2020年2月29日土曜日

日本の美徳 恥じ入る



“昔々ある所に” で始まる昔語り。  侍が道端の石仏に向かって小便をしながら お坊様に強い口調で問いかけました。「こういうことをすると何時か罰が当たるのか!」 お坊様は答えました。「渇! そなたはすでに罰が当たっている。そのような恥ずべきことをしている。」  人として してはいけない事・恥ずかしいことをしてしまう事自体が何時かではなくすでに罰が当たっているという事だと言っているのです。

このやり取り(問答)自体痛快で面白いという印象が残っています。いけない事 恥ずべきことをすると何時か罰が当たると戒めるのではなく、恥ずべき行為をすること自体がすでに罰が当たっている事なのだという視点、発想がハッとさせてくれた覚えがあります。

話変わってまたまた安倍さんの事。 この問答の後侍は言われた(諭された)事を理解し非を悟ったというのがおちになるわけですが、安倍首相はもう何年にもわたって首相と言う公的な立場を私的に利用。追及されるとそれをごまかそうと見苦しい言い逃れ はぐらかし すり替え の繰り返し。官公庁挙げての関係書類の隠蔽 改ざん 廃棄。幹部による、安倍首相に対しての限のない忖度。挙句の果てに法解釈の変更なんて禁じ手まで使ってなんでも有り。 三権分立を遵守せず 国会運営を軽視する態度には真摯な姿勢が全く見受けられません。 

日本の首相として日本の国民が願うことは取り組まず、やめてほしいと幾度意思表示しても「丁寧に説明して了解してもらう」「粛々と進める」を繰り返すだけ。 口数多く 「取り組みます」「特別委員会を立ち上げます」と挨拶するものの、実はもう何年も「します やります」の繰り返し。同じ発言を繰り返すばかりで、具体的な進展は一向にありません。

ほんとにやる気があるならばできる所に居る人なのに します やります を繰り返すばかり。もう見せてくれるなと願う程に見苦しい言い逃れ はぐらかし 隠蔽 改ざん 廃棄。

安倍さん 恥ずかしいですよ。でも 恥ずかしい みっともない という認識がないんでしょうね。 
恥の上塗り。 もう十分に恥ずかしいことをしているし 見せているのに気づいていないのは恥の上塗り。

2020年2月25日火曜日

せめて 邪魔をしないで


これは改めて説明の言葉は不要でしょう。ご覧ください。

加速している! とまさに実感する、このところの 異常気象 を起因とする世界各地の災禍のことを考えると恐ろしくなります。 重ねて恐ろしいのは、最後のチャンス 残された有余あと10年(すでに切っている)以内に具体的結果を出さなければ間に合はない状況を突き付けられているのにその警告を聞かない人の存在。 前には考えられないことがここまで頻発しているのに、報告でも警告でもすでに繰り返しされているのに一顧だにしない人たちの存在。 それが、特に責任ある地位 影響力ある立場にいる人なものだから恐ろしくなります。

ここまで来ると、気づいてほしい 変ってほしいと思うのは当然のことですけど、それがかなわないならせめて 邪魔をしないでくれ と願うばかりです。

2020年2月24日月曜日

「困った時は大騒ぎ」


ニュースでもと思ってネットを見ていたら、「求人倍率100倍」の運送会社が忘れない“痛み” という“ニュース”と言うよりは読み物的な記事が目に留まりました。(東洋経済オンライン 2020.2.24) 全6ページにわたる長い記事の中で書き留めておきたいと思ったのは二つ。一つは『経営者が「人をどう動かすか」ではなく、「人はどんな時に働きたくなるのか」と考えればうまくいくのだと気づかされました。』 そして『~それは 「困った時は大騒ぎ」 合言葉~』関西を中心に事業を手掛ける中堅物流会社 宮田運輸 4
目の宮田博文社長弁



