2019年7月4日木曜日

彼岸 と 此岸


暑くなりました。私の住むあたりではこれからお盆過ぎくらいまでが一番暑い時期になります。 今年のスイカの初物は627日でした。昔々と違って、包丁で割ったところは真っ赤で甘みも十分。今は外れという事はまずありませんが、昔は真っ赤にならずに白っぽいものもありました。そんな時は、今では考えられませんが甘味が足りないぶん砂糖をかけて食べたりしたこともありました。トマトだって凸凹ごつごつして青っぽいものも珍しくありませんでした。そんなトマトはもちろん今のように甘くなくて、それがまた楽しみでもあったんですが砂糖を付けながら食べた覚えがあります。(塩を付けた方が甘く感じる と言って塩を付ける塩派もいました。)  71日今年初めての蝉の声を耳にしました。ジーッという鳴き声、ニイニイゼミでしょうか。 夕方日の暮れるのも今だと7時を回ってもまだ明るく、実はもう過ぎているんですけれどこれから夏至が来るのかと思ってしまう程です。 でも季節は確実に変わっていてお盆を過ぎれば、日中はまだ暑さが残るものの朝晩 特に朝方は涼しいを通り越して寒く感じるくらいの日もあります。そんな日は「夏も終わりか」と寂しくなります。 それから一時、食べ物もおいしく過ごしやすい(身体が楽になる)季節・秋がやって来るのです。 
秋になるとお彼岸があります。(お彼岸は春のお彼岸と秋のお彼岸とあります。 秋は“おはぎ” 春は“ぼたもち”と呼ぶ、仏様にお供えする もち米と甘い小豆あんで作られた食べ物があります。春に咲く牡丹の花、秋に咲く萩の花、その季節に咲く花から取ってそう呼んでいます。実は同じものなんですけれど。)  

この“彼岸”という言葉は仏教の考え方で、三途の川をはさんだあちら側=仏様の世界 極楽浄土を“彼岸”(ひがん) 三途の川をはさんでこちら側を人間の世界 “此岸”(しがん) と呼ぶんだそうです。 “娑婆”(しゃば)なんて言葉もありますが、彼岸と言う言葉を使ったら此岸という言い方になります。

2019年6月30日日曜日

こだわり を持つという事


念願のマリンバ・カンパニーのコンサートに行って来ました。 念願の というのは、これまで何度も鑑賞会で取り上げてほしいと希望を出していたのがかなったという事なのです。 当然と言えば当然ですが 当夜のマリンバは大型で音域が広く、響きよく倍音が唸った時はぞくっとしました。 メンバーはマリンバやシロフォン グロッケンを担当する女性4人とパーカッションと合間の話を担当する男性が一人。 1時間半のコンサートは小学校入学前の子どもたちも一緒の観劇だったので、曲目や一曲当たりの長さがもっと聴きたいと思わせるコンサートでしたので出来は良かったという事だと思いました。

途中、「仕事として小学校などを回ろうとするとアニメの曲を入れてほしいという要望が出る。でも私たちはクラッシックにこだわっている。アニメを演奏しないという事では仕事のセールがしにくい。けれどそれが自分たちのこだわりだし大事にしたい、こだわっていきたいと思う。」という話が有ったのですが、それが印象に残りました。 グループのアイデンティティという事でこだわりを持つ事は意味のある事。だから今日のコンサートになったのかと腑に落ちました。

ちょっと強引に結び付けますが、戦争反対にも原発事故を繰り返さないにも「こだわりを持つ」時には「根に持つ」そして「忘れない」でいます。

食育という言葉から考えた その2 2/2  病気の社会性


「病気の社会性」という言葉があります。 病気と社会 社会福祉から入って社会保障に進み、この繋がりについて感じ認識は有りました。でもそのものずばりのこの言葉・書籍に遭遇したときは やったー!と思いました。 “病気”は人(個人)かかるものでしょ? いえいえ実は住む地域だったり集団だったりの帰属性が大きく影響しています。風邪一つとっても なりやすい 症状がいつまでも消えず治りにくい 繰り返す 肺炎等重症化しやすいんです。劣悪な住環境 食事・栄養 水だって飲料に適した水が手に入らないところで住むことしかできない、人は思った以上に生まれながらの住む場所も、日常生活に何かあったからと変えられないものです。 備える間もなく突然襲ってくる災害、遅々として進まない災害からの復旧(元通りになるという事はまずありません)。福島第1原発周辺に住んでいたからの強制的非難とか放射能におびえる生活・人生。 じわじわと地域とそこに住む人たちの身体をむしばんでいく公害。 



人の健康、人の生命を脅かす最たるものは戦争でしょう。「大砲かバターか」という有名な言葉があります。平和・平安と戦争(軍備)は両立しません。 砲弾にあたって直接命を落とすだけでなく、紛争下の劣悪な生活環境・飢餓状態では食育・栄養バランスが悪いどころの話ではありません。 国連・WFPの冊子には「食べることは生きること」5歳未満の子供の死因に栄養不良が関係する割合45% 貧血が原因で出産中に亡くなる途上国の妊婦の数1ち日当たり300人  unicefの冊子では「21秒に一人 日本なら治療できる病気で、幼い子供が命を落としています。」防げる病気 救える命  世界では治療も予防も可能な肺炎や下痢 マラリアで年間150万人以上の幼い子供の命が奪われています。 ささいな風邪の症状がたちまち肺炎に進行。 先進国ではまず死に結び付かない病気下痢。きれいな水が手に入らず下痢で命が危険に。  支援活動にあたるスタッフの切ない思いを一つ紹介します。「命がけでやっと救護施設にたどり着き清潔な水を飲み栄養を補給して症状が一定の改善を見た後、ふたたび生まれ育ったところに帰ったとたんきれいな水も十分な食事(栄養)も取れず再び命の危機に見舞われる子供たち。」 予後が見えてしまうスタッフの気持ちやいかばかりか とこちらまで切なくなってしまいます。

