2018年10月31日水曜日

バロット おいし~い


2番目の弟に赤ちゃんが生まれた、お祝いを送る。」と、新しく送られて生きた赤ちゃんを真ん中にした写真を見せてくれました。   写真は特に生まれたばかりの赤ちゃんをのぞき込むお姉ちゃんなり立ての上の子とお母さんの表情がとても印象的。それに比べてお父さんは身の置き所のなさそうな表情、こんな時の心境は私もよくわかります。 早速お祝いメッセージを送っていました。  彼女は誰でも彼でも全員に出しているわけではないんでしょうが、両親・兄弟の他に友人・知人の誕生日だと言ってしょっちゅうバースディ・メッセージを送っています。 この日はそこから話が進展して、「赤ちゃんが好きだ 私も欲しい」という話になり、そのあとどうしてその話になったのか今となると覚えていませんがバロットの話になりました。彼女はバロットを食べるそうです。「好きだ。おいし~い」と言っていました。 またまた新たな一面を知った感じです。

2018年10月29日月曜日

またまた 自己責任論 この“国”はどうなっているのだろうか


    この度の安田純平さんの3年4か月ぶりの解放に関してまたまた自己責任という言葉が飛び交っていますが、まずは無事解放されたことを感謝して受け入れるべきだと思います。   

殺害されてしまった先の後藤さんの時は政府が先頭に立って自己責任という言葉を持ち出して個人攻撃したのに対して、このたびは 実はいろいろやってたのですの自画自賛という姿勢。 これまでの政府・安倍首相の言動を後ろ盾にこの度も自己責任論を声高に論う人がいますが、すでに十分言ったからとでも思っているのか政府が直接個人攻撃というのはその陰に隠れているようです。 

この度少し違う印象なのは、これまでより「危険を冒してまで紛争地に報道関係者が入る・事実を伝えるという事の意義 大切さを訴える意見が増えている」という事でしょうか。  

時の政権と異なる意見を持つ人だとしても、危険にさらされた時は自国民の保護を最優先にするそれが国の責務、“自国民の保護は国の責務”だという声をこれまでより強く感じます。 同じように誘拐された他の国の人たちはこれほどまでに長引かずに解放されているのと比較する形で、日本政府の無策を指摘する主張も出て来ました。 

徐々に明らかになってきたのは、結果としてこのたび安田さんは解放されたけれど政府としては何もしてこなかった。 解放はされたけれど(外的要因 情勢の変化で)それは日本政府にとっては予期しないこと、今回の解放に関しては最初から最後まで日本政府は蚊帳の外だった、という話。  本当のところどうだったのでしょうか。 実は何もしていなかったという事に関しては、今年のアメリカのトランプ大統領と北朝鮮の最高指導者とされている金正恩氏との会談の時「日本はこれまで直接拉致被害者のことで話をしてきたことがない。」という発言が飛び出したことを忘れてはならないと思います。 これには驚きました、拉致被害者の家族の人たちもさすがにあきれ怒りの声を上げました「もうあてにできない」と。 強行手段で追いつめるばかりの今の政府・安倍政権のやり方に対して、それだけでいいのかという思いを抱いていた人は少なくありませんでした。こうまで何の進展もないことに対して、本当に取り組んでいる(交渉している)のだろうかと疑念を抱く人もいました。それでも“国と国の交渉”だからと言い聞かせていたのに、恐れていたことが実際になってしまったわけですからみんなあきれるわけです。

 そう見てくるとこの度の安田さんのことも、今になってやったやったと自分で言っているけれど客観的事実はどうなのと思ってしまうのです。 普段の政策・社会保障政策において常に自己責任(受益者負担)を主張して臨んでいる安倍政権の姿勢を見ていると「本当は何もしていなかった」という方がよっぽど話に整合性があると思えます。

2018年10月25日木曜日

P2 16-3-6 ホテル着が遅くなったわけ  思い込み


 
原因がわかってしまえば何でもない、というかお恥ずかしい限りのお話。

 当夜 飛行に支障なく予定通りニノイアキノ国際空港に到着、入国審査も終え荷物引き取りターンテーブル・baggage carousel へ。 ここで一つ目のポカをしてしまいました。

 ターンテーブルのまわりには入国審査を終えた人がすでに集まっています。これから動くのは隣り合った2本のターンテーブルのようです。  一段と人が多くなってきました、ターンテーブルが2本同時に動き出しました。 前の人と人の間に半身で乗り出し鞄に手を伸ばす人。残念!間に合わなかった人。 家族分でしょうか?カート上段に積み上げるだけで足らずに下段にも押し込んでいる人。 そうして徐々にターンテーブルのまわりに立つ人が減ってきましたが私の荷物は一向に回ってきません。 いったいどうなっているのか。 とうとう私の他に誰もいなくなりました。 外でみんなが待っているのにと気が急きます。 聞いてみようにもさっと見渡したところ空港職員の姿が見えないので、引き取り手のない鞄が再び戻っていくターンテーブルの先・ゴム製?の垂れ下がっている暖簾のようなものをかき分けてのぞき込んでみると、ちょうどこちらの様子をうかがっていた男の人が。 これ幸いと「私の荷物が出てこないんだけれど」と聞いてみたらどこの航空会社だと聞くのでANAだと答えると「それは向こうだ」と一言。 ! そこにはもう周りに誰もいない中私の鞄だけを乗せたターンテーブルが一つゴトゴトと回っていました。  さっきから私の前のターンテーブルには、鞄と鞄の間にDELTA と書かれた段ボールが回っているのを見ていました。何でDELTA?と思っていました。 言われた方のターンテーブルにはANAと表示されたものが回っているのが見えました。