 運輸会社と言うと きつい とか ブラック とかと言う言葉が付いて回り人手不足で有名な業種の最たるものですが、そこで「求人倍率100倍」!? だったのです。

 読んでみると、決して最初からこうだったわけではないし (つらい)きっかけが有りました。そして結果が出ている。 まだまだ知らない、素晴らしい取り組みをしているところが有るんだなぁと思いました。 (今頭に チョーク製造の日本理化学工業 の名前が浮かびました)

 「困った時は大騒ぎ」は どんな時でも とか 何処でも 誰でも という言葉をつなげて読むと一段と いいなぁ~ と感じられるんじゃないでしょうか。 一人の人が困った と声を上げると周りの大勢の人がその声を聞き 答える。 困った時には誰かが答えてくれる と確信できる。 素晴らしいじゃないですか。

記憶  印象に残った言葉 印象に残った行為




自分の下した評価、特に判定 自分の決めた決定。発した言葉には最後までちゃんと責任を持たなければならないという話し。



目利きの修行

 師匠が弟子に骨董屋の茶碗を一つ目利きさせた。 果たして結果はいかに。 師匠はその茶碗をもって骨董屋の主の前に行く弟子に一言こう言った。「骨董屋の主が言う値段が自分の見立てよりも安い値段だったとしても、例えば自分が10万円だと見立てたのなら10万で買わなければならない。」と。 これが目利きの修行という事なのでしょうか。 真贋の見極めに必要な知識を学ぶ以前に、自分の下す評価 判断には最後まで責任を取るんですよという教えでしょうか。



自分で評価 判断のできない人の頼るもの  

 「あなたは名刺を作ってはいけません。」 詐欺師がまったくの偽物、あるいは本当の価値よりも高く見せよう 高く売りつけようとする時、自分の言葉に箔をつけ信じさせる手段として(あなたの)名刺を添えるかもしれません。けれど あなたの名刺は最初からないということが広く知れ渡っていれば、ないはずの名刺が添えられている時点でだまそうとしていることがわかる、という趣旨。その世界では高く評価され有名な人がかけられた言葉

 自分で価値(本質)を見極ようとしない人は、往往にして組織や人の肩書・権威・威光・評価・お墨付きに頼り囚われ振り回されています。そういう人は何かあった時「自分は従っただけ」と責任を逃れようとしているように思います。 でもそれは通らない話、自分に知識や鑑識眼がないと自覚してかどうかはわかりませんが、他の肩書・権威・威光・評価・お墨付きを基にして判断と決定を下したのですから応分の責任は逃れられません。 もし判断も判定も決定もできない人だとしたら、それを求められる地位にいるべき人ではない人です。



 ちなみに。 私が思う “本物を見極める力” その能力を身に着けるには

 本物を見ること 美しいものを見ること よく見ることひたすら見ること が必要不可欠ではないかと思っています。  あと 様々な体験、様々な経験 も大切ですね。

2020年2月16日日曜日

来たものはつかまなければならない

                         

突然ですが。 

アメリカの車は今の時代でも日本の道路状況 特に駐車する時の事を考えると日常に乗りまわすのは大変だろうなぁと思う車体の大きさですけど、昔はほんとに大きかった。デザインは良くも悪くも“壮大なる無駄” アメリカンドリームという言葉の生きていた時代を象徴しているように感じます。 社会 経済の大きなターニングポイントとなったベトナム戦争以降、改めて50年代頃の発想から生まれたデザイン・デコレーション・大きさの車は誕生しないでしょうね。 

話変わって、いまから40年近くも昔の話。

ある雑誌で、日本のロック歌手のことが取り上げられていました。主題は別にあったのかもしれませんが、その記事の中で今でも印象に残っているのはこのロッカーの愛車談義の方。 大きい車体を一枚の写真に収めたものだから運転席でハンドルに手をかけてこちらを見ている本人の顔は小さくしか写っていませんが、歳の頃は30代後半から40台かなという印象。(私は最初ロケットのイメージからきているのかなと思いましたが正しくはフィッシュテールと呼ぶものなので違うんですね。)のついている大きなキャデラックのオープン。 本人の弁によると、当初は別のシリーズを探していたという事ですが「探していて来たのがこの車。そういう時は来たものをつかまなければだめなんだ。」との話が妙に印象に残りました。
愛車は赤白のツートンカラー、テールにフィン



