2020年10月27日火曜日

「日本学術会議」“学術” 取ったら「日本会議」 此れ如何に

  「よく見ること よく見ること」 その後自身も物書きになった人が出版社勤務をしていた時の話。編集者として担当になった作家に稿料が払えないという不祥事が発生してしまいお詫びに行った時掛けてもらった言葉。 糸口すらつかめない時、ただひたすらに眺めていると見えてくるもの 気づくものがあります。そう実感しているので、物事そうしているのですが、それでもまだまだ そんな見方があったか! 
いや確かにそうだな!と感心する時があります。 

これもその一つ。 社会学者の上野千鶴子さんが、日本学術会議から“学術”をとったら「日本会議」になるという事を教えてくれました。 この話は、就任早々の蜜月期間にもかかわらず、その高支持率を一気に下げるきっかけになった、日本学術会議が規定に沿って半数の会員を改選するにあたり推薦した
105名の内、これまた規定に沿えば任命しなければならない推薦者6名を菅首相が任命しなかったというルール逸脱。それなのに、なぜそうしたかの説明を求めているのにも関わらず、真意の伝わらない「総合的俯瞰的に判断した」で逃げ回る。挙句の果てに、毎度の争点ずらしをする始末。 それにしても、人権機関設置反対・夫婦別姓反対・男女共同参画条例反対・従軍慰安婦も南京大虐殺も否定する歴史修正主義・ジェンダーフリー教育是正・新憲法制定・戦争責任を認めず自虐的歴史教育と言ってはばからない、安倍さん()大好き「日本会議」になるとは今回指摘されるまで気づきませんでしたけれどすごいなぁ 

日本会議 今回改めてその主張に目を通してみましたけれど「思考のガラパゴス化」が相当なものだと感じました。

2020年10月25日日曜日

悪水」3/3 冊子の名前「帆檣成林」

   


「帆檣成林」 (はんしょうせいりん)

帆柱が林のように多く立つ様子を表した語。 人が多く出入りする活気ある港をイメージして冊子の名前に。

その後機帆船と言う言葉の時代も経て、“帆”によって走る船と言うのは現在では趣味性の高いものスポーツ 教育上必要な物 観光に関するものと言う時代になりました。 したがって帆檣成林という様を目にすることも言葉を耳にすることもなくなりましたが、往時の賑わいを思い起こさせる言葉・冊子名と言えるのではないでしょうか。

「悪水」2/3 潟とくらし

 


今回この言葉は、新潟市歴史博物館・みなとぴあ の「博物館ニュース=帆檣成林」 VOL49の特集3、森行人さんによる 企画展「潟とくらし」 を紹介する記事に見つけました。 以下その一部を紹介します。

~ 新潟市には、ラムサール登録湿地である佐潟を始め、福島潟や鳥屋野潟などの潟が有ります。今年、新潟市は国内初のラムサール条約都市候補となりました。~

~ かつて市域を中心とする蒲原の平野部は、多くの潟が存在する低湿な土地でした。先人たちは大変な苦労と共に潟や低湿地に水田を拓いてきました。こうした湿田はたびたび水害を受け収穫を望めないことも多く、「水腐地」の呼称には稲作の困難がしのばれます。水田化されていない低湿地や潟は得るもののない未開の土地のように思われます。

 ~人々にとって潟には三つの大きな役割があったようです。

一つは悪水溜としての役割です。用水で余分となった水や用途のない水を悪水と呼びました。低地の潟は悪水を流す先としての役割を持ちました。大雨が降ると型の水があふれる弊害が生じます。これを防ぐために潟の周囲に囲い土手などと呼ぶ堤防を築きました。ところが堤防は下流域では水の侵入を防ぎますが、逆に堤防の上流側では水を流せず、被害を大きくします。~

さらに、潟の周辺は遊水地の役割を担っていました。西蒲原地域の鎧潟・大潟・田潟を始め多くの潟があった三潟地域では、潟の周囲が遊水地となるためその開発は長らく禁じられていました。

二つ目の潟の役割は用水です。潟は水田に灌漑する用水溜としての役割を果たしました。

「悪水」1/3 三潟水抜き

 


「悪水」 これ「あくすい」と読みます。 人が生きていく時なくてはならない物「水」。生命維持はもちろんの事、工業 農業いずれも水なしでは成り立ちません。事は精神性にまで及ぶほど人にとっては大切なもの。なのになぜ頭に“悪”の字が、と思ってしまいます。

