2015年4月19日日曜日

今日は私の日じゃなかった  その1 怒ると叱る 

 
この言葉どのように同じなのかどのように違うのか。先の夜勤の同じ一夜のことに対して2人が言及。おなじことに対してでもこんなにも言い方が違うのか。その結果、聴く側の受け取り方がこんなにも違うのか と感じることがあったのです。
1人はまさに「追及」。〇〇しなければだめだとそこだけ取り上げて追及。そこだけ見れば確かにそうなので言い返す余地がありません。どうしてそうしたのかについては一切 訊かれませんでした。 この際ついでにというようなことも持ち出して来て追及。 これじゃぁ反発しか生み出さないだろうと実感。途中から事の起こりそっちのけで感情的なやり取りに終始してしまいました。
もうひとりの人は、当夜私がしたこと(しなかったこと)が結果としてどうなるかを穏やかな口調で理解そして納得できるように話してくれました。説明も具体的でよくわかったし、どうゆうふうにするかも実際にやって見せてくれました。
激しい口調で逃げ場をなくすように追い詰めるとそもそもの問題そっちのけで言い争いになったりすることもあるものだけれど、穏やかに言われると窮鼠猫を噛む的な反撃は起こらないものだと思いました。
 
 改めて 怒ると叱る について
 怒る 
目に映ったことに対して反射的に言っていて、なぜそうなったのか したのかについてなんかまでは思いもよらない。この際ついでに…なんてことで以前のことを持ち出してしまうといっそうの混乱を招いてしまう。自分の感情 自分の想いの発露にとどまるのではないでしょうか。
叱る 
まず自分の方から相手に理解されるように努める。 今起こっていることに対して具体的に話す。 なぜそうしたのか言い分を聞く。 その行為の結果何が考えられるかを一緒に考える。
すごくすごく大雑把になるんだろうけど“自分のために 相手のためにか”の違いがあるのかなぁ。
 

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