2019年9月24日火曜日

WFPとの出会い





“衣食住” 教育や医療もとも思いますが、生きていくうえで必要な物を端的に言いえた言葉でしょうか。 “衣”という事では、たった一枚しかないものだから着替えることもかなわず裸になってサリーを洗う少女を写した写真を目にしたことがあります。この様子では少女の生き生活していく困難は推して知るべしです。日々どうやって食べ物を手にしているでしょう。 “食” 子どもが子ども時代を生きるのではなく、労働力として遇されている。未来のために、教育 学校に休まないで通うのに給食を出すと効果があるということを聞いたことがあります。

ここからがWFPとの出会いの話。 ケニア・ナイロビのマゴソスクールは音楽教育にも力を入れていて、ケニアの大会でも上位に入る実力校。その他、現在のマゴソスクールができるきっかけを作り今も運営にかかわっているリリアンさんによると「子どもたちに一日一食だけでも食べさせたい」と給食にも力を入れているそうです。 給食は確か一食10円見当 通ってくる子ども達は300人ほどとのことですが、それが毎日毎日でずっと続けていくことですから大変なことだとすぐわかります。 その時に「国連WFPの援助を受けられるようになってほんとに助かる」と耳にしたのが初めてでした。 その帰り道でした。前方に、白い国連の車・WFPの車が食糧の詰まった袋を下ろしているのが目に留まりました。左に伸びる細い道の奥の方にカトリック系の学校があるのだそうです。 国連には様々な組織がありますが、私にとってこの出会い以来WFPWHOUNICEF UNESCOなどと同様になじみのある組織(名前)となりました。

2019年9月16日月曜日

その後 2題 その2 裁判記録破棄


   85日。その後の推移は、愛知トリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」に比べると小さい気がします。知る範囲では、新潟の弁護士会が異議申し立てをしたという事が一度目に触れただけ。私が知らないだけで他にも多数の動きがあることを願うばかりです。
一度書き上げたのがちょうど一月ほど過ぎたころでした。 一面トップに「憲法裁判の記録破棄」という記事がこちらの地元紙・新潟日報に載ったのが

参考までに以下に記事の一部を転載させてもらいます。

裁判所の規定は重要裁判記録の保存を義務付け、専門家は違反の疑いを指摘する。著名裁判記録の破棄は東京地裁で一部判明していたが、全国規模で捨てられていたことが分かったのは初めて。米国などでは重要裁判記録は原則永年保存され閲覧できる。元原告ら当事者から「重要な記録で残すべきだった。残念だ」などの声が上がっている。 ~ 今回廃棄がわかった中には長沼ナイキや沖縄代理署名のほか、法律を違憲とした広島薬局距離制限訴訟や国籍法違憲訴訟、裁判官の政治的活動制限と表現の自由が論じられた麹町中内申書訴訟がある。 ~   多数の廃棄が適切か否かについて最高裁は「(廃棄は)各裁判所の個別の判断」として回答を避けた。

以上、記事の一部ですが、私の考えでは全文の中でこれはとどめておきたいという所を紹介しました。 記事によりますと、裁判の判決文は保存してあるという事ですが、そこに至るすべての資料・記録が破棄された。つまり、どういう経緯を経て裁判が提訴され行われたのかの事実関係の様々な資料がすべてなくなってしまったという事。 もともと、住民側の訴えで行われた裁判はたとえ下級審で住民側が勝訴したとしても上級審では国側勝利に覆ってしまうという多分に三権分立が怪しいなかで、関係する住民の意向や技術的な事実だけで判断すればそうはならないだろう結果・判決が“政治的判断”で導き出されているとしか言えない悲しい現実があります。 十分に三権が独自性を保っていない現状・力関係において政治的判断なされるという事はその当時の時代や社会においてはありえる(有る)ことです。望ましいことではありませんがそれが歴史なわけです。 後に社会情勢が変わった時、時代の推移を経て様々に検証しようとなった時、すべての資料が破棄されていたとなると事実・技術的判断とは異なる裁判結果がそれこそ政治的判断によって導き出されたのか本来はどう結論付けるべきだったのかそれらすべてを検証することが不可能になったという事になります。 記事に紹介されていた裁判の数々を思い起こしてみると、そこに触れてほしくなかったからこそ破棄したとしか取れません。この度の事、後ろめたいものがあるからこその行為だったことは間違いないと思うのですが、記録 保存に対する日本人の良くない面をまた見てしまった思いです。

というような文を書き上げたものの、今一つ思いが書き切れていないような気がしてアップロードが遅れ遅れになっていました。 そんな時、前々から予定していた、新潟国際情報大学教授 小山田紀子さんによる「人の移動から見るフランス・アルジェリア関係」という講演会で、チュニジア・アルジェリア・モロッコという西方アラブが8世紀初めにアラブ・ムスリムの支配下に入った。その後18世紀後半・フランス革命期の社会混乱状態の中で、地中海沿岸 特にマルセイユを中心とする地中海沿岸において食糧(小麦)交易で結びつきが強まり、1830年にフランスの植民地となった。独立は132年後の1962年という話を聴きました。 そのアルジェリア独立にさいしてフランスは90トンにも及ぶ関係資料をエクス・アン・プロバンスに有る国立国際海外文書館(ANON)に移送したというのです。植民地としていた間の負の物もあっただろうに資料をすべて保存するというその姿勢は日本とは大きく違うものだと思いました。