辞書に載っているほど、ちゃんと言葉としてあるので、ここ新潟だけのことではないのだとわかります。 ところでここ新潟、新潟平野 以前は北蒲原 東蒲原 西蒲原 南蒲原 中蒲原と言われ全国有数の広さを持つ蒲原平野と呼ばれていました。蒲原平野は大河・信濃川によって長い年月をかけて(堆積)作られました。ですから、機械による排水によって今でこそ(1960年代半ば以降目に見えて)○○潟という地名に名残を残すだけとなったところがたくさんありますが低湿地・水が流れず滞留状態の所がたくさんありました。そこで田んぼ作業をしていたのですから、そこでの作業は困難を極め大変な作業・重労働だったのです。 だから、必要不可欠 なくてはならない物・水なのに“悪水”(状態)なんて言葉、言い方が生まれたのだと思います。 そんな背景をもって生まれた市民ミュージカル「三潟水抜き物語」(新潟 大河津分水が誕生するまでの暮らしを描いた)にかかわったものだからこの言葉が目に留まったしだいです。

2020年10月18日日曜日

あと一週間頑張ります

一週間終わった。

あと二週間。

二週間終わった。

あと一週間。

今年はCOVID-19 のせいでこの時期になって初めての実習。

始めての人たちにはきつい3週間。これが最後の人たちにとっては最初で最後の一発勝負。

当人たちが一番大変なのはもちろんだけど、こっちもつらいよ。 気持ちはあってもあれもこれも休止状態。

とは言え、あと一週間頑張ります。

 

2020年ノーベル平和賞

  2020年のノーベル平和賞が国連機関WFP(World Food Program)=世界食糧計画に授与されることになりました。 選ばれるに当然の活動を行ってきた機関だと、敬意と喜びをもって賛同します。

人がそして一人一人と共に国が自己実現をし幸福な未来を獲得していくために教育が大切なのは新たな言を俟ちませんが。災害や紛争 貧困等の時まず必要なのは医療そして食事。継続的な食糧支援が必要です。

国連データでは(2019年時点)、極端な飢えに苦しむ人は 世界で13,500万人(2016年比70%増)。 十分に食べられない人は、アフリカ大陸を中心に82,100万人=世界人口の9人に1人! だそうです。 そしてWFPのデービッド・ビーズリー事務局長の弁によると、飢餓を生む最大の原因は 紛争 と 気候変動。加えて、国 地域によっては害虫による農作物被害。そこへさらに 経済悪化が 追い打ちをかけている という事です。 また、「飢餓は概して、食べ物の不足からではなく、サプライチェーン(供給網)の崩壊や食料価格の急騰から生じる。」 今 COVID-19 禍でそれが起き始めている、10カ国(シリア イエメン他)においてそれぞれ100万人以上が“餓死の瀬戸際”にあると強調しています。 (“供給網”という事では、日本をはじめとする国々で食べることなく廃棄される大量の食糧の問題を思います。)

ノーベル平和賞受賞理由骨子 が発表されています。 時事

・飢餓とたたかい、紛争地の状況改善に貢献

・新型コロナ流行で急増でした飢餓の被害者救済で支援強化

・人道支援活動と平和構築努力の一体化を主導

・紛争の武器としての飢餓の利用阻止に努力

・飢餓の現状に関心が向くよう期待

菅首相による日本学術会議次期会員任命拒否問題(事はそれだけにとどまりませんが)の渦中において、平和賞受賞理由の一つ一つに感銘を受ける以前の問題として、行為に対する説明があるという姿に接して、情けない思いがわいています。

要らないラスト 記憶に残るラスト  記憶 匂い(味)

