2024年8月29日木曜日

五輪の旗

 


しんぶん赤旗
2024年6月14日

 先日パリオリンピックが一度閉幕(?)しこんどはパラリンピックだと思って待っていたのだけれど一向に話題にならない。
 あれれ と思っていたら24日からオリンピックの聖火がパラリンピック発祥の地で採火され各地を回っているという小さな記事を目にしました。 あぁそうだったのか、私が日にちを勘違い、少し先走りしていたようです。

 それにしても扱いが少ない印象はぬぐえません。 とにかく、世界新記録は出せても4年に一度のオリンピックで金メダルを出すことは難しいと言われるオリンピック。そこで、これまでのことを思って泣いてしまうのはだれしもの反応なのかもしれないけれど、泣き方ってものがあるのじゃないかと見てしまうこともあったけれど(毎回毎回のオリンピックで同じ競技の選手たちと言うのが、何か問題があるんだろうなぁと思ってしまう)。 

 たとえ負けても予選で敗退しても、オリンピックに出るには標準記録と言うものを超えなければだめなので、出ている選手たちはみな素晴らしい。 確かにメダルを取る選手たちの力はより一層抜きんでているけれど。

 これから始まるパラリンピック 様々なドラマ 望ませてもらいます。

2024年8月14日水曜日

道順案内 タイミングと”先角゛

 


                        日本経済新聞

                         2010年1月30日

          先角(さきかど) いい言葉を教えてもらいました

国際単位系 クエタ クエクト 追加

 


                        しんぶん赤旗

                         2022年11月25日


今から11年前  2013年2月が、総合商社大手での女性執行役員が初めて誕生しました

 


日本経済新聞
2013年2月6日

今から11年前のことでした。
さぁて、その後の変化はどうでしょうか。

2024年8月11日日曜日

エジプトの義務教育

 

                       しんぶん 赤旗 日曜版
                         2024年7月28日

 関係する専門機関 学会(その紙誌)なら(でしか)入手できないような情報。 こうゆうコーナー・情報が乗るからやめられないのです。

 今の時代ですからインターネットを使えば公的機関が公表している数字や文言、例えば学制の年限などを知ることはできます。 けれどそれ以外の公的な資料や報告書、公演等なら「これは余談ですが…」と言ってから話されるような、印象や雰囲気 気づき、時には匂いや音といった事まで。 自身の経験や生活実感と比較しての内容が盛り込まれているところが貴重なのです。

争いで生まれるのは 憎しみとさらなる争いだけ



                                しんぶん 赤旗
                                 2024年7月24日

 「どうして僕たちを残して死んじゃったの。僕たちを助けてくれるのはお母さんしかいないのに…。大好きなお母さん、僕がかわりに死ねばよかった。~」
母親の遺体を目の前に、こんなことを言わせてはいけません。
 「~神様、お母さんを殺したイスラエルに罰を与えてくださ。」 
争いで平和は生まれません。 生まれるのは憎しみとさらなる争いだけです。

 自分達が繰り返し爆弾を落としている地域に対して”安全゛とか”人道的゛という言葉を使う鈍感さ。 目も耳も鼻も肌感覚も 何も感じなくなっている、見ようとも聴こうともしなくなっている。想像力も欠如してしまっている。 今落としている爆弾の下に人が居るという事が考えられなくなっている。今落としている爆弾が爆発すればその人たちがどうなるかを思うことができなくなっている。 爆弾が、爆弾を落としている側の理性をも完全に破壊・麻痺させてしまっています。

2024年8月8日木曜日

誰かが どこかで

 



                         しんぶん 赤旗
                          2024年7月25日

 私が○○しなくとも、どこかで誰かが○○してくれる  の典型だと思いました。

 以前、特別に高級車というわけでもない小さなオープンカーを運転していたことが有りました。 ビンテージと呼ばれるほどではなく、人から見れば単なる古い車だったかもしれません。 30年ほど手元に置いていました。その間、純正 社外で部品がどうにかなるのが大したもんだと思いながらも、維持していくのがだんだん困難になっていきました。 そんな時「私がこの車を守っていかなくて誰が守る」とよく言い聞かせていました。

 ある時引き取りたいという人が現れ、引き継いで大事にしてくれるならと手放すことにしたのです。 
 この記事のは車の話ではありませんが、私・自分が全部しようと思わなくとも無理をしなくとも、誰かが どこかで、忘れずに守り 引き継いでいってくれるんだと改めて思いました。  それもこんなに熱狂的に

