2020年2月24日月曜日
記憶 印象に残った言葉 印象に残った行為
自分の下した評価、特に判定 自分の決めた決定。発した言葉には最後までちゃんと責任を持たなければならないという話し。
目利きの修行
師匠が弟子に骨董屋の茶碗を一つ目利きさせた。 果たして結果はいかに。 師匠はその茶碗をもって骨董屋の主の前に行く弟子に一言こう言った。「骨董屋の主が言う値段が自分の見立てよりも安い値段だったとしても、例えば自分が10万円だと見立てたのなら10万で買わなければならない。」と。 これが目利きの修行という事なのでしょうか。 真贋の見極めに必要な知識を学ぶ以前に、自分の下す評価 判断には最後まで責任を取るんですよという教えでしょうか。
自分で評価 判断のできない人の頼るもの
「あなたは名刺を作ってはいけません。」 詐欺師がまったくの偽物、あるいは本当の価値よりも高く見せよう 高く売りつけようとする時、自分の言葉に箔をつけ信じさせる手段として(あなたの)名刺を添えるかもしれません。けれど あなたの名刺は最初からないということが広く知れ渡っていれば、ないはずの名刺が添えられている時点でだまそうとしていることがわかる、という趣旨。その世界では高く評価され有名な人がかけられた言葉
自分で価値(本質)を見極ようとしない人は、往往にして組織や人の肩書・権威・威光・評価・お墨付きに頼り囚われ振り回されています。そういう人は何かあった時「自分は従っただけ」と責任を逃れようとしているように思います。 でもそれは通らない話、自分に知識や鑑識眼がないと自覚してかどうかはわかりませんが、他の肩書・権威・威光・評価・お墨付きを基にして判断と決定を下したのですから応分の責任は逃れられません。 もし判断も判定も決定もできない人だとしたら、それを求められる地位にいるべき人ではない人です。
ちなみに。 私が思う “本物を見極める力” その能力を身に着けるには
本物を見ること 美しいものを見ること よく見ることひたすら見ること が必要不可欠ではないかと思っています。 あと 様々な体験、様々な経験 も大切ですね。
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