2018年10月29日月曜日

またまた 自己責任論 この“国”はどうなっているのだろうか


    この度の安田純平さんの3年4か月ぶりの解放に関してまたまた自己責任という言葉が飛び交っていますが、まずは無事解放されたことを感謝して受け入れるべきだと思います。   

殺害されてしまった先の後藤さんの時は政府が先頭に立って自己責任という言葉を持ち出して個人攻撃したのに対して、このたびは 実はいろいろやってたのですの自画自賛という姿勢。 これまでの政府・安倍首相の言動を後ろ盾にこの度も自己責任論を声高に論う人がいますが、すでに十分言ったからとでも思っているのか政府が直接個人攻撃というのはその陰に隠れているようです。 

この度少し違う印象なのは、これまでより「危険を冒してまで紛争地に報道関係者が入る・事実を伝えるという事の意義 大切さを訴える意見が増えている」という事でしょうか。  

時の政権と異なる意見を持つ人だとしても、危険にさらされた時は自国民の保護を最優先にするそれが国の責務、“自国民の保護は国の責務”だという声をこれまでより強く感じます。 同じように誘拐された他の国の人たちはこれほどまでに長引かずに解放されているのと比較する形で、日本政府の無策を指摘する主張も出て来ました。 

徐々に明らかになってきたのは、結果としてこのたび安田さんは解放されたけれど政府としては何もしてこなかった。 解放はされたけれど(外的要因 情勢の変化で)それは日本政府にとっては予期しないこと、今回の解放に関しては最初から最後まで日本政府は蚊帳の外だった、という話。  本当のところどうだったのでしょうか。 実は何もしていなかったという事に関しては、今年のアメリカのトランプ大統領と北朝鮮の最高指導者とされている金正恩氏との会談の時「日本はこれまで直接拉致被害者のことで話をしてきたことがない。」という発言が飛び出したことを忘れてはならないと思います。 これには驚きました、拉致被害者の家族の人たちもさすがにあきれ怒りの声を上げました「もうあてにできない」と。 強行手段で追いつめるばかりの今の政府・安倍政権のやり方に対して、それだけでいいのかという思いを抱いていた人は少なくありませんでした。こうまで何の進展もないことに対して、本当に取り組んでいる(交渉している)のだろうかと疑念を抱く人もいました。それでも“国と国の交渉”だからと言い聞かせていたのに、恐れていたことが実際になってしまったわけですからみんなあきれるわけです。

 そう見てくるとこの度の安田さんのことも、今になってやったやったと自分で言っているけれど客観的事実はどうなのと思ってしまうのです。 普段の政策・社会保障政策において常に自己責任(受益者負担)を主張して臨んでいる安倍政権の姿勢を見ていると「本当は何もしていなかった」という方がよっぽど話に整合性があると思えます。

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