「受益者負担」 「自己責任」 が人々を苦しめ 発展を妨げている



                             しんぶん 赤旗
                             2024年7月2日


「受益者負担」 この言葉が始まりでした。

 そのころ(1970年代前半)私の学費は半期8万円。 国立は確か2  3万くらいだったと思います。 所得倍増政策で確かに上がったとはいえ、1970年代前半の大卒初任給はまだ一桁。というか月給自体がまだ今と比べれば一桁低い何万の所での”倍増゛でしたので、2  3万とか8万というと安いと思うかもしれませんが対比的には決して楽々の金額ではありませんでした。 その後好景気・インフレ、バブル経済で、初任給が10万の代に乗り(名目的には)給与が上がったとはいえ、それが2005年には国立535,800円。私大は959,205円ですか。 
 教育関連予算 財政支出はOECD加盟国平均GDP比で0.9%の所日本は0.5%。 先進国といわれる国々の中で最低水準を毎年更新?継続?しているまま。代わりに個人負担は増える一方。所得格差が如実に影響している教育環境・教育機会の格差は拡大する一方です。

 「受益者負担」 最近また耳にするので少しびっくりしているというのが正直な気持ちなのですが、受益者負担という言葉はしばらく耳にしませんでした。 でも決して この考え方が引っ込んだのではなかったというのがこのところの様々な動きです。 「受益者負担」この言葉自体は、代わりに「自己責任」という言葉が出てきました。
 今の、教育の問題 上がらない賃金の問題 生活困窮。 「自己責任」という言葉に追い詰められみんな自分を責めているけれど、問題の質も量もここまで一般的になると、もう個人のせいでも責任でもなく社会問題ですよ。
 「受益者負担」「自己責任」 この言葉を、(対応する諸制度を行う)当事者が言ったらお終いですよ。 民間の営利企業じゃないんですから、国 公共機関が自分で言ったらだめですよ。
 今 自己責任とか自助 という言葉がいかに人々を苦しめ、社会を国を害していることか。

2024年8月6日火曜日

35度超急増 気候変動と都市環境

 

                          しんぶん 赤旗
                           2024年7月2日

 恐ろしい
 間に合うのだろうか
 反対 信じない人にこそ読んでもらいたい記事

では この事実はどうして起こっていると言い訳するのでしょう

2024年8月3日土曜日

参加選手 男女同数 が128年かけて実現した今回の大会

 

         しんぶん 赤旗
         2024年7月25日

 近代オリンピック 第一回(1896年)アテネ大会の後の1900年パリオリンピックで、女子選手が参加(2競技 22名)。その大会から124年たった(第1回から数えると128年)今回のパリオリンピックで初めて男女の選手数が同数(5,250名)になったのだそうです。
 経緯は來田淳子 日本スポーツとジェンダー学会会長 中京大学教授の文章に目を通してもらうとして、事実を自分で確かめないでの思い込み。良かれと思ったのかもしれないけれど、事実の歪曲→保護的な差別。 女性・女子競技者が自分のことを自分で決めることができない時代が続いていたのだそうです。そしてこのたび初めて男女の選手数が同数になったそうです。
 近代オリンピックのことを多少なりとも知っているつもりでいましたけれど、まだまだ知らないことがありますねぇ。

 ”自分で自分のことを決める゛という事ではアメリカ合衆国の中絶に関する動き。ジェンダーギャップ指数では、日本は156カ国中118位、G7諸国の中では最下位。という事も併せ忘れてはいけないと思います。

2024年8月2日金曜日

両手で祈る

 

「私達はこの世では片手でしか祈ることができません。*1(もう)片手で*2(は)自分が堕落しないようにつかまっていなければならないからです。天国に行けば両手で祈ることができます。」                                    聖コルベ神父

*1あった方がわかりやすいかと

*2ないほうがわかりやすいかと

 パウロは神の使命として大きな働きを成した人ですが、間違いもおかし、心身ともに問題なく万能な人ではなかったとのことです。 できることならこの棘を取り去ってくださいと言っているほどですからさぞかし辛かったのだと思います。 でも同時に、パウロにはこの”棘゛があったればこそ大きな働きを成すことができたというのは間違いないようです。


 さて、ここに続けて書けるような事ではないのですが。私 実は左のお尻と左の膝下から足首にかけて、そして腰背部の傷みが続き難渋しています。  整形を受診したところ、軟骨がすり減っている 腰椎が変形してしまっている状態でした。  昨年の6月のある日の仕事中のことがきっかけで整形外科を受診するに至ったのですが、今の痛みと制限はこの骨の状態を顧みるにそれ以前からであってこの日のことは引き金だったんだと思っています。相手があることなので一応書いておきます。

