2019の中の企画展「表現の不自由展・その後」そのものが開催直後突然中止となってから一月が立ちました。 現職の市長の立場としては不見識な発言。その後警察に告発されましたが、力づくで展示をやめさせる意図での脅迫・テロ予告。この手の抗議=脅迫・テロ予告はなぜこうもやすやすと通ってしまうのかといつも思います。逆の声は通らないというのに。 会見では平和の少女像を引き合いに出して「不快な思いをした」と言っていました。 その理由は、作品の出来・完成度に対してではなくこの彫像がつくられるに至った背景をこの人は知っているがゆえに不快になったという事だと思います。
愛知トリエンナーレ
作品に触れて「不快感を覚える」という事は “美術・芸術の変遷”において初めてのことではありません。 印象派(その運動)が初めて現れ批判されたことそしてその後の変遷を振り返れば、先のことはわからないものだとわかるのではないでしょうか。
このたび取り上げられた「平和の少女像」は発想・書式・技巧として新しいものだとかこの作品の前と後では美術史が変わるという作品ではないと思います。 けれどこの度のことでそれが一層強められた思いが込められて誕生した作品であることは間違いありません。
それゆえ賛否両論やり玉に挙がった芸術家
作品もあります。芸術家はその作品を通して、音楽家は音楽で俳優はその演技・作品で社会に働きかけてきました。ナチスドイツによる一般人に対しての無差別爆撃に触発されて描きあげたピカソのゲルニカが独裁者フランコ総統の死後ようやく故国スペインで展示されるようになったこと。カザルスの平和に対する姿勢などが思い起こされます。
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