ヘブライ人への手紙 第10章1から3節 が引用された時ハッとしました。
要約すると。 なぜ毎年
なぜ何度も生贄をささげ続けるのか。本当に効いているのなら 一度清められたのなら必要はないのではないか。 その“宗教”が本当のものならば その(宗教)行為に力が有るならば なぜ何度も行うのか毎年繰り返すのか 何度も行うように求められるのか。 つまり、繰り返すよう求められるのはその宗教
宗教行為 “儀式”には真の力がなく 人の作為ではないかというわけです。かなわないのは備える供物・お金が足りないからだと脅迫するように求めてくる御利益宗教のことを思い浮かべました。
それこそ 聖書の昔から同じようなことがあるんだなぁと思わされました。
願いがかなうかどうかは、祈り願いそのうえで神様の御心。タイミングもかない方も(神からの応答)も人の尺度では測りきれないものだと思っています。どうしてですかなぜですかと思う現実、きっと深い意味があるはずですから。弱い私、正直なところそう思わなければどうしょうもなかった日もありましたから。
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