2019年9月16日月曜日

その後 2題 その2 裁判記録破棄


   85日。その後の推移は、愛知トリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」に比べると小さい気がします。知る範囲では、新潟の弁護士会が異議申し立てをしたという事が一度目に触れただけ。私が知らないだけで他にも多数の動きがあることを願うばかりです。
一度書き上げたのがちょうど一月ほど過ぎたころでした。 一面トップに「憲法裁判の記録破棄」という記事がこちらの地元紙・新潟日報に載ったのが

参考までに以下に記事の一部を転載させてもらいます。

裁判所の規定は重要裁判記録の保存を義務付け、専門家は違反の疑いを指摘する。著名裁判記録の破棄は東京地裁で一部判明していたが、全国規模で捨てられていたことが分かったのは初めて。米国などでは重要裁判記録は原則永年保存され閲覧できる。元原告ら当事者から「重要な記録で残すべきだった。残念だ」などの声が上がっている。 ~ 今回廃棄がわかった中には長沼ナイキや沖縄代理署名のほか、法律を違憲とした広島薬局距離制限訴訟や国籍法違憲訴訟、裁判官の政治的活動制限と表現の自由が論じられた麹町中内申書訴訟がある。 ~   多数の廃棄が適切か否かについて最高裁は「(廃棄は)各裁判所の個別の判断」として回答を避けた。

以上、記事の一部ですが、私の考えでは全文の中でこれはとどめておきたいという所を紹介しました。 記事によりますと、裁判の判決文は保存してあるという事ですが、そこに至るすべての資料・記録が破棄された。つまり、どういう経緯を経て裁判が提訴され行われたのかの事実関係の様々な資料がすべてなくなってしまったという事。 もともと、住民側の訴えで行われた裁判はたとえ下級審で住民側が勝訴したとしても上級審では国側勝利に覆ってしまうという多分に三権分立が怪しいなかで、関係する住民の意向や技術的な事実だけで判断すればそうはならないだろう結果・判決が“政治的判断”で導き出されているとしか言えない悲しい現実があります。 十分に三権が独自性を保っていない現状・力関係において政治的判断なされるという事はその当時の時代や社会においてはありえる(有る)ことです。望ましいことではありませんがそれが歴史なわけです。 後に社会情勢が変わった時、時代の推移を経て様々に検証しようとなった時、すべての資料が破棄されていたとなると事実・技術的判断とは異なる裁判結果がそれこそ政治的判断によって導き出されたのか本来はどう結論付けるべきだったのかそれらすべてを検証することが不可能になったという事になります。 記事に紹介されていた裁判の数々を思い起こしてみると、そこに触れてほしくなかったからこそ破棄したとしか取れません。この度の事、後ろめたいものがあるからこその行為だったことは間違いないと思うのですが、記録 保存に対する日本人の良くない面をまた見てしまった思いです。

というような文を書き上げたものの、今一つ思いが書き切れていないような気がしてアップロードが遅れ遅れになっていました。 そんな時、前々から予定していた、新潟国際情報大学教授 小山田紀子さんによる「人の移動から見るフランス・アルジェリア関係」という講演会で、チュニジア・アルジェリア・モロッコという西方アラブが8世紀初めにアラブ・ムスリムの支配下に入った。その後18世紀後半・フランス革命期の社会混乱状態の中で、地中海沿岸 特にマルセイユを中心とする地中海沿岸において食糧(小麦)交易で結びつきが強まり、1830年にフランスの植民地となった。独立は132年後の1962年という話を聴きました。 そのアルジェリア独立にさいしてフランスは90トンにも及ぶ関係資料をエクス・アン・プロバンスに有る国立国際海外文書館(ANON)に移送したというのです。植民地としていた間の負の物もあっただろうに資料をすべて保存するというその姿勢は日本とは大きく違うものだと思いました。

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