2015年3月30日月曜日

3日(4月)までやってます 映画 「ひまわり」



 「ひまわり」 1959630日 旧石川市(現うるま市)児童ら17名死亡200人あまりが受傷した「沖縄 宮の森小学校 米軍ジェット戦闘機墜落事件」を描いた映画。

 

この映画、シナリオを描いた人は地元の人。とにかく情報がたくさん。つまり、沖縄ではそれだけたくさんの事件が起こり、且ついまだに続いているということに他ならないんだとすぐ思い至りました。 ただし一本の映画としては、専門家がアドバイス・取捨選別してあげればよかったのにという気もします。いずれにしても、伝えたいこと思いがいっぱいがたくさんたくさんあったんだと感じました。

 

 2012年、初めて沖縄に行き地元の人たちとの交流の中で「宮の森小学校ジェット戦闘機墜落事件の映画を今作っているところだ今度は上映運動だ・・・」いう話を聴きその時からぜひ見たいと思っていた作品。今、椅子席99の小さい劇場で日中のみですがシネウインド(新潟市)で上映されています。

2014年宮の森小学校米軍戦闘機墜落事件の現場に行きました。数々の資料を目にし、実際に被害にあった方の証言を聞きました。その時聞いた「目の前が全部オレンジ色になった」という言葉はその渦中にいた人でなければわからないこと。数々の資料を収集・保存・広める重要性はすごく大切な事。それプラス、このような数字や写真などの記録には乗らないこのような肉声もとても大切だと感じたことを覚えています。

映画には同じくその時耳にした「太陽が落ちてきた」という言葉が出てきました。

 映画の体裁にこだわれば何もないわけではないけれど、このような事件を記録・記憶にとどめること。それを上映・広める“運動”の大切さにこだわりたいのです。

3.11も戦争も“忘れないこと こだわり続けること” が大切だと思っているので。

2015年3月28日土曜日

10-9-16 車オリンピックを時間軸にしてみてみると 追伸


追伸 
 
 車格・階級社会ということでは昔こんな逸話を聞いたことがあります。

「イギリスはロンドンの高級百貨店。駐車場への入庫待ちの車列の脇を高級車が並ぶことなくサァーッ通り抜けていく。そして正規の駐車料金とは別のお金を払って駐車する。車列の人たちは改めて文句を言うようなことはしない。」いくら別にお金を払うとはいっても、日本人の感覚で言うとおかしな話。何も言わないなんて不思議な感じがします。でも「それが階級社会というものなんだ」

というような話を聴いたことがあります。日本の貴族・お金持ちはその地位や財力を使って国の困難な時でも兵役を逃れようとしましたけれど、イギリスの貴族は特権を行使するだけでなく“ノブレス・オブリージュ”という言葉があるほどに責任も果たすからあり得ることなんだろうと思います。 
 そのほかにも、イギリスでは社会階層・役職で乗ることのできる車が決まってるのを見せられたこともあります。それはある映画で、警察の上役はジャガーに乗っていても現場の刑事・警官はローバーという具合に。ロールスロイスやべントレーはお金があれば乗ってもいいという車種ではなかったし、逆にどのクラスの車に乗っているかでその人の社会的階層が推測判断出来るという具合に。

これも記号としての車ですよね。

10-9-16 車オリンピックを時間軸にして見てみると


 
購入システムが整ってくると車を手にすることは一般の人でも可能になってきます。そして今の韓国はすでに十分な車社会だと思います。ちなみに売れ筋は「そう高級車に乗るというのも一般にははばかれるので、1500ccくらいのが多い」そうです。

今の韓国社会の状態・段階はすでに身分による上下関係は以前に比べれば弱くなってきているのでしょうが、車同士の力関係の例もあるし社会的経済的というものに形を変えて上下関係は色濃く残っているように見えました。それは「軽自動車なんかでホテルに乗り付けても相手にしてくれない」という逸話に見て取れます。 (注 軽車 日本の軽自動車とは別物。小型車より小さい1000cc未満の車をそう区分けしているそうです。)

