2019年4月13日土曜日

“3.11”の日に


3.11”の日 職場で喪章が掲げられました。

2020年開催予定の東京オリンピック誘致の時安倍首相は(福島第一原発に関して) アンダーコントロール という言葉を使いました。けれど8年たった今でも、政府発表でさえ5万人を超す人たちが避難生活を余儀なくされています。 確か何年か前もおんなじことを聞いた気がしますけれど、解決まで40年も50年もかかるそう。ただし、実際のところはいまだ全貌が把握できていないし技術も確立していない… となるとその50年だってどうなる事やら。

東京オリンピックは復興五輪だなどと言っていたのに、オリンピック開催に向けての建設ラッシュで東北地方の復興・再建にかかわる資材も高騰、人手も取られてしまい現実には妨げとなっている。何かというとパフォーマンスだけははでだけれど、そもそも不十分な支援策すらも具体的には遅々として進んでいません。

2019年4月1日月曜日

心の中で弔っていようと思っています


父が亡くなり帰天 葬送式の日は2月というのにとても暖かく穏やかな日でした。ところがその翌日からは気温もぐっと下がり大荒れの日が続き体調を崩してしまいました。

3月に入っても春らしい日は訪れず、年度末の忙しさかと考えるようにしていましたが一向に気が晴れず調子が出ない日が続きました。 それで思ったのです。考えれば幾つも理由を上げることはできそうですが、やはり人が父が亡くなったという事が大元にあるのではないかと。 思えば3.11の後もしばらく、具体的にどこがという事ではないのですがなんとなくの不調が続きました。 

後かたずけも含め様々なことが続きます。ずっとこうしているわけにもいかないとわかっているのですがいましばらくは喪に服す。そこまで行かずとも今しばらく心の中で弔っていようと思っていました。 父は神の元への帰天をしたのであり喜ばしいこと、季節も変わり暖かく花もさまざまに咲く季節…  この日常にもいつか慣れ、新たな営みを行うことができるようになることでしょう。 感謝

2019年3月6日水曜日

思えばそれ以来次から次へと事が続いて


思えば去年(2018)6月に従妹の奥さんから「もう何日もオシッコが出てないのに医者に行くと言わない。・・・」という電話が朝来て駆け付けたことから始まったような気がします。 それ以来次から次へと事が続いて・・・

 ちょうどその日自分の用事を足すために休みをもらっていてまるで予期してみたいだと不思議な思いで話した覚えがあります。 結局尿閉側で泌尿器科を受診、導尿で一時軽快となったものの、一人で通いやすいところに転医の段取りをしたりで丸々一日かかり自分の用事を足すどころじゃありませんでした。 その後精密検査で紹介された病院で手術を勧められるも拒否、導尿のチューブを入れたままウロバッグをぶら下げたままでいました。チューブが入っていれば見た目は悪いものの、オシッコが出ないというつらさはありません。そうこうしていると、11月に脳出血で救急搬送され入院。これから(奥さんの)世話になるんだからいろいろ教えておかないとだめだよ…と何度も話していたのに「ダメなんだがね…」と言って車の免許も各種支払いをはじめやりくりを教えておかないもんだから携帯は止まる電気ガス水道は止まる、おまけに子どもが卒業・入学のタイミングに重なってどうにもこうにも にっちもさっちもいかなくなってアウトの状態。

 もちろん本人や奥さんも動きましたが病院対応。本人と連絡着かないし、奥さんと話してもなかなか理解してもらえなくて困ってましたと両方から言われた卒業予定と入学予定の学校対応。結果として同じ日となった、この春約3年ぶりに初めて帰国する予定での準備、父の闘病そしてお葬式対応をしたりで正直大変でした。

