2019年11月30日土曜日

歴史否定主義


「歴史否定主義」歴史的事実 歴史そのものを完全に否定する考え方

       香山リカ(精神科医)



「歴史修正主義」という言葉は知っていました。 

「ナチスのユダヤ人虐殺はなかった」などと主張する人たちがいることを知っています。日本でも「従軍慰安婦(セクシャルスレィブ)の話はでっちあげだ」「南京(大虐殺)事件はなかった」と公然と主張する人たちがいます。 事実 証拠を突きつけられても 自分で証拠となる記録を破棄しておきながら“証拠がない” これまでの歴史上の事実を嘘だでっち上げだと修正してしまう人たちがいることを知っています。 ヘイトスピーチを繰り返す“ネトウヨ”。 その扇動に乗ってしまい匿名で多くの人を傷つけている人たちのいることを知っています。 

“地位ある人”“影響力のある人”は 人を惑わせる分追うべき責任も大きいと言えるでしょう。 そのような人たちのことこそまず言いたい言葉を見つけました。 

伊集院静さんのこと 2/2




とにかく長年心にあったものを表出した伊集院さんのエッセー集「一人で生きる 大人の流儀」第9巻につづられた言葉(想い)を聞いてみましょう。

「いま、韓国たたきやインターネット上での誹謗中傷で不満を解消する風潮が広がっています。こうした動きの中で気になるのは、攻撃が匿名でなされることです。匿名が成り立つのは、権力に対して命がけでモノを言うときくらい。中傷の快楽にひたるのは、人間として非常に下品なことです。」  過度に行き過ぎるのも困りものですが、日本には“恥の文化”恥じるという事があったと思います。確かにこんなことをしていたら恥ずかしい、人として下品な行為と言えるでしょう。

「日本人の中に、怒りの感情が薄れているのは問題です。いま、権力への怒りを示して一番頑張っているのは香港の人達でしょう。日本でも、数年前に若者が原発問題で声を上げ、官邸前に集まったりした。集まる人たちは減ったけれど、まだ可能性はあると思っています。怒りは常に持っていないと思います。」 本当にそう思います。どんどん生業も生活も悪くされるのに、せっかくの選挙制度が有るのに、なぜ選挙(投票)になるとその張本人に投票するのでしょう。どうせ投票したって と棄権するのは、結局のところ支持(消極的)と同じことだと気づかないのでしょうか。異議(怒り)を表明するのではなく、どうやりくりしようと一人悩むことしかしないのでしょうか。 こだわり続けないのでしょうか。

「私の父親は軍人を嫌っていました。軍人は軍人だ、良い軍人も悪い軍人もあるものかと。」 原因は間違いなく気候変動のせいだと私もその警告に賛同しますが、頻発する昔とは異なる災害。その時出動してくるのが世界の国々の軍事力比較で上位78位のあたりに位置するとされている日本で自衛隊と呼ばれている軍隊。 軍隊として訓練され統率の取れた自衛隊員(軍人)。災害救助に当たる自衛隊・隊員の奮闘が取り上げられるたびに、非日常の存在であるべき軍隊が日常の景色にされて来ていると感じます。迷彩服を着て活動する隊員、カーキ色に塗られた車両が走り回る災害現場。やっていることは土木作業・工事と変わらず、“困っているとき”ですから個々の隊員の奮闘ぶりも相まって自衛隊に対する認識も変わってきています。 でも本質は軍隊、決して土木会社の職員でも車両でもないという事を忘れてはならないと思います。

伊集院静さんのこと 1/2




先日たまたま伊集院静さん(作家)がレオナルド・ダビンチの足跡をたどり“思いの丈を吐露”しているところを目にしました。たまたまでしたしほんの短い時間でしたしどんなことを口にしていたかなどは今になると思い出すこともできないくらいなのですが。ダビンチの紹介というよりは、ダビンチの足跡をたどる形で自身の心情を語っているという感じがして心に残ったのです。 同じころ、好評を博しているエッセー集「一人で生きる 大人の流儀」第9巻を取り上げてのインタビューを目にする機会に恵まれました。 

