2010年9月10日金曜日

1-10-10.2 東部アフリカ ケニアの太鼓



 みんなからの歓迎の歌のプレゼントの後、場所を外の東屋に移して、改めて交流の一時を持ちました。


 一緒に行った二人は、折り紙を折ったりキーホルダーサイズのハーモニカで曲を披露。

 私はマゴソスクール用にとっておきたかったので改めて何かとゆうことはしませんでしたが。東と西の違いはあるものの、アフリカの太鼓・音楽をやっているとゆうことを話したら、荒川さんが「ずいぶん使っていないけどありますよ」と言って太鼓を持ってきてくれたので、その太鼓を仲立ちに交流しました。。

 その太鼓はほこって革も一部破けていたけれど、何人かの女の子が左手でベーストーンを刻みながら右手に持った棒で胴をリズミカルに叩いてみてくれました。

 私も替わって叩いてみたけれど同じように叩けない。どーも右手のリズムがよくわからない。ただ同じ調子に刻んでいるだけでなくて、循環リズムで叩いているらしいのはわかったけれど。

 もうちょっとでできそうな感じもするんだけどどこか違う。持って生まれた、民族のリズムなのかもしれない。(私個人の、レベルの問題かもしれませんが)

1-10-10.1 この乗り 日本の乗りとは一味違う



    食事とそれに引き続いての質問タイムの後、同じ部屋なんだけどテーブルと椅子をどかしてスペースを作り、何人かが即興で歌い、その後みんなで歓迎の歌を歌ってくれました。


 途中からは私たちも加わって大きな輪を作り、手をつないだりその手を上に上げたり前後に振ったり。

 楽器をぜんぜん使わないでもこの乗り。日本の乗りとはひと味違う、たいしたものだと感心しました。

2010年9月8日水曜日

1-10-9 幼児婚から逃れてきたヘレン

一番背の高い生徒がヘレン
食事の時、私の左隣にいたのはヘレンという7年生の女の子。


 他の子たちとは顔立ちが違うし、背が高い上にすごくスリム。で、歩く時の足の運びがゆったりゆったり。ちょうど、足が細くて長いキリンさんが歩く時みたい。

 このヘレン、後で話しを聞けば、幼児婚から逃れてストリートチルドレンになっていたマサイ出身の子でした。

 ちなみに、マサイの人と一段と肌の色の濃いルオ族の人は(その特徴で)すぐわかるようです。



 後日、マサイマラのエナイボルク村での夜の一時に(何でこの話題になったのか話の前後は忘れてしまいましたが)、失業率が40%と高いケニアで“明日は我が身”とゆうことで、地域・一族で助け合って生きているのに、幼児婚から逃れられたとはいっても、これから先一族の助けを一切受けられないわけだから、どうやって生きていくのだろう。どっちが幸福なんだろう、という話が出ました。

 ヘレンの人生において、ほんの一瞬関わっただけの私だけれど、これからの彼女の行く末を考えてしまいました。

2010年9月7日火曜日

1-10-8 このグリーンのは なに !?


 ピーター・カルリ園長による食前の祈りの後、私たち一行を含めて28人は食事を始めました。
 初めて食べるウガリ。甘みもあってけっこういけるじゃない、と思いました。
 ただこれは温かいうちだけのようで、さめると美味しくないそうです。味ももちろん変わるけど、食感も弾力が出て 少し柔らかめのゴム みたいな感じになるようです。

 デザートに、果物をのせたお皿が回されてきました。
その中に、プラムを少し大きくしたくらいのサイズで、果肉を厚くつけたまま皮をむいた、元は小判型をしていたのかなと想像できるグリーンのものがありました。
 なんなのか聞いたら“マンゴー”とのこと。
 日本で見る、黄色や黄に赤味の差した大きな、そして熟したものとはずいぶん印象が違います。味・食感はもちろん、すっぱみが強くて固いものでした。
 ただ、この青々としたマンゴーを口にした時うける刺激は、のどの渇きには良いかもしれません。

2010年9月4日土曜日

1-10-7.2 サイデアフラハのお昼 ウガリについて


 ウガリ作りを体験させてもらいました。
七輪(炭使用)に掛けた鍋でまずお湯を沸かし、そこに白い種類のトウモロコシの粉を入れ、いっきに こね そして混ぜました。
 焦げないように いっき にしないとだめなんですがこれが結構大変でした。トウモロコシの粉がウガリに変わるにつれてこねるしゃもじが重くなってきて、難しくはないんだけど大変でした。脇で見ていてもそうだったんでしょうね、ママさんに笑われてしまいました。
 ウガリ作りに平行して、外の かまど(薪使用)では大鍋で、最初ほうれん草かと思ったケールを細かく刻んだ“スクマ”というものとジャガイモをさいころ状に切ったもの、そして豆を炒めていました。(ちなみに、ほうれん草はスクマチと言うのだそうです)

 この“ウガリ”、私、ケニアの伝統的な主食だと思っていました。今回のことに先だって少し調べて初めてわかったんですが、実はそうではなくて、植民地になってからのことのようです。
 元々は、自給していた いも類だったようですが、このウガリになってからはわざわざお金を出してウガリの材料のトウモロコシの粉を買わなくてはならなくなった。流通のシステムに組み込まれ、口も財布も押さえられてしまったということになるわけです。

1-10-7.1 喜びとともに作る食事


 今日のお昼はここ(サイデアフラハ)で食べるようになっていました。ジャシーでは日本食だったので、初めて食べるケニアの食事とゆうことになります。
 食事作りは、一度に大勢の食べる分を作るので、見ていてなかなかきつい肉体労働だなぁと思いました。でも当の本人は、歌こそ歌ってないようだったけれど、かけ声というか動きに拍子が自然に付いたりして“楽しそう”でした。
 たぶんあの人の中では、単に仕事というのではなくて、みんなの食事を作るというのが喜びでもあるのでしょうね。