ターンテーブルが2本あるのは認識していました。DELTAと表示されたものが目の前のターンテーブルを回っていくのも見ていました 何回も。 人が減って来たタイミングでちょっと視線をやればわかった事なのに、こちらのターンテーブルから出てくるものだと思い込みひたすら自分の足元しか見ていませんでした。 思い込みというのは怖いものです。  

結果としてホテルに着く時間が遅くなりました。何より、わざわざ空港まで迎えに来てくれたRさん一行と今回送迎サービスを依頼していた人たちを待たせることになってしまいました。

目に映っていても人は自分の見たいものだけを認識し、本当に正しい事かどうか確かめることなく自分の考えと同様のもの 自分が正しいと思うものを“正しい”と支持する を時地で行っちゃったなぁと思いました。

2018年10月23日火曜日

同調圧力 と 感情労働


突然ですが 言葉の備忘録

久しぶりに聞いた言葉 こんな言葉・労働もあるんだと思った言葉がありましたので忘れないように。



強い意見を言う人からの 同調圧力



肉体労働 ・ 頭脳労働   人と直接的に接する仕事 感情労働

2018年10月20日土曜日

P2 16-3-7 ホテルに泊まってみました

    2度目の訪比・3月は、前回からまだ5か月 準備が予定通り整えば翌4月には大勢でこれまでよりも長い期間お世話になることがわかっていましたし、今回の主目的の諸手続きの関係でメトロ・マニラで宿泊する方がいいかなと思い一人で訪比そしてホテルに泊まることにしました。 一人で海外というのは、まったく緊張しないと言えばうそになりますが、気楽なところもあって結構好きです。

さてホテルはどこがいいかな。  手続き自体は自分がするわけですが、その場所に行くにはやはり力添えをお願いしなければなりません。 それで行ったり来たりの手間を省くためお世話になる一家の分もホテルを取ることにしました。 支払いはもちろんこちら持ち。となると安かろう悪かろうというわけにはいきませんがあまり高いところも正直避けたいところ。 結果として、ネットを見ると限がないほど紹介されている中から、値段だけでいえばもっと安いところ、こちらは少し気後れしてしまって見送った同程度の料金でもっと大きく豪華な建物のホテルの中から、空港からも近く手続きでも観光でもあちこち回るに便利そうなマカティ・マビニ通りのエグゼクティブ・プラザ・ホテルを予約しました。 



当日、せっかく空港から近いところを予約したのに、私が荷物の受け取りで要らない時間を費やしてしまったものだから、ホテルに着いたのは夜11時を回っていました。喉も乾いたしお腹もすいた何かルーム・サービスと思ったら11時までで終了という事でしたが、すぐ近くにマクドナルドもコンビニもあり助かりました。

翌日館内を回ってみたら居室以外にも大小の部屋があってイベントが幾つも同時進行していました。宿泊客以外の出入りも多く、日本の値段の感覚で私が思っていた以上に広くて宿泊以外の用途でも利用があるホテルのようです。 ホテルは繁華街のマビニ・ストリートの中ほどに位置していて、カジノも真ん前 飲食店もまわりに沢山あり日も暮れると日中以上の賑わい、こちらに声をかけてくる人も結構いるところ。でも出入り口にガードマンがいるホテルは宿泊客(利用客)以外は入ってこれませんし外の雑踏の音は気になりません。 人数と組み合わせの関係で少しタイプの違う部屋3室を利用しましたがいずれも必要十分な広さ。 宿泊小物もセットされ、トイレと供用となるスペースにはシャワーだけでなくバスタブもありました。お湯も含めて水回りも空調も不都合はありません。 電子キー式のカギは部屋だけでなく、これがないとエレベーターも乗れません。 4連泊の間、毎日の部屋の掃除も問題なし。 建物自体は新しくない模様ですが室内のやれ具合・照明の感じ、エレベーターのメカニカルノイズも聞こえません、廊下も室内も十分静か、ちゃんと保守はしている印象。 お金の関係でいうと、チェックアウトの時に返してくれるデポジットの保証料が千ペソ。 えっ!と思ったのが、宿泊料金は同じだったのに日本で事前に支払いしていた部屋は朝食が別料金、予定外の人の分を追加で頼んだ部屋は朝食付きだったこと。


地元の人に聞いてみたところ、このホテルでこの料金だったらOKとのことでした。私も、リゾート地でとかホテルそのものを楽しみたいとかいうのでなかったらこれで十分と思います。

