2020年2月16日日曜日

来たものはつかまなければならない

                         

突然ですが。 

アメリカの車は今の時代でも日本の道路状況 特に駐車する時の事を考えると日常に乗りまわすのは大変だろうなぁと思う車体の大きさですけど、昔はほんとに大きかった。デザインは良くも悪くも“壮大なる無駄” アメリカンドリームという言葉の生きていた時代を象徴しているように感じます。 社会 経済の大きなターニングポイントとなったベトナム戦争以降、改めて50年代頃の発想から生まれたデザイン・デコレーション・大きさの車は誕生しないでしょうね。 

話変わって、いまから40年近くも昔の話。

ある雑誌で、日本のロック歌手のことが取り上げられていました。主題は別にあったのかもしれませんが、その記事の中で今でも印象に残っているのはこのロッカーの愛車談義の方。 大きい車体を一枚の写真に収めたものだから運転席でハンドルに手をかけてこちらを見ている本人の顔は小さくしか写っていませんが、歳の頃は30代後半から40台かなという印象。(私は最初ロケットのイメージからきているのかなと思いましたが正しくはフィッシュテールと呼ぶものなので違うんですね。)のついている大きなキャデラックのオープン。 本人の弁によると、当初は別のシリーズを探していたという事ですが「探していて来たのがこの車。そういう時は来たものをつかまなければだめなんだ。」との話が妙に印象に残りました。
愛車は赤白のツートンカラー、テールにフィン



1950年代のアメリカ(合衆国)と言えば、ヨーロッパ諸国のような国土に対する直接的な被害をまぬかれ政治でも外交でも経済でも大きな存在となり、子どもの代は親の代よりもっといい生活ができるようになるとなんの“迷い”もなく思いこんでいた時代。アメリカンドリームという言葉も懐かしい。そんな時代を反映した意匠が生まれ受け入れられた時代。

このロッカーは、混迷が深まるばかりの()以前の “アメリカ” のイメージの車に乗りたい 生活したいという思い入れ こだわりがあってキャデラックを探したのではないでしょうか、同時に日本人としての所作でこの出会いを受け入れたのではないでしょうか。

余談を二つ。 一つ目 これは古い車に乗ると良くも悪くもたくさんあるエピソードの内の一つだと思いますが「オープンカーはオープンで乗るべきだと思っているので、雨の時傘をさして乗って笑われたことがある。」とインタビューで話していました。 二つ目 時代だったんだと思います。そう考えるとそのころ(時代)の話や作品を理解してもらう(自分も)アイコンとしてシュチエーションとして車はわかりやすいものだと改めて思いました。

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