2019年11月30日土曜日

伊集院静さんのこと 1/2




先日たまたま伊集院静さん(作家)がレオナルド・ダビンチの足跡をたどり“思いの丈を吐露”しているところを目にしました。たまたまでしたしほんの短い時間でしたしどんなことを口にしていたかなどは今になると思い出すこともできないくらいなのですが。ダビンチの紹介というよりは、ダビンチの足跡をたどる形で自身の心情を語っているという感じがして心に残ったのです。 同じころ、好評を博しているエッセー集「一人で生きる 大人の流儀」第9巻を取り上げてのインタビューを目にする機会に恵まれました。 

著作そのものも含めて伊集院静さんについての知識は、高い人気を保ったまま結婚した女優・奥さんがその後病没し死別したことくらい。このことは私でも記憶にあるくらい当時結構な騒ぎになりましたから。 今回の第9巻に描きこまれた言葉はこれまで一人になって歩んできた生活・人生で到達・昇華した文言の数々だと思います。ずぅっとこのような思いが胸の中にあったんだと思います。 



と、言うことを書いたのですが、画像検索のときについでに確認してみたら全然違う。これまで勝手に思い込み、それで書いていたら大恥をかくところでした。 でもその時はそんなイメージを持たせる切り口・口調だったんです。 この度初めて出自を知り、それが大元に有るのかな。生まれた街にも、訪れるあちらこちらにも、年に一月ほどしか帰らない時もあるという今居を構えている自宅・街も含めての生活(スタイル)がダビンチの生活。そして、終生手放すことなく筆を加え続けたと言われている3作品・3人の女性という辺りに、自分と同じ匂いを感じ取ったからこその探求と口調だったのかと考えさせられえました。

人それぞれ、様々だとは思いますが「心の中にモヤモヤはっきりしないけれど何かある」という思いになることはあるのではないでしょうか。普通はそれがなかなか思うように表せません。何とかしょうと努力しても「これじゃない(言葉以外にも様々な表現方法で)これじゃ伝わらない」と感じることがあるのではないでしょうか。それを表出する技術を持ち合わせているという所が一般の人達と“作家”の違いでしょうか。

以上は先の偶然から私の頭で勝手にこねくり返したものですが 

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