2018年10月9日火曜日

P 15-10-20 バロット 日本にも雀一羽丸ごとの焼き鳥なんてものがありますけど




世界には変わった食べ物があるものだなぁと思います。そのそれぞれが風俗習慣 文化の違いからその国の人にはおいしいもの目にしただけでよだれが出てくるようなものでも、他の国・地方の人にはとても手が出せないと感じてしまうものもあります。 アヒルの有精卵の羽化少し前の状態の時に殻ごと卵をゆで上げて作るフィリピンのバロットもそういうものの一つと言えると思います。 (フィリピンでは「バロット」と言っているもの。同様のものが中国から東シナ海に面した国々にもあるようです。

このバロット日本からの同行者は、殻を打ち割り殻をむきスープ()をすすりながら「これがうまいんだよ」と言いぬめぬめとした黒い塊を口に運んでいました。何人もいる中で口にしたのは二人だけ。地元の人でも遠慮するもののようでしたが、これが好きと言う人にはやめられない 病みつきになるものなんでしょうね。



このバロット、お店でもあつかっているのかもしれませんが、このたびは “ビレッジ”の住宅の一角のほんのちょっとした空き地に夜になるとおじいさんとおばあさんがベンチ型の簡易ソファーと小さなテーブルそれにバロットを入れたそんなに大きくないクーラーボックスだけのお店()で売っていたもの。 朝も昼からマニラ(メトロ)に出かける時もなく、用を足して夜も人通りが途絶えた時間に帰って来た時に同じようなたたずまいでA4サイズくらいの厚紙にバロットと書いたものを脇において売っていました。商売と言えば商売なんでしょうが、積極的に売っているという感じではなくて夕涼みをしているというような雰囲気の二人でした。このビレッジのどこか、この小路のどこかに住んでいる人なんでしょうか。

2018年10月6日土曜日

ここまでとはショックです!


この間、仕事も忙しかったけれどそれ以上にあまりにひどい実情がショックで書けないでいました。

沖縄の県知事選挙投票日9月30日はどうしても選挙結果が気になって、投票終了時間の(午後)8時少し前からネットニュースを注視していました。 そしたら、いきなり当確と言うのでびっくりした、というのが先日のものでした。

 今思えばこの時()すでにそうだったんだなぁと思います。この日、正午とか何時の投票率がどうこうというのは出ていました。けれど、開票に関してのものは全くなし。「なんだか変だなぁ」と感じてはいました。だって、沖縄県民にとどまらず基地問題を注視している人はもちろんモリカケ(森加計) からずっと続く日本の民主主義が問われる“民主主義存亡の危機”、その結果が影響を及ぼすだろう安倍政権が総力を挙げて臨んだ沖縄の知事選でしたから。  翌日、夜になってもオール沖縄の玉城デニーさんが当選した沖縄県知事選のことがいっこうに出て来ません。 3日ほどたってからネットで見つけたのが、ニュースでもワイドショーでも全く取り上げられていなかったという記事。

これだけ大きな意味合いを持つ選挙。海外・アメリカ合衆国なども当然注視していた選挙。モリカケの時に大きく人の知るところとなった「忖度」が強く働いてのようなんです。海外諸機関の評価で、日本のマスコミ・報道環境の問題が指摘され、国内でも現状について疑義の声が上がってはいますが、ここまで!とショックです。

2018年10月4日木曜日

P1 15-10-20  フィリピンの飲みかた




 
フィリピン式(歓迎?)の飲みかたも経験させてもらいました。

 この時飲んだお酒はブランデー。(もちろん他の店まで全部調べたわけではありませんが、この手の日常の生活圏のお店のお酒・ボトルはみんなブランデーでした。訊いてみたらフィリピンはみんなこれだとのこと。ウイスキーなるものはないのでしょうか。スペインから輸入と書いてあるボトルもありました。そして、酒税のせいのようですがみんな安い!)  

 飲みかたはこうです。 まずテーブルにボトル、各人に一個づつ水専用のグラスと冷えた水の入ったピッチャー。ショットグラスより少し大きいくらいのグラスを全員様に一つ。この小さめのグラスに注がれたブランデーを飲み干し、水を飲む。 これを順に回していくのです。

フィリピン訪問の理由が理由ですし、首実検なんだろうなぁと最初から覚悟して臨んだとはいえ、40度のブランデーをグイっと飲み干すんですからどんなになるんだろうと心配でした。 これまでの痛い経験でいえば、こんな度数の高いお酒をぐいぐい飲んでいたら途中から意識があいまいになり、夜中から戻すというパターンが常でしたから。  私は普段でもただ黙々とお酒・アルコールを飲むという飲みかたではなくいろんなものを食べながら飲む方、他の人も何も食べずにお酒だけという人はいませんでした。それに歌こそ出ませんでしたけどよく話すんです。 そして、これが一番よかったんだろうなぁと思ったのが追い水のこと。 日本でもお酒を飲んだら同じだけ水を飲めという事を聞いたことがありますが、暑いし喉も乾いていてお水がほんとおいしかった。それが幸いしたんだと思います。初めて会う人たちの前で醜態を見せずに済みました。

 もう一つ。これはいいことだなぁと思ったのが、順番をパスできるという事。無理強いされることもなく楽しい酒席でした。