらジプニーはエアコンなし。バス タクシーは基本エアコンなしで、エアコン付きは運賃が少し高くなる二本立て。なんでわざわざボディに“エアコン”て書いてあるんだろうと思って見ていたんですがその訳が分かりました。


 思えば私の記憶の中でも相当昔、冷蔵庫と言うと屋さんから配達してもらった氷を上の方に収めて冷やす式で、今のような電気式の冷蔵庫が各家庭に普及する前。夕方になるとおじいちゃまのお使いで少し離れた酒屋さんにビールを買いに行った時のことを思い出します。今では信じられませんが、そのころビールの大瓶一本が130円でした。おじいちゃまに言われた冷えたビールは、冷やし賃5円が入って135円。 つまりそのころまだ“冷やす・冷たい”はそれそのものに値段の付く特別なことだったんです。 急速に発展、変わってきているフィリピンですがこんな一面が同時にあるんだと感じました。

2018年11月23日金曜日

平和な状態 とは





「命令に従うのは楽なこと」


 グードルン・パウゼバング
ナチス時代を生きた作家 の言葉






今私の頭に浮かぶ 平和な状態 とは 単に
破壊しか生み出さない戦争がないという状態にとどまらず
衣も住も 明日を心配することなく今日の食事を口にでき
明日はもっといい日になると未来に希望を感じながら眠りにつける  という事かなぁ





2018年11月19日月曜日

今年の冬は


寒くなりました、もう冬目前です。この時期になるといつも思う、雪道に強い4WDそれも雪で道幅が狭くなってもすれ違いがしやすいスリムな車があるといいなぁというのは、今の車がよっぽど壊れたりしない限りは我慢々々。とはいえ今乗っている車の冬用タイヤへの交換 暖房機器の段取りはしておかなければなりません。

暖房、特に、今の家を建てる時吹き抜けを大きくとった事もあり薪ストーブを設置しました。土台から補強しストーブ回りもそれ用につくりました。すごく重いストーブは鋳物製で暖かく、寝る前に薪をくべておくと朝まで火の気を感じてとても快適だった覚えがあります。それが課題でもある薪をストックして置くスペースも十分ありましたし。 その後りフォームの時に煙突が引けなくなった事もありやめたんですが今でもあの暖かさと臭い(香り)を思い出します。

先日久しぶりに石油(灯油)を買って来ました。何年か前に使ったきりのポリタンクや給油ポンプは倉庫でとっておいたので買い替えなくても大丈夫でした。以前家で集会をしていた時、来てくれる人たちが寒くないようにと使っていた大型の石油ストーブも出してきました。 

暖かいところから来て初めて迎えた昨冬。彼女は何枚も着こみ一日中つけっぱなしでしたがエアコンとガスストーブ(一般家庭で使うよりは大型の物)で過ごしてくれました。もちろん、寒いと言っていましたが南国で生まれ育ったわりには寒さに強い・順応する力が強いなぁと感じました。 でも電気とガスの使用量(料金)光熱水費がすごかった! 覚悟はしていましたが、多い月で電気は約3倍 ガスは何と15(元が低かったせいもあります)以上の料金になってしまいました。 仕事から帰って、エアコンとガスストーブをフル稼働させるんですが、いったん下がった室温はなかなか上がりません。 「前に使っていた薪ストーブがあったらなぁ」と思ったりするものの後の祭り。 それで温暖化のことがあって控えていた石油ストーブを引っ張り出したというわけです。 もう目前の今年の冬は、早朝や帰宅直後石油ストーブを使って部屋が温まったらエアコンにするというふうにしてやってみようと思っています。

私はこれから冬という今の時期が一番気が重くなります。冬になってしまえば(冬の)次は春と思うと寒さ真最中でも意外と平気なんですけど。 まだ冬にもなっていないのに春が待ち遠しいです。

2018年11月14日水曜日

沖縄の基地問題 三沢基地


また々々沖縄で米軍による事故・FA18戦闘機の墜落がありました。繰り返す事故・事件、そのたびに感じるのが現代の不平等条約・日米地位協定のこと。 自分の国で起こった事なのに、自分の国の関係機関が調査も処理もできない、責任の追及や賠償の事も日本・自分の国の権限・法律で行うことができない。 事が起こるたびに、日本はアメリカ(合衆国)の属国だなぁと感じます。