著作そのものも含めて伊集院静さんについての知識は、高い人気を保ったまま結婚した女優・奥さんがその後病没し死別したことくらい。このことは私でも記憶にあるくらい当時結構な騒ぎになりましたから。 今回の第9巻に描きこまれた言葉はこれまで一人になって歩んできた生活・人生で到達・昇華した文言の数々だと思います。ずぅっとこのような思いが胸の中にあったんだと思います。 



と、言うことを書いたのですが、画像検索のときについでに確認してみたら全然違う。これまで勝手に思い込み、それで書いていたら大恥をかくところでした。 でもその時はそんなイメージを持たせる切り口・口調だったんです。 この度初めて出自を知り、それが大元に有るのかな。生まれた街にも、訪れるあちらこちらにも、年に一月ほどしか帰らない時もあるという今居を構えている自宅・街も含めての生活(スタイル)がダビンチの生活。そして、終生手放すことなく筆を加え続けたと言われている3作品・3人の女性という辺りに、自分と同じ匂いを感じ取ったからこその探求と口調だったのかと考えさせられえました。

人それぞれ、様々だとは思いますが「心の中にモヤモヤはっきりしないけれど何かある」という思いになることはあるのではないでしょうか。普通はそれがなかなか思うように表せません。何とかしょうと努力しても「これじゃない(言葉以外にも様々な表現方法で)これじゃ伝わらない」と感じることがあるのではないでしょうか。それを表出する技術を持ち合わせているという所が一般の人達と“作家”の違いでしょうか。

以上は先の偶然から私の頭で勝手にこねくり返したものですが 

2019年11月24日日曜日

P 電力事情




同様のことは“電気”にも言えます。電気の場合は停電という事になるわけですが、停電しない 需要と供給が釣り合っている、個人消費の電気料金は賃金に見合った水準となっている。そして、海外資本を呼び込むため 産業育成のため他国と比較して“一番高い”という評判が立つのは避けたいところ。

停電の経験、「覚悟していたのに、思っていたより停電がないもんだな。」と後で思うこととなった一回だけ。これも先ほどの雨の時。 いきなり電気 家中の照明が全部消えて扇風機もストップ「来たか!」と思いました。幸いその時の停電は短い時間で復旧。停電と言うと、結局その一回だけでした。

併せてひと月くらいの日数になる私のフィリピン滞在での停電体験は一回だけですが、今後益々発展するだろう産業 経済、変化する生活様式で電力需要は拡大する一方ですから一層の電力供給体制が必要不可避なのは間違いありません。 加えて、以前エアコンについて「機械自体はあるんだけれど電気代が高いものだから使っていないお宅が多い」という事を書いたことがありますが、フィリピンは電気代の高い国なんだそうです。東南アジアの中でも高いと言われている電気料金も課題です。

電気代が高いという事は日々の生活だけでなく、工業化 経済発展にも大きく影響します。産業の振興発展には需要に見合う電気の安定供給はもちろん、電化機器を使おう(購入しよう)という気になる電気代が(安価)求められます。 

特に専門でなく取り違えているかもしれませんが、フィリピンの発電を担っている機関は日本で言う“公社”にあたるような組織が複数あるのかな。発電と送電は分離されているようです。{盗電もあるというようですし、送電()の有様を見ていると送電中のロスをなくす余地も大きそう} 原子力発電は過去において計画されたことが有りましたが、結局住民の総意で一度も稼働すること無く今に至っているバターン原子力発電所と言うものが有りました。 現在のフィリピンの発電供給量割合で言うと、化石燃料使用による火力発電総計に単独ではかなわないものの、水力、そして地熱発電の割合が他の国々に比べてかなり高いという事は初めて知りました。 供給に不安があるからなのか電気料金が高いからなのか、大手企業で自社発電をしているところも珍しくないようですが、その余剰電力の売電も日本で民間企業から緊急に電力を融通してもらうという事態が発生したときの感覚より取り立てて珍しい事の様ではないようです。