ということで“車”と“オリンピック”その第2次世界大戦後の日本の時間軸と比較して日本・韓国・中国の社会の進み具合の形を見てみます。

日本では第2次大戦後諸外国の支援なしにはとても多くの餓死者が生まれる危機に直面したものの産業・経済の発展とともに車が普及する時代を迎えます。(朝鮮動乱がその大きなきっかけというのは悲しい気もします)それでも当時は車(自家用車)を買うこと自体が立派な会社に勤め給料ももらい車を買ってもいい社会的地位・年齢になったという具体的な表れでした。その後も購入する車は収入・社会的・企業内地位を表すものでありランクアップしていく経済成長の時期でした。戦後19年目の1964年に東京オリンピック。産業の拡大とともに公害という負の出来事もありましたが戦後5060年という時間の流れの中で順に社会が変わってきました。

1945年からどれくらいの時間をかけて変化今に至っているか、そんな日本の移り変わりの時間軸に比較する形で韓国と中国を見てみると。

韓国は軍事政権のもとで漢江の奇跡とも言われた経済発展を経て戦後43年目の88年にパルパルオリンピックと言われたオリンピック。その後20年くらいかけて現在に。

 日本の場合より時間をかけてオリンピックを開催するに足りる力と社会的な成熟を自他ともに認められる形で開催にまで到達。その後の経過・変化は日本の場合より急ということになりますね。

中国はそれがもっと顕著。63年かけて2008年に北京オリンピック。そして現在に至っているわけです。自他ともに経済大国と認められた後がほんとに短い。車の普及の具合とか映画で取り上げられるテーマを観たりするとあらゆることが一気に同時進行状態。つまりすごい勢いで進歩・変化している真っ最中、人と社会・政治がその激変に追いつけなくて混乱状態だと思います。

2015年3月20日金曜日

実感  ”介護”高い専門性とそれに見合わない社会的評価


入浴介助 をさせてもらいました。先日夜勤も行いました。“介助”技術のうまい下手については当然のことながら先輩諸氏にはかないませんが・・・

わたしだってこのままじゃないぞ!と思っていますが先輩諸氏はさすがにたいしたもの。

 

ますます進む高齢化社会の中で、これから一層求められる職種・人材。大切な仕事の割にいつまでも社会的評価が低いままなのが社会福祉関連の仕事。対価としての賃金レベルも低いまま。

色々な資格があり、その資格を習得するための年限や難易度そして対象や内容が様々だけれど進めば進むほど専門性が増し別の業種・専門には手が出せなくなっていく。これは別の部門から新たに係わり初めて実感しています。けれど資格ごとの社会的評価の高低は旧態依然のままというのが現状。

これではいけないということは以前から気づいていました。保育とか生活支援“介護”ということが日常の延長としてのイメージから向けだせないままなんだと思っています。でも専門的な技術はたいしたものだと思います、ほかの人が簡単に変われるものじゃないと実感しています。

いつ終わるとわからない家族の介護に疲弊して関係が悪くなるようなことにならないためにも“プロ”(制度)の力を上手に借りるのが長続きのコツ!と事あるごとにアドバイスしていた私だけれど、今回自分でかかわってみてその専門性とプロの高い技術ということを再認識しました。その専門性を認め、それに見合う評価を早くにすべきです。そうしなければ人材確保はできないということを頭だけでなく実感します。

 そういう意味でも「高齢化社会対策に力を入れると言いながら介護報酬を切り下げる」はだめですね。

2015年3月13日金曜日

10-9-16・17 車のデザイン  どこかで見たような

 
  街で見かける車はほとんど韓国車。見ていると現代と起亜が多いようです。これは“限られた数日に私が見た範囲において”ということになりますが。でも実際の所現代とその傘下の起亜が多くを占めているのは間違いのないところのようです。

バス・トラックのデーウ(大宇)も走っているけど少なく、四駆メーカーのヨンサンムッソーは一回だけ。 外車ではベンツ。それより回数は少なかったけれどBMW。意外とフランス車が多く走っているという印象があったけれど、フランス製ということではなくてルノーデザインのルノーサムスン・韓国車かもしれません。実際、アメリカのGMやフランスのルノー インドのマヒンドラといったところと提携が進んでいて韓国資本のメーカーは現代と起亜だけとのことです。

日本車は高価ということもありますが近年までの輸入規制のせいもあるのかあまり見かけませんでした。 江南地区で黄色のレクサス ホンダのCRV。空港で特装車のいすゞを見たくらいです。

三菱のシャリオかなという車も何度か目にしました。ただし、街を走る車、どれもかっこ悪いわけじゃないんだけどデザイン的にどこかで見たような気がするものばかりではっきりしません。デザインは特にセダンの雰囲気が日本車かと見まがうほどの車が多かった
ような気がします。軽車のジャンルに分類されるのでしょうか、とっさに日本の軽自動車が走ってる!と思った小さなワンボックスも幾度か見かけました。

全体として、街を撮る中で車がということはあっても、その車を狙って撮りたくなるような車には出会いませんでした。 

“顔”があればいいというわけでもありませんが、1tとか1.5t位なのかなぁ、小型のトラックが少し表情のあるデザインでした。これも何十年か昔の日本で走っていたような気もしますけれど。

10-9-16 車と車の力関係にみる韓国社会


 
ダンッ!!