トランプ大統領の方は対等な関係などとは毛頭思っていないのに特別な友人関係だと自慢する安倍首相。アメリカは日本のことを何でも言うことを聞く植民地としか思っていないだろうに。  安倍首相の唱える戦後レジュームからの脱却、戦前回帰の時代は大好きアメリカ(合衆国)に向かって鬼畜米英と叫んでいた時代なのに。 安倍首相の言動で何をしても良いと勘違いしている右翼・ネット右翼のやっていることはアメリカに日本を差し出すことであり様々なヘイト発言・行動は世界中に恥部をさらしているとしか思えません。



 もう一つ。沖縄の基地問題、事件・事故つながりで疑問が生じるのが青森の三沢(基地)のこと。三沢の方はアメリカ軍がいることによる事件・事故はないのでしょうか!?  実際の所三沢でも事故があります。今年2月の三沢基地のアメリカ軍F16戦闘機がエンジントラブルによる出火で燃料補助タンクを小川原湖に投棄して深刻な漁業被害を与えた事故がありました。 なぜか報道されることは沖縄に比べると限られているのですが、調べるといろいろありました。やはり基地があるから基地に関してのことが起こるのです。



 もう4年も前のことになってしまいましたが、南(沖縄)へ行ったのだから北(三沢)へも という思いがあったところへ、三沢基地見学・地元でアメリカ軍基地反対運動を続けてきた人の説明が聴けるという企画があったので手を挙げたことがあります。残念ながら、参加者が最低実施人数に達しなかったという事で中止になってしまいましたけれど。 それでも、せっかく思い立ったのだからと自分で出かけました。 その時の行程は、福島県白河市のアウシュビッツ平和博物館に寄ってから福島第1原発事故による通行止め・立ち入り禁止地区になるべく近いところを通りながら国道6号線を一路北上 青森県の三沢をめざしました。

 三沢基地は、アメリカ空軍と日本の自衛隊、そこを民間機も使わせてもらっているという共用空港。 民間部分の三沢空港は発着便数もこんなに少ないのとびっくりするほど、スペースも不自然なくらい小さい印象。名前は有名だったのにそれは基地の存在として有名だったのですね。 

写真は、アメリカ軍が占有している方が大きく広い空港。民間機が飛び立つ時だけ開いて滑走路に出られるようにする電動ゲート他です。

2018年11月12日月曜日

社会福祉の催しに何で軍隊(自衛隊)の車なの!


2018 福祉・介護・健康フェア(1118日日曜日 朱鷺メッセ・ウェーブマーケット) の案内チラシを入手しました。 目を通していたら「はたらくくるま」というコーナーが目に留まりました。そこに紹介されていたのは自衛隊の車両。   日々の暮らし、生活の中で欠かせない“働く車”っていえば沢山あるだろうに、なんで自衛隊の車両なの?



地震に豪雨 河川氾濫 水害が続きます。その時の救助・復旧活動で“自衛隊員”の働きを評価しない人はいないと思います。 だからといって隊員ではなく「自衛」となると話は別。自衛隊の本質は「軍隊」だという事を決して忘れてはならないと思います。決して建設会社 土木会社ではありません。 自衛隊は「自衛隊であって軍隊じゃない」と言う人がいるかもしれません。でも「自衛隊」という言い方は日本お得意の言い替えによる本質隠し。実質は立派な軍隊、それも世界的に見てかなり規模も質も高い軍隊。 実際の所、今でも自衛隊を外国に紹介するとき・外国が“自衛隊”を取り上げる時は“軍”の扱いになっています。 

 社会福祉(社会保障)に関して第2次世界大戦が終わりを迎えようとしていた時期、戦後を見越してのタイミングで、人を殺す大砲か人を生かすバター か 戦後の方向 選択を迫った“大砲かバターか”という有名な言葉があります。 そう 福祉と戦争は本来別のもの。 水と油、両立しないものなのです。

