しんぶん 赤旗
2024年7月2日
「受益者負担」 この言葉が始まりでした。
そのころ(1970年代前半)私の学費は半期8万円。 国立は確か2 3万くらいだったと思います。 所得倍増政策で確かに上がったとはいえ、1970年代前半の大卒初任給はまだ一桁。というか月給自体がまだ今と比べれば一桁低い何万の所での”倍増゛でしたので、2 3万とか8万というと安いと思うかもしれませんが対比的には決して楽々の金額ではありませんでした。 その後好景気・インフレ、バブル経済で、初任給が10万の代に乗り(名目的には)給与が上がったとはいえ、それが2005年には国立535,800円。私大は959,205円ですか。
教育関連予算 財政支出はOECD加盟国平均GDP比で0.9%の所日本は0.5%。 先進国といわれる国々の中で最低水準を毎年更新?継続?しているまま。代わりに個人負担は増える一方。所得格差が如実に影響している教育環境・教育機会の格差は拡大する一方です。
「受益者負担」 最近また耳にするので少しびっくりしているというのが正直な気持ちなのですが、受益者負担という言葉はしばらく耳にしませんでした。 でも決して この考え方が引っ込んだのではなかったというのがこのところの様々な動きです。 「受益者負担」この言葉自体は、代わりに「自己責任」という言葉が出てきました。
今の、教育の問題 上がらない賃金の問題 生活困窮。 「自己責任」という言葉に追い詰められみんな自分を責めているけれど、問題の質も量もここまで一般的になると、もう個人のせいでも責任でもなく社会問題ですよ。
「受益者負担」「自己責任」 この言葉を、(対応する諸制度を行う)当事者が言ったらお終いですよ。 民間の営利企業じゃないんですから、国 公共機関が自分で言ったらだめですよ。
今 自己責任とか自助 という言葉がいかに人々を苦しめ、社会を国を害していることか。
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