2019年6月29日土曜日

食育という言葉から考えた その2 1/2  食欲は生命力

私の知る限り、以前の父は食事に関してこだわる方ではありませんでした。それが高齢になり、幸い施設には恵まれたと感謝していますが日常の生活をそれまでのように送ることができなくなり施設に入所することになりました。そこでは、家で見る父とは大きく異なる姿を目にするほどに慣れひたしんで暮らすとともに「あれが食べたいこれが食べたい」「今度来るとき持ってきてくれ」と言う事が多くなったのです。 その後歳を加えるとともに徐々に身体が弱り、救急車で病院に搬送され入院。施設もいくつか変わり、誤嚥性肺炎を繰り返すため経管栄養となってしまいました。それでも、初めて聞くような小さかったころの話、昔口にした食べ物の話などを聞くことができました。 そんなでしたので、せめて匂いだけでもと季節の物や甘いものを鼻に近づけると意識してか無意識か口をパカッとほんとに見事に開けるものだからせつなくなったことがあります。 最後の最後の何か月かはあれが食べたいと話す、それ以上に言葉数自体少なくなり“食べたい”と言っていたころを思うと食べるという事は健康 成長 生きる意欲に直結するほどに大切な行為“食欲は生命力”だなぁと改めて感じていました。 

2019年6月28日金曜日

“食育” 食育という言葉から考えた 2/2  国民の命と安全を守る義務の放棄


   “食事”(清潔な水も含めて) の重要性は改めて言うまでもありません。 誕生(宿る前から) 成長、どのタイミング・年齢にどのような栄養がどれくらい必要か。 身体の成長のみならず社会性の面でも大きな違いに結び付いています。学習や仕事 地域・社会生活と食事の関係、自然だけでなく社会環境にも目を向けなければなりません。

法律レベルだけでなく、第2次世界大戦敗戦そして高度経済成長を境に日本の社会構造は大きく変わりました。地域・家族が力をなくすのに反比例して、それまで見えなかった問題が多くの人の知る所となりました。社会問題が発見されたのです。  話飛んで食のこと。いまだ“手作り弁当こそが親の愛情だ”で(中学校)給食の導入に反対したままの人・行政、効率化の名のもとの後退もありますが、栄養士が栄養バランスを考えて小学校と多くの中学校で給食を提供しています。 ニュース・報道で取り上げられるくらいですからまだ当たり前にどこでもの段階にはなっていないという事なのでしょうが、大学や企業でも食事(特に朝食)の重要性から学生食堂や社員食堂に改めて力を入れるところが増えてきています。 食事・食生活、生活習慣病・肥満や糖尿病等となると投薬開始の前にまず食事と運動の重要性が言われるほどです。 内科的外科的を問はず治療・入院が必要になった時、健康の回復 維持には直接的な手術や投薬だけでなく栄養補給、疾病に対応した食事(病院食)も抜きにはできません。 それほどに“食”というものは大切なのに、破壊と殺戮にしか役に立たない武器を購入する予算はあるのに「財政が苦しいから…」と教育や医療などの社会保障をじわじわとけれど確実に縮小させている。(実際の税収以上の武器購入の仕方をしているのもすごく心配)

“核” 世界・時代の潮目は変わったと思います。 いまだ根本的な解決策の見つからない使用済み核燃料の厄介な問題。より高い基準で求められるようになった上にテロ対策も講じなければならない安全対策。私に言わせれば原子力発電施設は固定式核兵器。その人知を超えた危険性。あからさまなからくりを要して原子力が一番安いなどと言い張る日本。 福島第1原発事故はいまだ終息のめどは立たず。普通これだけダメージを受ければその時点で営利企業なら撤退。その上コスト的にも実は劣っている。 そこまで行っても原発推進・ 再生可能エネルギーへの作為的=サボタージュ。 

これらはまさに政治的選択そのもの。これらの政治的選択は国民の命と安全を守る義務のある政府・行政の責任放棄だと思っています。

2019年6月27日木曜日

“食育” 食育という言葉から考えた 1/2  人物紹介 食育の祖と言われる石塚左玄 

 
石塚左玄が陸軍軍医退職後刊行した「科学的食養長寿論」(1896)の中で「食育」という言葉を著しました。  考え方として、生きるために食べる 命をつなぐために食べる から、成長のためにはどのタイミングでどのような栄養・食事がどれくらい必要か へ。時代が変わった社会(経済)が変わった、そして気づいたという事でしょうか。その後この考え方は「食育基本法(2005年施行)の前文にも受け継がれ今に至っています。  ただし私思うんです。本人の従軍経験(日清戦争他)もありますし、1896年と言うと旧日本帝国陸軍の時代ですから富国強兵が事の始まりだったのかもしれない と。