   物語の終わり方の話から、突拍子もない展開だけど毎度の“記憶”の面白さについて。

多い年で年間100本ほどの封切り映画鑑賞も、職住近接の今の所になってからはすっかり減ってしまいました。こんなに楽に通勤できるのは初めて。そう思うと以前はほんとに“痛勤”でした。 ただし、仕事帰りに寄るという事がなくなってしまったのでもう100本は無理かな。それでも、月に一度はやっぱり劇場に と通っていたのですが今年はCOVID-19のせいでそれもかなわなくなってしまいました。 そのかわりレンタルCD(DVDBL)は観ています。旧作借り放題会員になったのもあってすごく()観ています。 鑑賞スタイルだけでなく、鑑賞作品も変わりました。すっかりはまってしまったんですが、一番多いのは韓国の、それもテレビ作品、これが面白いんです! “偉大なるマンネリ”の「水戸黄門」のように、主人公が悪人にいじめられる、けれど決してへこたれないし味方が現れる、そして最後には必ず勝つ、というパターンを忠実に踏襲。 場面転換には交通事故、実は財閥の息子・娘だったのパターン・・・ またかと思いながらも、変にひねったり ひっくり返したりしないので安心してみていられる。勝てそうもない巨悪を相手に十分ハラハラドキドキさせて、回の最後はこの後どうなるのかすぐに続きを観たくなるような展開で終わりになる。要は見せ方・造りがうまいんです。 そんな韓国のテレビ番組ですが、巨悪に勝ったとホッとした後のもう一話・最終回がどうも気が抜けるというか「この回 無しでもいいんじゃない!?」と思うようなのが結構あって、それまでの出来が良い分もったいないと感じてしまう事が結構あります。難しいものですね。


物語の“終わり方”となるといつも頭に浮かぶのは、「釣りキチ三平」で有名な矢口髙雄さんの自伝3部作の一つと言われている「蛍雪時代」の事。 矢口さんが子どものころの記憶、時代で言えば農業機械化の少し前のころ、これから大きく社会が変わる高度成長時代に差し掛かるころ、描かれている矢口さんの母親は(そのころ農家はみんなそうでした)地面に這いつくばり泥田に足を取られながら農作業をしている。腰を曲げた視線の高さでの話が続く。それが最後のカットで俯瞰され一気に解放、木漏れ日のもとで一時目を閉じ休むシーンが描かれるのです。その時の母の記憶を匂いとして蘇らせるところがすごく印象に残っています。

 この時の匂いがどんな香だったのか思います。 この作品を目にしたのはずいぶん昔のことになりますし、今手元に現物がないのでなんだったか確かめられないのですが。夏が旬のキュウリかスイカでしょうか。包丁を入れた時の匂い。いいですよね~。 ところが妙なんです。私の頭にはもう一つ浮かんでくるんです。害虫・厄介者として嫌われ者になっているカメムシの匂い(臭い)が。 だからどうというわけではないんですが、どこでどう“記憶”されたのか。この場合の“匂い”はそのもの自体も記憶なんですが、記憶を呼び起こすスイッチの働きをしていると思うのです。 目で見る耳で聞くそして頭で記憶する、この“記憶”は 過ぎてしまえばすべていい思い出となったり、想いが優先されて欠落したり付け足したあり変わってしまったり、“嘘をつく”と言うわけではないけれど事実と変ってしまう事も往々にしてあり得る。でも、もしかしたら舌の記憶や匂いの記憶の方は変わらないのかなぁと思いました。 私の場合のカメムシの記憶・スイッチで呼び起こされるのは、昔家族と賑やかに暮らしていたころ・子どもが小さかったころ、8月夏の終わり朝が少しずつ肌寒くなりだした頃。日中太陽の日差しに当てていた布団を取り込むと裏にカメムシが何匹もいたこと。手作りコンサートなどの片づけの時物をどかすとそこにカメムシがいた、なんてことかな。いまは今で感謝して生活していますが、その後離れて暮らした子どもたちはどうしたのかなぁ・・・ などにつながります。

2020年10月9日金曜日

金は出しても口は出さな

  


ついに世界でもトランプ大統領 ボルソナロ大統領と並んで取り上げられるに至ってしまった、菅総理による日本学術会議次期会員任命拒否問題。私に言わせると「粋じゃないねぇ」という所。 本来“粋”の反対語は無粋そして野暮。 その野暮の方は言う側言われる側の関係性があるというか、至らないけれどまだ可愛げがある救いがあるような印象があるけれど、この度の菅さんの言動はそれとも違う。だからあえて 粋ではない とします。

菅新首相は確かにたたき上げなのでしょう。そうでもしなければここにまでなれなかったのでしょう。でも結局は、上り詰めたがゆえに教養の無さが露呈してしまった感があります。(この際に菅さんの威を借りてという人たちも情けない)

教養人と言う人は各地何処にでもいたけれど、何処にいる 財を成した 高い地位に居るという事即ち教養のある人とならないところが絶妙なところ。 “金は出しても口は出さない”と言う言葉があるけれど、「年間10億お金を出している」から言ってもいいんだなんてのは、その言い方も含めてあまりにも直接的。 政 行 財いずれにおいても文化支援は不況になると真っ先にカットのこの国において、政策 制度 人柄、いい意味でのパトロンはいないのでしょう。

人品 教養というものは幅広く 難しいものだと改めて思います。