 それにしても痛い。仕事はできるけれど、正直辛いことが多く夕方以降は傷みが増します。 ただし、それがいけないのでしょうが痛いけれど動ける、昔より力が無くなったなぁと痛感するけれど何とかできている。走れなくなりました、ほんとに走れなくなるものなんですね心底びっくりしました。 意識すると無意識にと無理をしているのでしょうが、整形を受診しているとき立っていたら「立ってられるんですね」と言われ、普通この骨の状態では立っていられないレベルなんだなぁとへんに感心してしまうような事も有りました。  整形でお薬をもらい腰椎のブロック注射もしてもらいましたけれど痛みは一向に改善しません。 安静にするまで行かなくとも、仕事をいくらかでも加減出来たら多少なりとも楽になるのかもしれません。でもこの歳になって今までで一番身体的に辛い仕事を、初めての職場で初めての人たちの下で新たに一から覚えなくてはならない条件で働いていますから、いろいろな意味でそういうわけにもいかないのです。  出かけるのも運転も好きな私ですが、昔に比べればずいぶん短い通勤時間の間でも、足をさすりながら動かしながらの状態は残念な思いです。

 可愛いMは上の子とはずいぶんと離れてこの世に誕生したので一からすべて必要で、以前のように収入のない今はほんとに大変です。今の収入は、同じ月にもう一回給料日が有ればと思うくらいの物ではありますが、保育園に通うための就労証明をもらうため、可愛いMのため、”痛みを感じながら゛励んでいます。 給与は、頂けるのはありがたいけれど今の時代・社会 生活では不十分。私は年金と併用しているのでまだ”やりくりに苦労しています゛で済んでいるのだと思いますが、これから結婚とか子どもなんて言う人は、とてもとても踏み切れないのではと思います。躊躇すると思います。  日本は人口減少の時代に入りました。もう何十年、”少子化問題対策゛というものが取られてきました。しかし、自己責任とか受益者負担という言葉がはびこる日本の現状では、国レベルでの対策が求められているのに相も変わらずの個人任せのまま。個々の家庭の負担は増える一方で減る状態にはなっていません。

 傷みの話に戻ります。 まだ3歳にもならないMのためにも”目標100歳゛と公言しています。自分で「もういい」と思ってしまえば終わりですから。 「もっと肉を食べましょう!(栄養を取りましょう)」と言い出されて久しくなりましたが、年配・高齢者 特に一人暮らしそのまた特に男性一人暮らしの貧弱な食生活は寿命を縮めます。 私は若いJと可愛いM、食欲旺盛な人・成長するために栄養をたくさん取らなければならない人と一緒なので、同年代の 特にいうならば一人暮らしの男の人よりも食事の回数 量、結果として栄養を取っていると思います。 目標も必要もあります。新しいこと(仕事)を覚えなければなりません。人と会います、話します。ストレスにもなり得ますが、それが刺激にもなっています。目標達成できると考えています。 でも今こうしていてもうずく傷みが辛い。どうにも居た堪れません。 この傷み、無理と承知しながら、何とか取り去ってもらえないかと祈る思いです。それなのに私の生活では、祈りが足りていない と自覚しています。大切さをわかっているのに。

 で気づいたんです。 そもそも大きな声を出さなければ一番いいのでしょうけど、かわいいMに接するときとっさに大きな声が出てしまって泣かせてしまうとき、一番身近にいてくれて私のことを理解してくれる人に接するとき、この傷みがあるからいい意味で抑制できている、自分の行いを振り返ることができているんだ と。 「そんなのつながりがわからない」といわれてしまえばそれまでですが私にはそう思えて感謝しているのです。 

 歳を取るのも悪くない 何か不自由(痛み 動きの制限)を抱えるのも意味が有る、と感じられるようにしてもらっていると取ることができるようになれたと感謝しています。

 

 砂の上を神様と私二人(二つ)の足跡が続いていた。 苦しみ悩みを抱えていた時振り返ると足跡は一つになっていた。 この苦しい時に神様は一緒にいてくれなかったのかと祈ったら、「足跡が一つなのは私があなたをおぶって歩いていたからだよ」と声がした。

 自分の振る舞いを振り返ると到底天国に入ることができないとわかっています。 それでも、すべてのことを司る全能の神様なら、その御心に少しでもかなう事を行うならばこんな私でさえも救い上げてくれるのではなかろうかと一縷の望みを抱いているのです。 ですから、「聖母の騎士」2024年6月号のサビオ川渕浩修道士の文中で”両手で祈る゛を目にした時「私は片手でも祈っていない、それは、両手で捕まっていなければならない私だからだ」と立ち止まってしまいました。気づきが有りました。 全能の神様がその御心ならばすべてを変えて救ってくださることを確信しています。 今私に多少の不便と痛みを与えてくれているのは、自分を振り返り気づかせてくださるためだ、と納得しています。

 ほんとに、神様の成さる事、神様の考えることは人知を超えて有り難いと感謝しています。