2014年10月7日火曜日

“河野談話” を巡って

「連れて行かれる」金順徳描く

河野談話はときの宮沢内閣の河野洋平官房長官によって1993年に出されたもの。それは1991年に金学順さんが名乗り出たことによって出されるに至ったもの。だからそもそも吉田証言によって河野談話が出されるようになったかのように言うのは違っているのです。 (1965年の日韓条約の時点では現在のように多くの人が知るところではなかった)決して完全なものではなく不十分なところがありながらもまず第一歩となるもの。

 

河野談話を良しとしない人たちは、このたびの朝日新聞の吉田証言・記事取り消しを持って「根拠は失われた新しい談話を出せ=河野談話を取り消せ」と鬼の首を取ったかのように騒ぎました。 ところがその後の進展は目論見とは正反対の結論を導いてしまいました。

一連の動きの中、改めての調査で吉田証言のいい加減さが明らかになり、その過程で私も知ることになった、吉田氏自身が真実よりも話題になる文言を良しとしたというどうしようもない姿勢。当時“河野談話”をまとめるにあたって実際に作業をした人・石原官房副長官からは「吉田証言が信用できないという結論に達して参考にしなかった 取り上げなかった」という話が明らかになったのです。

それらの導くところとして、菅官房長官も「河野談話は吉田証言を根拠にしていない」と国会の場で認めざるを得なくなり、阿部内閣として河野談話を継承すると言わざるを得なくなってしまったのです。

 

安倍首相の、隠そう隠そうとする動きは逆に真実を明らかにしてしまっています。事は、吉田証言を取り上げて強制連行があったかどうかではなくて、女性がその人権を無視して性奴隷状態に置かれていたこと、人権問題としての従軍慰安婦=性奴隷を認めないこと自体が問われていることに気づいていない。この姿勢が、誤りを認めるところから始まる、戦争を繰り返させず平和へ友好への第一歩を阻害しているんだと思っています。

以前実際に銃火を交えた国々が一つになり、来年には一段と結びつきを強めた形で地域連合となるASEANの東南アジアに対して、いつまでも変わらない極東日中韓の状態のおおもとに安倍首相の歴史認識の問題がある事を憂います。

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