2019年6月28日金曜日

“食育” 食育という言葉から考えた 2/2  国民の命と安全を守る義務の放棄


   “食事”(清潔な水も含めて) の重要性は改めて言うまでもありません。 誕生(宿る前から) 成長、どのタイミング・年齢にどのような栄養がどれくらい必要か。 身体の成長のみならず社会性の面でも大きな違いに結び付いています。学習や仕事 地域・社会生活と食事の関係、自然だけでなく社会環境にも目を向けなければなりません。

法律レベルだけでなく、第2次世界大戦敗戦そして高度経済成長を境に日本の社会構造は大きく変わりました。地域・家族が力をなくすのに反比例して、それまで見えなかった問題が多くの人の知る所となりました。社会問題が発見されたのです。  話飛んで食のこと。いまだ“手作り弁当こそが親の愛情だ”で(中学校)給食の導入に反対したままの人・行政、効率化の名のもとの後退もありますが、栄養士が栄養バランスを考えて小学校と多くの中学校で給食を提供しています。 ニュース・報道で取り上げられるくらいですからまだ当たり前にどこでもの段階にはなっていないという事なのでしょうが、大学や企業でも食事(特に朝食)の重要性から学生食堂や社員食堂に改めて力を入れるところが増えてきています。 食事・食生活、生活習慣病・肥満や糖尿病等となると投薬開始の前にまず食事と運動の重要性が言われるほどです。 内科的外科的を問はず治療・入院が必要になった時、健康の回復 維持には直接的な手術や投薬だけでなく栄養補給、疾病に対応した食事(病院食)も抜きにはできません。 それほどに“食”というものは大切なのに、破壊と殺戮にしか役に立たない武器を購入する予算はあるのに「財政が苦しいから…」と教育や医療などの社会保障をじわじわとけれど確実に縮小させている。(実際の税収以上の武器購入の仕方をしているのもすごく心配)

“核” 世界・時代の潮目は変わったと思います。 いまだ根本的な解決策の見つからない使用済み核燃料の厄介な問題。より高い基準で求められるようになった上にテロ対策も講じなければならない安全対策。私に言わせれば原子力発電施設は固定式核兵器。その人知を超えた危険性。あからさまなからくりを要して原子力が一番安いなどと言い張る日本。 福島第1原発事故はいまだ終息のめどは立たず。普通これだけダメージを受ければその時点で営利企業なら撤退。その上コスト的にも実は劣っている。 そこまで行っても原発推進・ 再生可能エネルギーへの作為的=サボタージュ。 

これらはまさに政治的選択そのもの。これらの政治的選択は国民の命と安全を守る義務のある政府・行政の責任放棄だと思っています。

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