振り返るに。この秋の頃は3年ぶりに百の大台に乗るか!?なんて思ったのですが、それなりに訳が有りながらもばらつきがあって今一歩となってしまいました。
“想い”は持たなければいけない。そして伝えなければいけないと思っています。 そのためにも、伝える手段と技術を持ち わかってもらうよう努力しなければいけないと思っています。
“感覚”
感覚には、1視覚 2聴覚 3嗅覚 4触覚 5味覚、日本の場合はそこへ第六感と言って気とか気配「何か気になる 何か変な感じがする」を加える考え方が有ります。
このうちどれが大事かなんて論ずるのは愚の誇張、何を生業としているかどんな生活をしているかで比重が変わるという事は有るにしてもどれ一つとして要らない物はありません。どれ一つ欠けても不自由することは様々に見聞きしています。 ただこの間私はこんなことを感じています「考えをまとめるのに邪魔になるのは聴覚よりも視覚かなぁ」と。 昔は「ながら族」なんて言葉が有りました。受験勉強(と称して) しながら ラジオの深夜放送を聴いている。 勉強という事では本末転倒だったかもしれませんが。 影響力のあるパーソナリティが何人も誕生しました。私でさえ夜中まで放送を聴いた覚えがあります。時代だったのかもしれません。形も様々大きさも様々でしたが、社会・世相の動きを生み出したのは確かでした。
150
今年は新潟湊開港150周年にあたるんだそうです。それを記念して 新潟市歴史博物館 みなとぴあ を会場に「新潟開港150周年記念展~開港場新潟展~」というものが開催されました。 そこにも扱われていた白山公園(初代)のことと、私の引き継いできた記憶の相違があるという個人的に因縁の有る事を書いていました。 その際、念のためと思って以前は持っていなくて今他の縁で手元にある資料に目を通していたら記憶と違うところを見つけて、それを調べてからなんて思ったら進まなくなってしまったのです。 そればかりしている常でもありませんし、時季も悪くなって調べにも行けなくなって様々。やはり150周年にあたる今年書き上げるのがタイミングとしてはよかったのでしょうけど。
0 件のコメント:
コメントを投稿