今のフィリピン、たとえば先進諸国と言われている国々が時間をかけ段階的に成してきたことを同時進行で取り組んでいるという事になるわけなので、取り組むべき課題も多く当然困難も沢山ありますが、私はいずれ明るい未来に到達するだろうと確信できる明るさと勢いを感じています。

2019年11月20日水曜日

P 計画断水


夏前にも耳にしていた断水の話。それが先日来、マニラ首都圏の各市・各地区輪番で一日当たり何時間と事前に通告したうえでの計画断水が継続して行われているという話が有りました。 原因としては「水源地・取水しているダム近郊の降水が例年のようになく水位が下りこのままの降水量だと年明け早々にも大変になる」という事で計画的な断水を行いダムの水を温存するという事だそうです。

 雨と言うと初めてフィリピンに行った10月に、空港ターミナルビルを出たところで感じたモワッとした空気が、お世話になる方の家に着くあたりで見事にザーッと雨(温かい雨でした)が降った時 空気が浄化され車や住宅街のライトがきれいに目に映ったという経験があるだけ。 雨と言うとその時一回限りだったので、飲料用の水は別途購入とは言え食器洗いや洗濯 トイレに全部水道を使っていたので「こんなにお天気ばかり続いているのに、どこから水を引いてくるのだろう大きな河?大きなダム?」などと思っていました。

 計画断水と言うとこんな話を思い出します。 昔東京でも同じようなことが行われたことが有るのですが、そのころ東京は毎日毎日雨降りで、それを伝えるニュースを見ている感覚では水不足なんて全然イメージできませんでした。それを納得させてくれた説明が「“東京の水瓶”となっているダムのあたりでの降水がない、取水しているダムの水位が下がっている。」という話。そういう事だったのか、水(水道)はそういうふうに作られやって来ているのかと納得した覚えがあります。 

この度のマニラ首都圏での断水(計画断水)も同じ要因・対策として行われているわけですが、マニラ首都圏の拡大と人口も大きく増えそれに伴っての水の消費量も増える一方なので根本的な手を打たない限り深刻な水不足は常態化していくでしょう。

因みに、別途購入していた飲料水は水道水を浄化した物だったようです。日本の感覚では(水道代は払っているのですが)お金を出して買うというとミネラル水というイメージがあるものでついついそう思い込んでいました。

写真は、家の前に設置された水道メーター・水道管です。道も全部コンクリ―で覆われていましたし、いざ漏水だなんだというときは大変だなぁと思いました。下水()も道の脇の方に小さな穴があけられているだけ、詰まることは無いのかな?大雨が降った時は追い付かないんじゃないのかなと心配になりました。

2019年11月6日水曜日

4種類の警備業務


ほんとに記憶・頭に浮かばなくなった時のためにメモしておくだけ。 何かの着になる・思い出そうとした時ようにここに取っておくというだけなのですが、まさに言葉の備忘録。

「警備業法」

警備業法は全8章・60条と附則がからなっていますが、その第3章にそれぞれの業務ごとに1号から4号まで4種類の業務が定められていました。

1号業務 空港保安 施設警備

2号業務 雑踏 交通誘導警備

3号業務 貴重品等運搬業務 

4号業務 身辺警備

言われてみれば至極納得ですが、正直なところこのように分けて規定されているとは思ってもみませんでした。 確かに対象も異なれば行う事 必要とする知識技能も異なる事に気づきます。 共通する基本的な教育 業務別教育を受けて業務につき、その後も現任教育が課せられています。 事故・事件が起きないようにと言うのがもちろん第一ですがもし起きた時という事も有りますし、昔は結構目にした気がする農閑期に行政から発注された近隣の小土木工事でおばさんが片手間に赤い旗を振る時代ではなくなっていたという事ですね。 確かに今交通誘導は、一日 もっと短くて半日で終わるような小さな工事や保守でもみんなユニフォームを着て真っ黒に日焼けした人たちが当たっています。 1から4号に分けられているそれぞれの業務にあたっている人たちの雰囲気 立ち居振る舞いも違いますね。