1950年代のアメリカ(合衆国)と言えば、ヨーロッパ諸国のような国土に対する直接的な被害をまぬかれ政治でも外交でも経済でも大きな存在となり、子どもの代は親の代よりもっといい生活ができるようになるとなんの“迷い”もなく思いこんでいた時代。アメリカンドリームという言葉も懐かしい。そんな時代を反映した意匠が生まれ受け入れられた時代。

このロッカーは、混迷が深まるばかりの()以前の “アメリカ” のイメージの車に乗りたい 生活したいという思い入れ こだわりがあってキャデラックを探したのではないでしょうか、同時に日本人としての所作でこの出会いを受け入れたのではないでしょうか。

余談を二つ。 一つ目 これは古い車に乗ると良くも悪くもたくさんあるエピソードの内の一つだと思いますが「オープンカーはオープンで乗るべきだと思っているので、雨の時傘をさして乗って笑われたことがある。」とインタビューで話していました。 二つ目 時代だったんだと思います。そう考えるとそのころ(時代)の話や作品を理解してもらう(自分も)アイコンとしてシュチエーションとして車はわかりやすいものだと改めて思いました。

2020年2月8日土曜日

一度嘘をつくと そのつじつま合わせで際限なく嘘をつき続けなくてはならなくなる


人と人のやり取りでこんなに見苦しい場面、何度見せられことでしょう。 政治的駆け引きなんて到底言えないその場しのぎ、何とかこの場を逃れたいという苦し紛れの言い逃れ。 この度の「桜を見る会」の前にも「モリ・カケ」があったし。関係する国会議員の贈収賄が明らかになり、反対も危惧する声も多い「カジノ」。 国会審議すべきレベルの大きな問題を、後ろめたいものだから勝手な解釈で矮小化し国会にかけることなく閣議決定で済ませてしまう。 相次ぐ閣僚の問題発言そして犯罪行為に対して「任命した私に任命責任がある」と言いながらそれっきり・言いっぱなしで全く責任を取らない安倍首相。 偽証の責任を問われないのが不思議でならない不誠実な発言を繰り返す官僚。 国民の財産なのはもちろん歴史の繋がり後世の検証に欠かすことのできない記録 資料の隠ぺいと廃棄。

 最初は保身のために思わず口から出た言い逃れだったのかもしれません。でも自我が目覚め始めたばかりの幼児のとっさに口をついて出た嘘じゃありません。それにこれだけ長期間、する気が有ればこの間に訂正も謝罪もできたはず。 “一度嘘をつくと つじつま合わせで際限なく嘘をつき続けなくてはならなくなる。”今の安倍さんがまさにそう。 嘘は繰り返され、つじつまを合わせるための“忖度” 官僚による貴重な資料 記録の改ざん破棄が繰り返され政権ぐるみの隠ぺいも繰り返されています。 安倍首相自身による はぐらかし 言い替え 不誠実な のらりくらり の対応。「資料が見つからない」「保存期間が過ぎたのですでに破棄した」の繰り返し。

オリンピック誘致の場で事実とかけ離れた「福島第1原発(事故)は“アンダーコントロール”」と言い放った姿が忘れられません。 その時はもちろん、いまだに技術が確立せず、たまりにたまった原子炉冷却水の海洋放水(総量を問題にするのではなく、希釈して流すから影響はない!と主張)が新たに問題になるなど、収束どころかいまだ全貌がつかめない先の見通しが立っていないのが現状だというのに。

これはこれで忘れられない話ですが、少し横道にそれてしまいました。 安倍首相には、大臣・国会議員としてはもちろん大人・人間としての資質として間違ってしまった時、正しい指摘を受けた時は自ら誤りを正す態度 品格を持ち合わせてもらいたいと願います。