急ブレーキです。びっくり。前を走る“高級”車との接触を避けての急ブレーキのようです。場所としてはハイソサエティの人たちが住むという江南地区を通っているところでした。

誰でも事故は嫌だからぶつかりそうになればブレーキをかけると思います。けど、こんな時日本のバスやタクシーといった営業用車だったらクラクションを鳴らすでしょうに、急ブレーキをかけさせられたバスの方が弱い立場で衝突事故を避けるようにブレーキを踏むとは。

韓国では近年まで日本車は輸入規制されていました。そして外車・輸入車は関税の関係で国産に比べるととても高価。だから、持っているのは本当に金持ちの人たちだけなんだそうです。韓国の社会は想像以上に社会的 経済的上下関係が大きく保障等後々大変なので一般のドライバーは外車・高級車とだけは事故を起こさないように細心の注意をはらっているんだそうです。 この特別扱いは、韓国車の駐車違反はレッカー移動されても外車はされない、という話があるほどです。

移動中のバスが急ブレーキをかけたのはそんな事情があるからなんですね。

2015年3月8日日曜日

民意を聴かない安倍政権の行っている “悪貨は良貨を駆逐する”

この暖簾の先が私の新しい舞台
 先日からの介護事業所、一ヶ月の試用期間を無事すぎてだめとも言われていませんので正式の採用になったんだと思います。いままであちこちバラバラに関係なく(無いように)学んできたことの一つ一つがみんな結びつきだした実感があって正直びっくり、ぞくぞくしています。もともと私は社会福祉の方でしたから、厳密には福祉施設というわけではありませんけれど本来のところに戻ったということでしょうか。 感謝

 

ところで、この度の雇用は“常勤パート”という位置づけ。 “常勤”で“パート”という言葉どう考えても変だと思いませんか?!常勤だったらフルタイムだし、パートだったら常勤とは言いませんよねぇ。でも今の制度ではそういうふうにしないとやっていけない現状があるんです。

日本は未だに同一労働同一賃金にはなっていないので、常勤の正職と全く同じように時間も中身も仕事をしても、雇用形態・契約がパートで正職でなければ基本給もないし加算もつかないし働いた時間分かける時給だけ。ちなみに私の場合、企業規模も業種も雇用形態も勤続年数も違うけど、時給は三分の一強 月給としては四分の一といったところです。(注 常勤でも低い! 以前でも“福祉職の給与は医療職の六割) 誤解されないように加えておきますが、私の所はまだ良い方だと思っています。契約に関しての説明や書類の類もちゃんとしているし、利用者のことを思いながら働く人の負担を少しでも軽くしょうと思って勤務を組んでいるし法人としても人を配置していると思います。 みんな一生懸命ですよ。

 

それにしても。福祉分野で過重労働の中 まさに身を粉にして働き、それなのに働き続け結婚して家庭を築くことのできない給与というのはなんなんでしょうか。

安倍首相は昨年消費税率を上げるにあたって「社会保障の充実のために」と言いました。でも、実際には法人税率を下げた穴埋め財源に回しました。そして今年4月から介護保険の切り下げです。これは約束違反・うそつき以外の何ものでもないでしょ。

実際問題、今の介護保険制度でもその働きに見合った賃金をちゃんと出し人をちゃんと配置してはやっていけないレベルなんです。それを安倍政権は自分の都合のいいところだけを取り上げ無理押しの末4月から切り下げるんです。

「(介護保険)制度で保障されない分は利用者から直接(自費)お金を取れ、そうすればやっていけるだろ!」 

利用する人のことをホントに考えている良心的なところほどやっていけなくなる。それでは継続していけない保険制度しか考えない安倍政権は、国民のことを考え国民のためにある政府・行政ではないと思います。