それなのに日本のこの手の 〇〇社会福祉祭り と銘打つ催しでは前々からこういう組み合わせが続いていて、なんでこうなるのか納得できないでいました。 人権・平和、子どもの成長にかかわることを企画者自身ちゃんと考えず、前からこうだったいつもこうだったと流れだけで計画しているんじゃないでしょうか。  軍隊を支持する人たちの催しならそういう企画が出てくるのはまだわかるけれど、社会福祉の集まりなんですから。何時までこんな展示、企画しか立てられないのでしょうか。  子どもも来る催しなんですから大いに問題ありの企画だと思います。社会福祉にかかわる人の、軍隊・戦争そして人権に対する姿勢を大いに問います。

2018年11月8日木曜日

P2 16-3-6 ホテル着が遅くなったわけ  送迎車 タクシー 料金


5,000円 という値段は高いか安い・妥当か。不慣れな外国で安全を買ったと思えばこんなもの?



今回空港からホテルまで送迎を依頼していました。料金は片道5,000円。 説明では、入国審査を終え空港待合ロビーに出た(入った?)所に、旅行会社の名前を書いたプラカードを持って立っている、という事になっていました。加えて、それ以外だれかが声をかけて来ても、(たとえ自分の)苗字を書いたものを掲げている人でもついていかないようにと案内がありました。

さて。荷物を受け取り「ずいぶん待たせちゃったなぁ」と思いながら大勢の人の間を抜けた先に私の苗字「〇〇様」と書いた簡易なプラカードを胸元に掲げた男の人がいます。掲げているのは確かに私の苗字、でも会社の名前は見当たりません。  様子を見るのと、いざとなればRさんに通訳してもらおうと思いわざと通り過ぎてみました。

空港には「着いた日はホテルへ行くだけだし送迎を頼んだから・・・」と伝えたRさんが「やっぱり心配だから行く」と言っていたので来ているはず。 Rさんたち(このたび初めて会う人も一緒)はすぐわかりました。久しぶりの再会の挨拶の後、一緒に先ほどの男性のところに戻りました。 話をしてみたら確かに私が依頼していた旅行会社の人。料金(片道5,000)はすでに帰りの分も含めて日本で支払い済み、それにこちらの事情での事なので迎えに来てくれたという事は了解のうえ、「迎えに来てくれたこちらの知り合いの車でホテルまで行こうと思う」等々と話しました。そしたら、「今日はほかの利用者もいないし、みんな一緒にホテルまで乗せてあげますよ。」との由。  どうしたことかと思いましたが、これはこれで別の車に乗るいい機会かと思い乗せてもらう事にしました。 車は、日本でいえばハイエースのグランドキャビン、色はシルバーグレイ。カンパニーネームなどはありません。強めのスモーク・ウインドウ、ドアを閉めると車内は静か、空調も効いてとても快適。荷物は私一人分でしたから知れたもの、みんなで乗っても広い々々。

こんなこともホテル着が遅くなった原因の一つでした。

ところで、冒頭の5,000円という値段は高いのか安いのか妥当なのか?ですが。 日本での空港から街中までと言うと特別高いという感じもしません、もっとかかるかもしれません。 因みに空港からホテルまでの送迎代5,000円はペソでいうと2,000くらい。 Rさんが乗って来たレンタカーは一日3,000ペソ。(・こちらでレンタカーを借りるとドライバー付きが普通で、確か10,000ペソだったでしょうか。 こちらの人の月収のことを考えると、ずいぶん高い気もしますが、運転 道路事情を見ているとドライバー付きで頼んだ方が無難だと思います。  ・ガソリン代は日本の半分くらい。ただし収入に対しての負担感はこちらの方がきついかもしれません。それもあってか、ガソリンより安価な軽油を使う車の人気が高いようです。)   空港からこの度のホテルまで、いくつか種類のあるタクシーいずれにしても400から600ペソ見当のようなので、2,000ペソは0(ゼロ)が一つ多いことになります。    総じてどうなるでしょうか。 送迎車自体は快適でしたし、多少日本語としておかしなところがなかったわけではありませんが十分通じましたし丁寧でした。やはり安心料という事になるのでしょうか。