 帰天の式、様々な手続き、疲れ寒さ。食欲も失せ寝込んでしまいました。彼女の帰国予定日を前に寝込んでしまいました。誰かいればその人のためにと頑張りもするのでしょうが、一人では疲れ・面倒くささが先に来て食べないもんだからなおさら悪いんでしょうね。気力もなえるし、一人じゃほんとにダメなもんだと痛感しています。

父が亡くなりました


父が亡くなりました。

ちょうど2年前、インフルエンザからくる発熱をきっかけに誤嚥性肺炎を起こして緊急搬送されて入院。その後、口で食べることを試みるものもかなわず鼻腔栄養となっていました。 その鼻腔栄養も、誤嚥性肺炎を毎月のように繰り替えす原因という事で点滴に。最後は鼠径部に針を留置しての持続点滴となっていました。 それでも、匂いだけでもと甘い香りのお菓子を鼻に近づけると口が開くという反応を示してくれていました。  思えば、この2年間 徐々に弱っていく姿を示してくれることによって私に今日のこの日の準備をさせてくれていたのだと感じています。

 今は 先頭に立つ大変さ (父 母のいない)心細さを強く感じています。 入所そして入院。最後の何か月かは手を借りないと思うように身動きすることもできなくなり寝たきり状態ではありましたけれど、いてくれるだけで違ったんだと感じています。 始めであり終わりである すべての造り主であり救いの主 である神様のもとに帰るのだから喜ぶべきこととは思っていても不安な気持ちでいるというのは事実です。 でも神の元への帰天と思い感謝しようと思っています。

2019年1月31日木曜日

 “鱈”の付く言葉




鱈という魚の、姿かたち 習性から派生した言葉



“鱈腹食べる”

いつも、考え無しお腹いっぱい食べてしまい結果お腹が膨れてしまう様から 

 

“出鱈目” “無闇矢鱈”

悪食 目の前に来たものを考え無しに何でも食べてしまう様から 





魚偏に雪と書く魚 “鱈” 

冬、雪の降る12月から2月にかけてが旬のおいしい白身魚。

世界中に、新鮮な状態 乾燥させた状態のものを用いて様々な食べ方の有る、

大きくなると体長1メートル 重さ20キログラムを超えるという魚。

今だ縁なく口にしたことがないけれどお刺身でも食べられるという鱈。

何時か食べてみたい。

2019年1月24日木曜日

P なぜ家電製品を買うのか いくら日本より安価だと言っても

 
結局冷蔵庫のほかにも洗濯機や電気釜他を買っています。 それらは日本で同程度の物を購入するより安いとは言えなぜ? 直接のきっかけは子どもの発熱。洗濯機や電気釜は大勢の食事や洗濯の家事労働の軽減・時間短縮。 プラス為替マジック、日常を離れた旅先ということがあったと思います。

両替すると10,000円が約4,000ペソ前後(これまでの最安が約3,900ペソ 最高が約4,400ペソ)。ゼロが一つ減って、感覚的には音の響きでなんだかみんな安くなった錯覚を起こしてしまいます。その上実際の使い出は、1,000ペソが1,000円の2倍 場合によっては3倍にも4倍にもなるんですからおかしくもなろうというものです。 でも地元の人の賃金水準からすれば、車ほどではありませんが今回の冷蔵庫でも洗濯機でもなかなか手の出ない代物。ですから「日本より安い」なんて簡単には言ってはいけないことです。



昔々「世界中に救済されるべき人がいるのに目の前にいる人だけを助けるのは不平等ではないか」という言い方がありました。 目の前に対象の人・問題があるのにそう追及されたらどうしょう、という恐怖がありました。 今なら、最終目標はそうだとしてもまず始める・行動することが、そんなことばかり考えて何もしないでいるより大切と言えますけど。

一つ家電を取り入れることによって家事労働(拘束)から楽になる(解放)となる。日本で同じ金額を使った時と比べて生活の変わり方がこちらの方が大きい。そういうお金の使い方をするなら、生き金を使った と言えるのでは、なんてことも頭にありました。