2019年9月4日水曜日

その後 2題 その1


   2019の中の企画展「表現の不自由展・その後」そのものが開催直後突然中止となってから一月が立ちました。 現職の市長の立場としては不見識な発言。その後警察に告発されましたが、力づくで展示をやめさせる意図での脅迫・テロ予告。この手の抗議=脅迫・テロ予告はなぜこうもやすやすと通ってしまうのかといつも思います。逆の声は通らないというのに。 会見では平和の少女像を引き合いに出して「不快な思いをした」と言っていました。 その理由は、作品の出来・完成度に対してではなくこの彫像がつくられるに至った背景をこの人は知っているがゆえに不快になったという事だと思います。
愛知トリエンナーレ

 作品に触れて「不快感を覚える」という事は “美術・芸術の変遷”において初めてのことではありません。 印象派(その運動)が初めて現れ批判されたことそしてその後の変遷を振り返れば、先のことはわからないものだとわかるのではないでしょうか。

 このたび取り上げられた「平和の少女像」は発想・書式・技巧として新しいものだとかこの作品の前と後では美術史が変わるという作品ではないと思います。 けれどこの度のことでそれが一層強められた思いが込められて誕生した作品であることは間違いありません。  

それゆえ賛否両論やり玉に挙がった芸術家 作品もあります。芸術家はその作品を通して、音楽家は音楽で俳優はその演技・作品で社会に働きかけてきました。ナチスドイツによる一般人に対しての無差別爆撃に触発されて描きあげたピカソのゲルニカが独裁者フランコ総統の死後ようやく故国スペインで展示されるようになったこと。カザルスの平和に対する姿勢などが思い起こされます。

2019年9月3日火曜日

P これもひとくくりにしてパジャックと呼んでいいのでしょうか? “おまけ”



話し戻して。このパジャックのおばさんのパイナップルのむき方が目から鱗、すごく印象に残っています。 ごつごつの皮を厚めにそぎ落として、それでも残るぶつぶつのヒゲ()をらせん状に溝を掘るようにむいていく、参考になりました。

実は大根もそうなんです。甘い大根かそれとも辛い大根かを見極める時、このラセン状のヒゲの間隔の広いか狭いかで見極めることを思い出しました。 青首の甘い大根がすっかり一般的になった昨今ですが、辛みの利いた大根の方がお料理の味を一段と際立たせるという事も有りますのでこの選別法を知っているといいですよ。  


ちなみに広いのが甘くて狭いのが辛い大根です。 

P これもひとくくりにしてパジャックと呼んでいいのでしょうか?


昔の日本には行商品物別に特有の呼び声が有りました。その音を聞くと、頭の中に自然と言葉が浮かんでしまうラッパを使う事もありました。それらを聞くと遠くからでもこれから○○屋さんが来るんだなとわかったものです。 残念ながら、今の日本ではスピーカーで「○○の販売でお邪魔しています…」等々を流しながらトラック型やワンボックスワゴン型の軽自動車で回ってくるのに変わってしまいましたが、遠くからでも来るのがわかります。でも今目の前までやって来た、野菜や果物を積んだパジャックには全然気づきませんでした。 自転車なのでエンジンの音もしませんし、静かにゆっくりゆっくり回っていてどうやって知らせているのか? 人の輪ができました。大事な財産として代々受け継がれていくルート・顔なじみというものが日本の行商にはありました。こちらにもそれと同じようなものがあるのでしょうか。 私ものぞいてみましたが、バナナだけとかジャガイモだけというのではなくてまあまあの品数をもって回っていると思いました。これだけあれば十分足りるのではないでしょうか。 

ところで、このパジャックの自転車は輪の小さい自転車。 日本でももちろんこれくらいの小さな輪の自転車も多数走っています。俗に“ママチャリ”と呼ばれたりもしていますが、実際には折りたたみができるものや小さな子供を乗せるシートが付いたもの変速機の有無等々様々なタイプが走っています。でも日本で自転車と言うと26とか27インチという印象。 当初、全然目にしないのでこちらフィリピンにはないのかなぁとも思うほど。聞いてみたら、このタイプ無いことは無いけれど珍しいとのことでした。 結果、こちらフィリピンでそのようなタイプ・趣味性の高い自転車を目にしたのはイントラムロスでたまたま出会った女性一向(後で聞いたら国会議員だという事でした)が乗っていたくらい。

2019年9月1日日曜日

「なくそテ原発柏崎大集会2019」


台風に見舞われたお盆からそして天気予報では明日からまた雨が続くという合間の今日(91)、残念ながら体調が今一つ優れなくて参加することはできなかったのですが、新潟の原発立地地・柏崎で「なくそテ原発柏崎大集会2019」の日でした。 今年の集会は、経済学者で慶応大学の名誉教授でもある金子勝さんが「原発を止めないと 日本は成長できない」という演題で話すという事でこれまでに増して参加したい集会でした。 危険で厄介な原発というのは今更改めて言うまでもないことですが、福島第1原発の後さすがに無謬的な原発の安全神話は後退したものの、未だ政府 財界それに“有識者”と言う人まで一緒になっての“からくり”で新しい基準を満たせば安全だ地球温暖化にも()発電コストでも原発は優位なのだという主張が存在しています。 この間世界は脱原発と再生可能エネルギー選択に歩みだしました。でも原発に固執したままの日本は、再生可能エネルギーに関しての考え方も技術的な面でも大きく後れを取ってしまい、いろいろな意味で取り残され発展の機会を逃しているという事を見聞きしていたのでこの度の口演ぜひ聴いてみたいと思ったのです。 残念です。でも歴史の流れから言ってこのような機会は今後一層増えると確信しています。